婚約破棄は名誉回復のため~頑張った悪女は信用を勝ち取る~

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婚約破棄から始まる逆転かと思いきや……

 「お嬢様。私の座右の銘は『金で信用は買えぬ、信用こそが金を生む』でございます。私は商人の娘でありますので、何よりも『信用』を重視しております」



 「アンジェラ・ティファニー・ローレン・アシュクロフト!貴様は俺の婚約者に何一つ相応しくない!よってこの場にて婚約破棄を告げてやる!ノーラン公爵令嬢が何だ!俺様は王太子のジャイルズ殿下なんだぞ!」


 王太子ジャイルズ・アシュトン・ダリル・レッドラップ殿下は……いえ、もう敬称は必要ありませんね。小動物のように可愛らしい容姿の準男爵のマーシア・オローク嬢を娼婦のようにはべらせ、副騎士団長の三男坊クリフトン、内務大臣の末の息子スチュアートを側近のごとく控えさせて、高圧的に怒鳴り散らします。

 そんなことをしなくとも、今や卒業式の後のパーティは既に凍り付いたような空気で、一人も噂話さえしておりませんのにご苦労な事です。

 特に顔色が青いのは副騎士団長のエルヴィス卿、そして内務大臣のジョシュア卿、準男爵のオローク夫妻に至っては地べたにくずおれて抱き合いながら震えています。わたくしの両親や弟は逆に顔を真っ赤にしておりました。

「ジャイルズ『様』とわたくしの婚約破棄、確かに承りました。既に両親にも女王陛下にもその旨の許可を頂いております」

わたくしはそう言ってからパチリと扇を閉じました。

 この合図で王国騎士団の者たちが人並みをかき分けて、車椅子に乗せた青年をつれて参りました。

「あっ」

悲鳴のような声を上げたのはマーシア嬢……いえ、こちらももう、いつものようにマーシアと呼んでやりましょう。

彼女は車椅子の青年を見るなりジャイルズ様を突き飛ばし、青年に駆け寄ってその足にすがりついて泣き叫びました。

「ヘンリー!無事だったのね!ヘンリー……良かった!」

 ヘンリー殿は自力では歩けないほどに衰弱していましたが、医者の話では命に別状はないそうなので、マーシアの『名誉回復』のためにもここに連れてこさせたのです。

何よりヘンリー殿がマーシアの現状――彼女は悪女同然の扱いなのです――を聞いて、己の体を顧みずに強く望んだというのもありますが。

「マーシア、すまなかった。僕が人質になったばかりに……!」


 人質。


 物騒な言葉にどよめいた一同にわたくしは説明いたします。

ジャイルズ様一同は既に王国騎士団の者たちに囲まれ、槍や剣の矛先を向けられておりました。

今頃はヘンリー殿の誘拐などの裏工作を行った者、さらにその背後で蠢いていた連中もことごとく捕らわれ、地下牢獄に放り込まれている事でしょう。

私はノーラン公爵令嬢としての威厳を保ちながら、口を開きました。

「皆様。ジャイルズ様が暴君であった先王ルークの子である事はご存じでしょう」


 18年前、暴君として国民を虐げた先王ルークは現国王にしてわたくしの伯母様であるフローレンス女王陛下によって打倒されました。打倒する際に国は二つに割れ、先王ルークの元で甘い蜜を吸っていた奸賊どもと女王陛下やわたくしの両親、心ある貴族たちは戦い、見事に倒しました。しかし一人だけ先王ルークの関係者の生き残りがいたのです。

 それが生まれたばかりの赤子であったジャイルズ様。先王ルークの数十人いた妾の子でした。

赤子を殺すのはためらわれた女王陛下は、誰もが殺すべきだと訴える中、慈悲のお心でジャイルズ様を生かし、王族としての教育も施されました。

……運が悪いことに、それから10年が過ぎても女王陛下にはお子が生まれませんでした。

 やむなくジャイルズ様は王太子に立てられ、わたくしと婚約を結んだのです。


 「血は争えないとはこの事ですわ……ジャイルズ様は王立学園に特待生として中途入学してきたマーシアに地位をひけらかして交際を迫ったのですから」

「そうです!」マーシアがヘンリーの膝で泣きじゃくりながら叫びました。「私はヘンリーと結婚するために特待生として中途入学を許していただいたのです!あんな気持ち悪いだけの男、死んだって嫌です!」

 ふふ、ジャイルズ様を『あんな気持ち悪いだけの男』と言い捨てるなんて。

ジャイルズ様が絶句しているので、わたくしは思わず笑いそうになりました。

「マーシア、冷静に」

私がたしなめると同時に、骨と皮だけになったヘンリー殿の手で頭をなでられたマーシアは声もなく涙をこぼしました。

 「そんな!?だったらどうして……」クリフトンが呟きました。「マーシアはアンジェラのノートを引き裂いたり、靴に石を入れたり……アンジェラに山ほどの嫌がらせをしたんだ……?ジャイルズ様の婚約者だからって嫉妬していたんじゃないのか……?」

