第5話 一切空

 

 夜。


 黄昏時を裕に越えた、まごう事なき闇のとばり


 殊に森深い廃屋に届く光はなく、月明かりを欲し舞い飛ぶ虫たちの羽音すらここにはない。


 ――深淵へようこそ。


 不確かなあかりを求めて留まる愚かな虫が、扉を越えてやってきた。


 辺りを彷徨った電灯がついに一点を照らし、そこに小さな膨らみがあるのを認めた。


「加奈美ちゃん?」


 纏った物が邪魔と見え、全てを脱ぎ捨てた男は、ゆっくりとベッドの上に乗り込んだ。


「こんばんは、カズヤさん」


 乱暴に捲られたシーツの下に横たわる少女は、男同様の姿のまま股を開いて挑発した。


「加奈美ちゃん!」


 興奮し頭に血が上った男は少女の身体にのしかかり、無我夢中で全身をねぶり始めた。


「ああ、加奈美ちゃん……可愛いよ、かわいいよ……」


 だらしなく臀部から垣間見えた一物が見る見るうちにそそり立ち、貪る少女の身体に触れる。

 それと見た少女は、やっとの思いで男の体を両手で押し除け、その頬に言いわけのキスをした。


「わたし初めてなの。だから優しくして?」

 上目を遣い殊勝にねだる少女の姿に、男の喉が鳴る。


 若干の平静さを取り戻した男は少女に嫌われるのを恐れ、そのか細い腕に倒されるまま横になった。


「じっとしててね」


 少女は男が持ち合わせた懐中電灯を壁に向けて照らし、すかさず男の腹部に乗る。


「おっ」


 魅惑の詰まった小さな身体は男に向き、後ろ手が男の物を満遍なく撫で回す。

 屹立する物に、片手は雁首を、もう片方は根元を押さえて上下にしごき上げる。


 先端が更にふくれたのを股の間に確認し、今度は竿と同時に片手で睾丸を揉み始めた。


「加奈美ちゃんっ、すごくいいよ」


 しかし快楽に慣れ切った睾丸は一物の張りとは裏腹に、だらしなく陰嚢いんのうに垂れ下がっている。


「もういいよ」

 加奈美ちゃんはそれらを根元から引き上げ、僕に合図を送る。


「じゃあ、そろそろ入れよっか」

「うーん。それはないかな」


 『茎や葉を持ち上げ、できた隙間にすかさず刃を入れて引く』


 幾星霜。もうずっとこなしてきた動作をここで披露する。


「――ぅがぁああああ!!」


 男の断末魔が部屋中に響き渡る。


 手応えはあった。

 しかしそれは最初と中間くらいで終わり、最後は雑草ほどの粘り強さもなかった。


 刹那の間に噴き出た物が辺りに飛び散り、シーツに壁、少女の身体を汚した。

 それからは止めど無くだらだらと流れ出た。


「くそがぁあああ!! ぶっ殺してやる!!」


「ばーか」


 痛みに歪んだ男の顔が影になって激しく揺れる。

 片手で股間を押さえながら、見えない何者かに向かって闇雲に拳を振るった。


 込み上げる笑いを押し殺し、鎌と刈り取った汚物を袋に詰め、ベッドに置かれた懐中電灯に手を掛ける。


 その時、僕の視界が衝撃に大きく歪んだ。


 ――失敗した。


 がむしゃらに振るわれた男の拳が偶然にも僕の右目辺りを打ったのだ。

 情けなくあえぐ滑稽な男の姿に油断が過ぎたのかもしれない。


「くそやろぉ! ああっ……ぶっ殺して……ああっ」


 手に取った懐中電灯を小屋から外に放り捨て、靴を履いた裸の少女の手を取り、それとは逆の方へと走り出す。


 気づかれぬようそっと、緩やかに。


 廃屋から少し離れた木の陰から様子を窺う。


「いでぇ……ちくしょお……ちくしょおぅ……」


 暗闇の中、微かな光を求めて夜の虫が森に這い出た。


 股間を押さえながら、もう一方で闇を手探る男。

 上体をへの字に、腰をかがめて内股に歩く姿はまるで化け物だった。


 押さえる手から絶え間なく汚物を撒き散らす、夜の森の怪物けもの


 へっぴり腰が砕け、その場に転がるのを見届けた僕らは、村までの帰路を颯爽と駆け抜けた。


「あははははは!」


 誰もいないはずの森に、ただ僕らだけの盛大な笑い声がこだまする。


 道中、僕は手に提げた袋を崖の下へと投げ捨てた。


 今度は音すら返ってこない地獄の淵には、相変わらず樹々のざわめきが聴こえる。


        *


