05 ◇―悪との決着―



「実に見事だねぇ。腹が痛い。この痛いってぇのは久しぶり感じたよ。それに、アタシの爪が当たらなかったのも久しぶりだ。いやぁ、本当にいい女だ。殺しちまうのはやめだ。ああ、そうだ。ここは一つ勝負をしないかい?」

 ハイラは、再びアネーサの前に立ち、攻撃を褒め称えたあと、勝負を持ち掛けた。

 何を言い出すんだとゼルンは思うが、現状ハイラに勝てる見込みない彼女がそれに横槍を入れることはできず、自身もそれを理解しているため、その成り行きをただ見ることしかできなかった。

「アタシらは気に入った相手を迎え入れたいときには名を名乗りあって決闘をするしきたりがあるんだ。一旦上下関係を決めるためにね。でだ、アタシはアンタを気に入った。だからよ、森人と妖精はもう放っておいてやるからアタシと決闘をしてくれないかい?ああ、ついでに賭けもしようや。アタシが勝てばアンタはアタシのモノ。アンタが勝てば…。まぁ何でもくれてやるよ」


 ハイラの発言に周囲はざわついた。血の気の多い獣人は、ハイラのその言葉に沸き立ち、森人は戸惑った。その戸惑いは、内心にある葛藤が生まれたからである。


 アネーサがこれを受けてくれたなら自分たちは助かるのではないか。

 約束を反故にされる可能性はあるが、アネーサのあの強さだ。最悪あの頭目さえ弱らしてくれれば、あとは何とかなるかもしれない。

だが、恩人を裏切ってしまう。

 そんな葛藤のなか、唯一ゼルンだけがその提案に納得できず、我慢できずにその決闘に異議をたてた。


「アネーサ殿!そのような決闘は受けなくてもいい!あなたを犠牲にして事の始末をつけさせるわけにはいかない!」

 ゼルンの発言により、高ぶる気持ちに水を差されたハイラは苛立つ。

「アンタのことは気に入っちゃあいるが。今は少し黙ってな。じゃないと殺しちまうぞ…っ!」

 凄むハイラの迫力に竦むゼルンだが、何とか心を奮い立たせて反論する。

「アネーサ殿は恩人だ!みすみすと売ってなるものか!」

 自身より弱いゼルンの口答えに、ハイラの怒りは頂点に至った。

「ああそうかい、なら殺してやるよ…っ!」

 アネーサをすり抜け、ゼルンに向かって一直線に走るハイラ。ゼルンは気丈に構えるが、そのゼルンを誰もが助けようとしなかった。むしろ、他の森人からしたら、アネーサを対価に穏便に済まそうとしてくれているハイラの機嫌を損ねたゼルンに非難の目を向けていた。

 そのなかでただ一人、ゼルンと同じ気持ちのスイギンだけは急いで仲裁に向かうが、老体故か、迫るハイラの速度に追いつけず、その鋭利な爪は寸前に迫り、ゼルンは今度こそ死を感じた。だが、


「アネーサ・オー・チャマールだ」


 ポツンと響いたその言葉に、ハイラは寸でのところで手を止め、声の方向に立つ強者へ顔を向けた。

「名乗るのだろう?私の名だ」

 アネーサの名乗りに、ハイラは口の端をつり上げて、ゼルンを無視してアネーサのいる広場の中央まで戻る。

 アネーサの言葉によって危機を脱したゼルンは、風穴が開くはずだった腹部を抑えながら助かった事へ安堵しながらも、結局何もできない自身の情けない様に顔を歪めてへたりこみ、遅れてきたスイギンに抱えられてゆっくりと後方へ後ずさりした。


 一方で、ハイラは静かに佇むアネーサのもとに戻り、話を続けた。

「やっぱりいい女だなぁ、アネーサ・オー・チャマール。それに、とてもいい名だ…。ああ、そうだ、アタシの名乗りがまだだったね。アタシは ハイラ・プチック。さて、名乗りを貰えたってことは、決闘と賭けを受けてくれるってことでいいのかい?」

