8月28日

 思えばここに来るのも久しぶりだ。今日までお盆やら何やらでアカリに会いに来ていないのもあるし、夏休み初め頃に出かけた時もここには立ち寄らなかったからだ。

 陽の落ちかけた待舟まちふね神社の境内、その拝殿の手前に仮面の少女が立っていた。アカリがあの翁の面をしているのを見るのはいつ以来だろう。彼女は普段とは印象の異なる華やかな浴衣を着ていた。

 俺が片手を挙げるとアカリはゆっくりと手招きした。その神秘的な雰囲気に当てられた俺は光に集う虫のようにフラフラと近づく。

「クックック……よくぞここまで来たな勇者よ」

「おい」

「なーんて!」

 雰囲気を台無しにしたアカリが仮面を取る。満面の笑み。

「さ、行くか」

「ちょちょ、ちょっと、なんかリアクションしてよー!ってかどこ行くの?」

「え?どこって祭りだろ?灯籠祭とうろうさい

 今日、灯籠とうろう通りで夏祭りが行われる。灯籠や提灯などぼんやりとした光を並べるもので、鎮魂や慰霊の他に平和への感謝やこの先の平穏の祈願などが目的だ。歴史ある祭りで、かつては川に灯籠を流していたらしい。揺れながら流れる灯籠を御霊に……ああ、露店や花火なんかもあるとのことだ。

「あー、そうだよね。えとね、今日はそっち行かないんだ」

「?どういうことだ」

「こっち!ついてきて!」

 砂利を鳴らしてアカリが駆け出す。そんなに走ったら危ないだろうに。招かれるままに走ると、境内の隅でアカリが立ち止まる。目線の先には森の中へと続く道がある。

「ここ、行こ」

 歩いて道を進む。時間も時間なので薄暗く、なかなか雰囲気がある。

 連れ立って進むと、やがて少し開けた場所に出た。そこの中央に一本、葉が大きく存在感のある高い木が生えている。

「えっへへ。これね、ホオノキって言うんだ。パパとママがね、あたしが生まれた時に植えてくれたんだって」

 ホオノキ、どこかで聞いたことがあるような。

「まだ花は咲かないんだけどね、もう何年かしたら咲くんだって。ああえっと、街舟神社って昔、手紙を木に結ぶお祭りやってたんだ」

 そう言ってアカリは懐から二通の手紙を取り出す。片方は何だか見覚えのあるものだ。

「でも、それって秋にやる祭りなんじゃなかったか?」

「今やんのが大事なの!はいこれ」

 渡された手紙はほんのり温かかった。そりゃそうだ、さっきまで……。

「じゃ、これをそこの枝に……どしたの?」

「いや別に!」

「そ?んじゃ、結んじゃお」

 幹の途中から伸びる細い枝におみくじのように手紙を結ぶ。どうしてか少し緊張しているのを悟られないように、静かに。

「えっと、本当はこの後に舞があったり、お酒飲んだりってのがあったっぽいんだけど、できないし。だからね、こっちきて」

 誘われるままに歩くと、アカリは木の右側にあった道へと入っていった。道とは行ったが、ここに来るために通ったものとは違い、狭くてほとんど整備されていない。おっかなびっくり進むと、視界はすぐに開ける。