「ごめんね、翔太郎くん」

 お湯に濡れた加奈美ちゃんの手が優しく僕の右頬に触れる。


「大丈夫だよ。ありがとう」


 怪我をしたのは想定外だったが、それは全て僕の油断が招いたもの。

 だから加奈美ちゃんには感謝こそすれ、恨むことなど一つもない。

 むしろ加奈美ちゃんの協力なくしては為し得なかった。


 僕は健気な少女がたまらなく愛おしくなって、思わずその小さな頭を撫でる。


「えへへ。よかった」

 加奈美ちゃんは恥ずかしそうに目を伏せ頬を紅潮させて笑った。


「あら、二人で楽しそうね」


 浴室の外から美咲さんが声を掛けてくる。

 どう答えたものかと手を取り合い、二人して目を合わせる。


 刹那の沈黙。


 密着した僕らの間を、シャワーの流れる音だけが満たした。


「後で私も入ろうかしら。早く上がって寝なさいね」


「はーい」


 何も答えることのない僕らをいぶかしむこともなく、美咲さんは着替えた衣服を洗濯機に集め、スイッチを入れてリビングに戻って行った。


 見合ったままの僕らはこの夜の、一連の出来事に胸を撫で下ろし、自然と唇を合わせた。


「翔太郎くん……お部屋に戻ろう?」


 しかし、この期に及んで尚も行為を求める少女のしたたかさと愛らしい仕草に、僕はたまらず貪るようにその唇を奪った。


 これが僕と加奈美ちゃんが初めて交わすキスだった。



        *



 燦々と降り注ぐ陽光が、外界に剥き出た一切を平等に焼き焦がす。


 負けじと鳴き続ける蝉の声も、聞き続け麻痺した耳には遠く感じられる。

 先刻までにわかに降った雨は止み、所々できた小さな窪みに溜まったそれらが空へと返っていく。


 蒸された地、陽炎かげろうの先にある山向こうの煙突から、煙が一筋立ちのぼる。


 群青の空には巨大な白の入道雲。

 先までここいらを騒がせたその白に向かって、真っ青な空を真っ直ぐに伸びていく。


「――いってきます」


 地面を立ち上る土の香りに、居ても立ってもいられなくなった僕は誰にともなく呟き、加奈美ちゃんの自転車に乗って家を飛び出していた。


 はやる気持ちが坂道を登る車輪に空回る。


 早く、早く、あの煙の下へ。


 でないとあれは消えてしまう。


「待って!」


 飛んだ先から薄くなる儚い白が、無性に僕を駆り立てる。


 ようやく辿り着いた坂上、下り坂。

 一気に駆け下りる僕の肌を、山間やまあいの風が瞬時に冷やす。


 頭上の煙が辺りの森に隠れて更に薄くなった気がした。




 煙突の下に辿り着く頃には、陽が山陰に傾いていた。


 やたらに広い駐車場には数台の車が停まり、妙に偉そうな大人たちが建物に向かって歩いている。


 中には神父の姿もあった。

 自転車を建物の横に着け、距離を置いて僕もその後に続いた。


 無骨な鉄扉の並ぶ伽藍洞に、伽羅きゃらの香が漂う。


 炉に吸い寄せられるように、黒い服を纏った見知らぬ大人たちが虚ろに動く。

 それらは摘んでゴミと化したものを幾度もべている。


 手洗いのある隅の方。

 いつもの真っ白な割烹着から喪服に着替えた里見さんが一人、ひっそりと嗚咽を漏らして泣いていた。


 もうそれだけで十分だった。


「君はどこの子かな。勝手に入って来ては駄目だよ」


「――お前は誰だ!」


 近付いて来る獣を振り切り、全速力で出口へ走った。


 再び煙突を見上げる。

 今では雲一つないだいだい色の空に、不確かな塵の粒が昇ったそばから消えていく。


「誓うよ」


 雲になるなんて嘘だ。

 舞い上がった塵はやがて元の地に還る。


 どこへだって行けやしない。

 だから僕らはいつだって共にある。

 病める時も、健やかなる時も。


 眼前を漂い、ただうるさいからという理由で叩き殺される蝿や蚊と同じ死を迎えようとも、決して僕らを分かつことはない。


 滅び行く肉体さえ離れることを許さない。


 永遠に。



        *



 享年一ニ。


 人類が癌を克服して久しく、新たに発現した未知の病に僕は倒れた。


 選ぶ余地などありはしなかった。