「ああ」

「そうか!そりゃ嬉しいねぇ!!アネーサ、手を抜くんじゃねぇぜ?お互い全力で勝負といこうじゃないか!!!」

「いいだろう。正義の力を見せてやる」

「ほう!正義ときたか!!面白い!!!ならば悪の力を見せてやるよ!!!法則技法“向上”!!!!」

 ハイラは法則技法を使い、体中の筋肉が膨れ、着ていた服が弾ける。

「さぁ、第二開戦だぜ!くらいな!!!!」

 鋼鉄のような足を構え、瞬時にアネーサへ蹴りかかった。


 今ハイラが使用した法則技法は、向上の名の通り、自身の身体能力の増強する効果がある。それを元々基礎能力の高い獣人が使うとなると、桁違いの性能を引き出すことができ、その法則技法によって強化されたハイラの蹴りは豪速でアネーサへ迫った。


「いい蹴りだ」

 冷静にその蹴りを見切ったアネーサは、迫るその足に手を置き、勢いに身を任せてふわりと空へ飛んだ。黒く長い髪が風に靡き、天を舞うかのように攻撃を躱したアネーサに、ハイラは瞳を輝かせた。

「やるねぇ!見事だ!!だったらこいつはどうだぁあ!!!」

 ハイラは躱された足を振り下ろし、力強く踏み込んで、空中にいるアネーサに向かって大きく拳を振りかぶった。

 砲丸のように大きなその拳は、空を切り裂くほどの速度でアネーサに襲い掛かるが、当たる寸前で、アネーサは静かに手のひらを拳へ向けた。


 高速の剛拳。アネーサは攻撃を手で受け、その力を利用して体を軸に空中で回転し、カウンターとして、ハイラの頭へ蹴りを放った。

「っぐおぉ!!?!?」

 予想外の攻撃。

 ハイラは、自身の未だ避けられたことのない拳を避けられたうえに、それを利用して繰り出された攻撃に驚く。そして、そのあまりにも重たい蹴りに意識を失いかけて膝をついた。


 隙だらけの姿。ゼルンも、味方の獣人も、誰もが思った。

 くるくると回転するアネーサは上手く地面に着地し、朦朧とするハイラへ鋭い正拳を放つ。

 閃光の追撃。

 だが、ハイラはそれを待っていた。

 カウンターをくらい、確かに意識を失いかけて態勢を崩した。しかし、追撃をしてくるであろうアネーサを罠にかけるチャンスだと思い、あえて隙を作っていたのだ。


 一瞬の間。向上したその動体視力は、恐ろしい速度で迫るアネーサ正拳を捉えた。

 その瞬速の正拳をギリギリで躱し、さらに筋力を向上させた右腕を振り上げた。

「っもらったぁああ!!!!!!!!!」

 下から突き上げる必殺のアッパーカット。地が抉れるほどに強力な踏込みのそれは、絶対に避けられるものではなかった。


 しかし、正義はその魂胆を見透かしており、アネーサは左手を拝むように小さく構えた。

 そして、見抜かれたと思っていないハイラは、必殺の拳で正義を砕こうと勢いを速める。

 その瞬く間に、ハイラはアネーサが片手で小さく拝んでいるのを見た。


 何を考えてやがる?……なに、かまうもんか。もう出しちまったんだ、その考えごとぶっ壊してしまえばいいさ…っ!!!そう思い、さらに勢いを加速させた。


 命を嚙み砕く獰猛な獣の牙のような攻撃が構えた左手を横切るその一瞬、その刹那。アネーサはその恐ろしい攻撃に左手を添えて軌道を逸らした。

 通り過ぎるその強烈な勢いにより、手の皮は擦り切れ、辺りに鮮血が飛び散ったが、ハイラの一撃は辿るべき道筋をずらされ、アネーサの顔面に当たるはずの拳は、彼女の頬を掠めただけだった。


「なんだと!?っがぁああ!?!!」

 避けられたことに驚いているハイラの腹に蹴りが当たる。

 手痛いカウンターのカウンター。必ず当たったと思って気を抜いていたハイラは、アネーサの攻撃をもろにくらってしまい、大きく後退した。

「っまだま…っぐおぉ?!!」

 その隙を取られて追撃をくらい、ゴロゴロと後ろへ転がっていく。が、すぐに立ち上がり、アネーサへ駆ける。

「ちっ!!お返しだ!!!!」

 ハイラは二手三手と続けて攻撃をするが、全て避けられ反撃される。無論ハイラもそれを避けて反撃するが、それもまた避けられて反撃される。


 そんな読み合いの攻防。卓越した技術。強者同士の激闘。

 その見たこともない戦いに、声を失っている森人と大盛り上がりの獣人。

 そのなかで、ゼルンは両者の圧倒的な技量、ハイラの力もそうだが、アネーサの想像を絶した技術に驚愕していた。

(あの頭目、ハイラの法則技法、あの力を使いこなす肉体と戦い方は見事と言う他ない。だが、それを難なく対処するアネーサ殿のあの技量。空を舞い戦う技術、ギリギリを見極める慧眼、増強した獣人に互角する力、年も近いであろう彼女がどうやってそこまで強くなれたんだ…?)