「は……」

 その幻想的な景色に思わず息を呑んだ。見下ろす住宅街の少し奥、灯籠通りのあたり。不規則に連なる灯りが、まるで灯籠の流れる川のようだ。

「いーでしょ、ここ。私の秘密基地」

 二人がけの木製のベンチの上にござを敷いてアカリが座っている。足元では動物の入れ物の中で蚊取り線香が焚かれていた。

「ああ。特等席だな」

「ええっへへぇ〜。昔パパに手伝ってもらって作ったんだ〜」

 神社のものとよく似た玉砂利が敷かれ、ベンチの他に落下防止の役割を果たせなさそうな柵まである。流石に幼い頃のアカリ一人でこれは作れなかっただろう。

「そんでねえ、これ!」

 アカリが持ち上げたのは小さな保冷バッグだ。中から瓶入りのラムネを2本取り出し、片方をこちらに寄越す。

「夏って言えばこれっしょ」

「ああ、いいな」

 二人同時にビー玉を押すと、ポンと清涼感ある音が鳴った。ビー玉を突起に引っ掛けラムネを飲む。爽やかな甘さと炭酸が残暑の暑さを洗い流した。

「ん?んー?」

「ふふっ」

 アカリはと言うと、ビー玉を引っ掛けるのに難儀しているらしく、思うように飲めていなかった。

「むっ、笑ったぁ!これくらいすぐにできるし!……あ、そうだ」

 保冷バッグにはまだ何か入っていたらしく、アカリはラップに包まれたそれを取り出した。

「リベンジ!量は少ないけど……はい!」

 2つのサンドイッチの片方を渡される。なるほどリベンジってあの時の。

「ありがとう。いただきます」

 具材は卵だ。卵とマヨネーズのまろやかさに、ほんのり黒胡椒が効いていてとても美味しい。流石にあの時のサンドイッチ全部となると胃の容量からして厳しいが、もっとたくさん食べたいと思える味だ。

「美味しい」

「ふっふん。でしょ?料理には自信あるんだ」

 そう言って自分のサンドイッチにかぶりつく。前から思っていたが、アカリは食べ物を美味しそうに食べる。見ていて微笑ましい。

「あ、そろそろ始まるよ」

「始まるって、何が」

 上空がパッと光り、遅れてドーンと音が響く。花火だ。ここでは花火もまた綺麗に見える。「こないだのさ、私の友達のこと、覚えてる?」

「ん、まあ」

「ちょっと前にさ、あの子と会ったんだ」

「えっ」

「えって何よ。……で、それからちょくちょく話してんだ。ちょっと前までさ、怖いとか嫌だとか思ってたんだけど、会って話したら昔の私に戻った感じしてさ。結構楽しかったんだ」

 アカリの瞳に花火の光が映り込んでいる。キラキラと輝くそれに吸い込まれてしまいそうだ。

「勇気出して良かったって思った。……ありがとね。スイが背中押してくれたおかげ。不安とか言い訳とか、スイのおかげでみんな飛んでっちゃった」

 強いな、アカリは本当に。俺のおかげとアカリは言うけれど、実際は彼女が頑張ったんだ。不安や恐怖に立ち向かうことは決して簡単なことじゃない。俺はよく知っている。

「アカリ……」

「ん?どしたの?」

「俺も、アカリにお礼言いたくて」

「ええっ!?な、なんで?」

「アカリといると楽しいし、それに明るくなれてる気がして。クラスの人とも……まあ、そこそこ話せるようになったし。勇気とか貰ってるのは、俺もだから……その、ありがとう」

「お、おおう。えへへ」

 お互いにラムネを飲んで頬を冷やす。ほんとはもっと言いたいことがあったけど、言葉にできない。

 それまで夜空をカラフルに照らし続けていた花火が、一際ひときわ大きな一輪を最後に止んだ。

「終わっちゃった」

「……あのさ、来年も見にきていいかな、ここに」

「っ!も、もっちろん!来年はもっと早い時間に来てさ、屋台行ったりもしたいよね」

「ああ。また来年、な」

「うん!」

 徐に立ち上がり、手分けして蚊取り線香やござを持つ。アカリの言う通りに境内の物置にそれらをしまった。

「あっという間だったなー、なんか」

「実際そんなに長い時間じゃなかったけどな」

「じゃあ今日帰ってからゲーム……は流石に遅くなっちゃうかー。あ、暗いから階段気をつけて」

「アカリもな」

「そーいえばスイってもう宿題とか終わってんの?夏休みの」

「昨日終わらせた。だから明日からは大体空いてる」

「よし!じゃあゲームできるじゃん。まあゲームじゃなくてもさ、通話とか」

「ああ、それならこの間面白い話が」

「え、それって怖い話じゃないよね?」

「どうかな」

「ちょっとー!って、もううちじゃん。じゃあ、またね」

「ああ、それじゃあ」

 長かったような短かったような夏休みも、もうすぐ終わる。手を振りあうこの瞬間を少しだけ切なく感じた。

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鬼灯閑話 相良趣等 @100ha33sagi

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