 刻々と朽ち行く身体を捨てた僕は、第二の生をこのメタに求めた。

 誰にも侵すことのできない、僕だけの筐庭はこにわ


 ここには夏以外の季節がない。

 夏の後には夏が来て、夏が来て、夏が来る。


 僕が望んだことだ。


 僕にとって夏は特別で、何かが起こる予感のする季節。


 いつまでも変わらない。そうであって欲しい。



 朝露に濡れるサンダル。

 白む空に立ち込める霧。

 燃えるような陽差し。濃い影。


 浅い呼吸。草いきれ。

 群青の空。入道雲。

 手には溶けたアイス。


 木々には蝉。草むらに鳴く蛙。

 揺れる陽炎。

 どこからか僕を呼ぶ声。


 夕立ちが運ぶ風。鈴の音。

 遠くには祭囃子が聞こえる。


 微睡みの中で僕は誰かを追っている。


 楽しげにはしゃぐ声。


 どこまでも続く光の中。


 眩しさに目を細め、戸惑うばかりの僕の手は引かれる。



 ――永遠に終わることのない夏を、いつまでも僕は歩き続ける。



     *



「気持ちいいっ!」

 淫らな声音に、机に乗った少女のあしは更に激しく揺れる。


 はだけた制服はそのまま、幼さの残る美しい少女の口元はだらしなく快楽に濡れている。

 少女は際限なく快感を求め、触れる度、突く度に貪欲に全身を震わせる。


 僕はたまらず共鳴した身体を少女に押し付け、もう何度目かになるその時を、熱い少女の中で迎えた。


 僕らの卒業と共に廃校の決まった小さな校舎の一室を、もう小一時間は響かせている。


「翔太郎くん! 好き! 好き!」


 少女は余韻に浸る僕の腰を更に強く抱き寄せ、自身の腰をいやらしく回して快感を貪った。


 止まない蠕動ぜんどうが一物を刺激し、どこまでも催促する。


 加奈美ちゃんは僕以外の男を知ってから、性はもちろん外見にも随分と磨きが掛かった。

 それは喜ばしくもあり寂しくもある事実だ。


 でも僕はこの少女を手放すなんてヘマはしない。

 せっかく手塩にかけた可愛い子を、誰とも知れない有象無象にくれてやる道理などないのだ。


 これは僕のものだ。


 上体を起こし僕から奪った唇に舌を滑り込ませる少女の身体を、僕は乱暴に抱き寄せ、繋がったまま芯の戻り出した物で再び抽送を繰り返す。


 午後の陽差しに陰る教室。

 開いた窓から僅かな風が吹き込む。


 蝉の音に混じって、微かに時計の針が動いた。


「翔太郎くん、大好き」


「うん」


 少女は僕を前にして隠しもせずに置いていた物を掴み、僕の首元目掛けて振るった。



 いつかの手斧。

 何となく予感はしていた。

 初めて少女とキスを交わしたあの頃から、ずっと。


 僕に引導を渡すなら、この少女こそが相応ふさわしい。


 心のどこかで期待している自分がいた。


 刹那の衝撃と共に感じた凄まじい痛みはすでにない。

 白かった視界は闇へと変わり、耳鳴りはいつの間にか止んだ。


 全身を幸せが駆け巡る。


 何にも代え難い快楽が僕のすべてを包み込む。


 ――嗚呼、これが死というものか。


 死とは辛いもの、悲しいものでもなく、ましてや忌むべきものでは決してなかった。


 僕は今、最高に生を実感している。

 今際いまわの淵にあって尚、よろこびに満ち溢れている。


 この生もよかった。生きていてよかった。

 嫌なことなど思い出せもしない。


 僕を生かした一切に感謝しよう。

 空に帰ることすらままならない僕の思いを、ここに残そう。



 一度だけ何かが僕に触れた気がした。



 さて明日はどんな生を迎えるだろうか。


 今はない胸に精一杯の想いを馳せる。



 終わることのない夏。


 僕だけの筐庭に宿る新たな生命。



 ――さようなら、僕の夏。
















 そしてこんにちは。




 ようこそ、僕の筐庭へ。




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筐庭の夏 臂りき @hirikiriki

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