 そう思うなか、目の前の両者は突然動きを止め、静かにいなおった。

殺伐としたなかに、清らかな何かを感じる。

 その不思議な雰囲気のなかで、ハイラは対面しているアネーサの左手を見た。


「さすがアタシが見込んだ女だよ、アネーサ。アンタは強い。強すぎる。アタシの渾身が手のひらを擦りむいただけなんてな。本当に大したもんだ」

 ハイラは左手を対価に、剛拳を躱したアネーサを褒め称える。

「アタシはアンタが欲しい。アタシのモノにしたい。惚れちまったんだよ。その力、その技術、その美貌にさ。…だけど、こんな楽しい決闘をされたらもう我慢できねぇよ…」

 ハイラは大きく体を構え、それを見たアネーサも同じく体を構えて応対する。

「だからさ、アタシの“とっておき”をくれてやる。死ぬんじゃねぇぜ?アネーサ」

「言葉は無粋。かかってこい、ハイラ」

 即答するアネーサの言葉に、ハイラは満面の笑みを見せる。

 血が飛び散り、所々抉れた地面、凄惨な修羅場。それなのに気安い雰囲気の二人。

そんな二人のその問答に、森人も獣人も、ゼルンもスイギンも、戦いを知る者も、疎い者も、その誰もが戦いの終焉を感じた。


「ああ、本当に最高の女だよ…」

 ハイラは、アネーサの闘志に滾る眼差しを愛おしく感じ、そして思った。

 ああ、もう出し惜しみはやめだ。

 アネーサが欲しいけど、仕方ないよな。

 だって、こんなにも強い奴は初めてなんだ。

 だから、コイツとはいくところまでいってみたい…っ!!


「…いくぜ、法則技法“超向上”!!!!」

 法則技法によりさらに増強したハイラは、一瞬でアネーサの懐に入り込み、力強く左足でアネーサの足の甲を踏みつけた。

「ッ!?」

 その踏込みはアネーサの足もろとも地面にめり込み、地へ固定されてしまったアネーサは動くことができず、それを確認したハイラは大きく膨れ上がった右手に力を込める。

「とっておきだ!!!“踏襲一滅”!!!!」

 避けることを封じられたアネーサへ、万全に込めたその力を振るう。

 アネーサは攻撃の軌道を逸らすため、すぐに手を構える。

 しかし、それは間に合わず…、

「ぐぅッッ!!!!!!!!!!」

 凄まじい轟音をたて、暴風を纏うその拳は、アネーサの顔へ当たり、鈍い音をたてる。


 ハイラが放った“踏襲一滅”とは、瞬時に懐に入り、相手の足を踏みつけ、至近距離からの殴打というシンプルな技である。

 シンプル故に強力で非常に残虐な技であり、相手は踏まれたことによって、避けることができないし、その後にある攻撃の衝撃を受け流すこともできない。

 しかも至近距離のため、攻撃の対処が難しく、唯一、アネーサの行った軌道を逸らすということのみが現状で考えられる最善策だが、“超向上”による一時的な加速が、対処方法であるその一手を凌駕した。

 悪は『正義を“踏みにじり”、苛烈に“襲って”、その尊いたった“一つ”を“滅した”』のだ。


(完璧に入った。終わったな、アネーサ…。もったいねぇが楽しかったぜ…)