わたくしの両親が鬼のような形相をして、弟が冷静にと二人をなだめています。

「あれはマーシアからわたくしへの言づてですわ」

そう言いながらわたくしは、かつてわたくしの目の前でマーシアが引き裂いたノートの中にそっと紛れ込ませた紙片を手に取りました。

「マーシアの家が貴族御用達の商家である事は存じているでしょう。彼女ならばわたくしが使っているノートと全く同じものを用意し、わたくしの目の前でそれを引き裂きながら、助けを求める内容を書き記した紙片を紛れ込ませる事など簡単ですわ」

驚いたものです。散らばったノートの紙片を集めていたら、中にこんな紙片が紛れ込んでいるのですから。


 『ヘンリーが監禁されています。どうかお助けください』


 「そしてわたくしの社交ダンス用の靴にマーシアが入れた石ですけれども。これは石は石でも音声記録用の魔石ですわ。主に商人同士が契約を結ぶ時に契約を反故にされぬ証拠として用いるものです」

わたくしはその魔石を取り出し、魔力を込めて音声を再生いたしました。


 『あんなクソババアなんかとっとと殺して俺が国王になるんだ!』

いきなり流れた恐ろしい言葉に誰もが絶句し、ジャイルズ様たちは、違う、違うとわめき始めましたが騎士達によって口枷をはめられて黙らされました。

『えー、本当ですかあ?ジャイルズ様が王様になるんですかぁ?でもクソババアって誰ですかぁ?』

マーシアはこんな頭の悪い話し方をする子ではありません。証言を引き出そうと必死なのでしょう。

『クソババアなんて一人だけだ!レブルン王国の女王陛下などと呼ばれているがあんなクソババアとっととぶっ殺して、王太子の俺が国王になるんだよ!そうしたらクリフトンを将軍にしてやって、スチュアートは宰相にしてやるからな!』

『ええー、でもクリフトン様は三男坊?ですし、スチュアート様にはご兄姉がいっぱいいるじゃないですかぁ』

『バーカ!このクリフトンを評価しないクソ親とクソ兄貴どもは牢獄に入れてやるんだよ!』

『そうだ。僕が暗殺教団と手引きしてあんな邪魔な連中は全員皆殺しにしてやる』

『きゃー!暗殺教団なんて怖いー!どうしてスチュアート様が暗殺教団と手引き?しているんですかぁ』

『そんなのは簡単さ。向こうから声をかけてきたんだ。ルーク陛下のただ一人のお子であるジャイルズ様に忠実に仕えている僕に、クソババアを殺して復権しないかとね』

『へえぇー!じゃあ暗殺教団って復権?を狙っているんですかぁ?どうしてぇ?』

『暗殺教団はかつてルーク陛下が支援していた。なのに弾圧し迫害するクソババアが憎くて邪魔なのさ』


 ちなみに暗殺教団とは先王ルークが狂信していた邪神を奉じるカルト教団のことです。

 もうジャイルズ『様』と呼ぶ必要もありません。


 まだまだマーシアがわたくしへの嫌がらせと見せて残してくれた証拠は山ほどありますが、皆様に周知するにはもう充分でしょう。

「マーシアはヘンリー殿が監禁された半年前からわたくしへの嫌がらせと見せかけて、ジャイルズどもの恐ろしい計画をわたくしへ伝えようと必死に動いていてくれたのです。そのおかげでヘンリー殿を救出し、暗殺教団を一網打尽にし、国家反逆を目論む連中を無事に制圧できました」

「で、では……私どもの娘は……!」

オローク夫妻の小さな声が聞こえたので、わたくしは微笑みました。

「ええ。あなた方も最初は驚愕したのではありませんか?」

 幼い頃から家業を手伝い、貴族御用達の『オローク商会』の跡取り娘の責務を果たしていたマーシアが、いきなり一番のお得意先のノーラン公爵家の長子であるわたくしに嫌がらせを始めたのだから。

あまつさえわたくしの婚約者であったジャイルズを略奪して王立学園の内外ではしたない交際を行っている。

「え、ええ……」

オローク夫妻は頷きます。

「わたくしもそうでしたの。ですからマーシアを密かに、徹底的に調べました。マーシアはジャイルズどもと王立学園の内外であんなにはしたない行いをしているのに、家業や学業を一切疎かにはしていなかった。わたくし達が奇妙だと思うには充分でしたの」

 その時に『ヘンリーが監禁されています』の紙片を見つけたのです。

 マーシアの周りにいるヘンリーと言えば、ヘンリー・アーサー・ヒューバートしかいません。外交官であるレンダーン子爵の次男坊で、マーシアの婚約者予定の青年です。マーシアの卒業を待って婚約し、マーシアと手を取り合って『オローク商会』の経営に携わっていくはずでした。その彼が、マーシアがジャイルズどもとはしたない行いを始め、わたくしへ嫌がらせを始めた頃から病気という理由で、遠方の田舎で静養している。

「マーシアも、レンダーン子爵達もヘンリー殿を暗殺教団に拉致されて、泣く泣く従うしかなかったのです」

 ただ、貴族が暗殺教団に肩入れしたことは重罪です。極刑に処されても仕方が無いとはいえ、女王陛下は温情でレンダーン子爵達を特赦して下さると断言されています。レンダーン子爵は有能な外交官であるし、跡取りのギルバート殿も行政官としてとても優秀、レンダーン子爵夫人は慈善家として孤児院を経営して多くのみなしごを救っております。

 子爵の地位は一度は剥奪されるでしょうが、いずれ彼らなら取り戻せるでしょう。

「あなた方もお辛かったでしょう。自慢の娘が突如として愚行を始め、いくらたしなめても叱っても改めなかったのだから」

わたくしが優しく言葉をかけると、オローク夫妻はマーシアに謝りながら声を上げて泣きました。

「すまなかった、すまなかった!お前が何よりも『信用』を重んじていたことを私達が一番知っていたのに!」

「叩いてしまってごめんなさい、マーシア!何も知らなかったとは言え、何てことを……!」

いいえ、とマーシアはヘンリー殿にすがりつきながら家族を見て、目を赤くしながら微笑みました。

「父さんも母さんも、私の自慢の家族です」


 エルヴィス卿とジョシュア卿はもはや怒りのあまりに顔が真っ青になっておりました。

無理矢理に従わされたマーシア達と異なり、彼らの愚息は自ら進んで暗殺教団と組み国家転覆を企んでいたのですから。

「……甘やかして育てたのが間違いだった。もはや、親でも子でもない!」

「この時をもって勘当だ。貴様はもはや我が一族に連なる者ではない!」

彼らは告げると、足早に去って行きました。行き先は女王陛下の所で、不届き者へ極刑を賜るよう懇願するのでしょう。

わずかでも情けをかければ家が取り潰される可能性がありますから。


 そのままパーティがお開きになった後、わたくしは父にエスコートされて、家族で女王陛下の元へ参りました。


 「やあ、姪っ子。良いところに来た。顔を上げなさい」伏していたわたくし達が顔を上げると、女王陛下は微笑まれました。お側にいる王配のガストン様も微笑んでいらっしゃいます。「王命にて、王太子ジャイルズ・アシュトン・ダリル・レッドラップを廃し、アンジェラ・ティファニー・ローレン・アシュクロフトをレブルン王国の第一王位継承者に指名する」

 これはジャイルズどもが国家反逆罪に相当する悪事を働いている事が知られた瞬間から決まっていたことなので、わたくしも覚悟は出来ておりました。

「謹んでお受けいたします」

「よぅし」女王陛下は少し意地悪そうに微笑まれています。「早速だが、君の王配を探す必要があると思ってね。今、ガストンの甥っ子にあたる第二王子が迎賓館にいるのだが……どうだい?」

「国同士の政略結婚ですから、喜んで……」

「いやーそれが、なかなか『まとも』な好青年でね。君にぜひ引き合わせたいんだが」

「女王陛下、わたくしは一応、本日の先ほどに婚約破棄されたばかりです」

「まさかアレを愛していたのか?」

「いいえ、ちっとも。ヘンリー殿のために悪女を演じるマーシアがひたすら可哀想で……」

「では良いだろう。それにこれは王命だぞ?王命だ」

どこか楽しそうな女王陛下の様子に両親が嘆息し、わたくしの弟に至っては少し不愉快そうです。

「姉上、楽しまないで下さい」

ついに父が口にしましたが、あっさりと返されます。

「人生は楽しむものさ、弟よ。それにな、ガストンがいなかったら私が申し込みたいような青年なんだ。中身も外も。良いだろう?」

とうとう、ガストン様も嘆息されました。


 この後のお見合いでわたくしとガストン様の甥っ子であるルイ様はとても意気投合し、無事に婚約はまとまりました。

早くも再来年の挙式に向けて準備が始まりましたが、わたくしはお礼も兼ねてオローク商会に依頼する事を決定しました。


 「貴女は金で信用を買わず、信用で金を見事に生んだわね」

わたくしがそう言うと、質素ですが品の良い装いのマーシアは控えめに微笑み、小さく頷きました。

その指に婚約指輪が光っていたので、わたくしも微笑み返しました。

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婚約破棄は名誉回復のため~頑張った悪女は信用を勝ち取る~ 2626 @evi2016

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