 踏襲一滅はハイラに十分な手応えを感じさせ、相対する愛しの正義は、その瞳に生気をなくし、ゆっくりと後ろへ倒れていく。


 必殺の一撃による余波、轟いた衝撃に周囲が声をあげる。森人は悲鳴の声を、獣人は称賛の声を。

「ア、アネーサ殿!!アネーサ殿!!!」

 恩人の死。それを予見させた攻撃に、ゼルンの悲痛な呼びかけが木霊する。

 勝負の決着。獣人たちはボスのハイラへ大きな歓声をあげた。

 もう終わった。誰もがそう思った。ハイラもそう思った。


 だが、正義はまだ負けていなかった。


「———次はこちらの番だ」

 獣人の喧騒に紛れて、小さな声がした。

 小さな一言。なのに、その一言で全てが沈黙した。

 ハイラは、目の前の倒れゆく尊い敵から聞こえたその声に、言いようのない何かに襲われた。アネーサから溢れだす何か。その何かに、獣人の勘が警鐘を鳴らす。

 倒れる寸前のアネーサから、その踏みつける足から、爆発する大きな力を感じたハイラは、すぐに臨戦態勢をとる。だが、それは遅かった。


 アネーサは倒れ掛かる体を止め、足で踏ん張って瞬時に体を起こす。

 そして、鼻から垂れる血をそのままに、前に踏み込む。

「私は負けない!正義に敗北はあり得ない!!」

 消えかけた瞳の光は燃え上がり、両の手に力を込め、アネーサは叫んだ。

「いくぞ!!“連撃・御茶丸パンチ”!!!」

 咄嗟に腕を交差させてガードするハイラだが、アネーサは構わずに技を繰り出した。

「うぉおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!」

 猛々しい雄叫びをあげながら殴り続ける。

 その攻撃は、その一つ一つの拳は一打ごとに速度を増していく。

 音を超え、過ぎ去る過去を残し、相対するハイラに数百の拳を見せた。


(なんだこの技は!?まずい!腕が…っ!!)

 強烈な連撃によって、ガードしている手が限界を迎え、それに混じる振り下ろし、振り上げによって、ハイラの両手は弾かれ、無防備な体を晒してしまった。

 その一瞬の時、ハイラはアネーサと目が合った。

「悪よ、覚悟しろ!!!」

 アネーサの言葉に、ハイラに悪寒が走る。

(アレをまともにくらうのはヤバい!!!!!)

 急いでガードをするが間に合わず、アネーサ連撃の一つが掬うようにハイラを殴って宙に浮かせた。

「っぐおぉ!!??」

 浮かされたハイラに連撃の数々が襲い掛かる。

「ぐぐぐぐぐっぅ!!!!!」

 その連撃はハイラを落とさず、重力に逆らって殴り続ける。


 決着が着いたと思っていた森人や獣人は、勝者であるはずのハイラが宙に浮かされて何もできずに一方的に殴られている姿を見て、アネーサとその技に恐怖した。

 だが、ゼルンだけは違った。

死んだと思っていたら力強く甦って再度立ち向かい、形勢を逆転させたアネーサに感動し、そして、その凄惨な力に魅入られた。

(なんという力…っ!なんという技なんだ…っ!正義とは、こんなにも強いのか…っ!圧倒的な力、悪を滅ぼす正義の力…、私が目指すものはこれだ…っ!これなんだ…っ!!)


 色々な想いが渦巻くなかで、連撃を止めたアネーサは腰を落とし、大きく踏み込んだ。

「最後だ!!!“真・御茶丸パンチ”!!!!」

 連撃が止み、落ちてくるハイラの真胸、悪しき心を捉えて、正拳を穿つ。

「っうぐぅあ!!!!!!!!」

 殴られたハイラは吹き飛んでいき、破壊された門の縁へ直撃して、大きな衝撃音をたてたあと、彼女は地面に倒れた。


「まだ…まだ……やれ……る…ぜ………」

 顔をあげたハイラは必死に立ち上がろうとするが、限界を迎えた体が言うことを聞かず地へ突っ伏してしまう。

 視界はぼやけていき、月明かりに照らされるアネーサを最後に映した瞳はだんだんと暗くなっていき、そしてハイラは意識を失った。


 薄暗い奥、遠方まで吹き飛び、立ち上がる様子がないハイラを見たアネーサは、垂れる血を拭い落して、呆然とする獣人たちのほうを向き、彼らに一言放った。

「…勝負は私の勝ちだ」

 獣人たちは、倒れているハイラを一瞥したあと、武器を捨てて降伏する。


 大逆転。その光景を見た森人たちは、アネーサへ大きな歓声をあげた。

ゼルンは素早く獣人捕縛の指揮をして、どこか落ち着かない様子のアネーサに駆け寄る。

「お見事でしたアネーサ殿!お体は大丈夫でしょうか?お疲れだと思いますので、あとは私たちにお任せください…!」

 興奮気味に喋るゼルンに、抵抗せずに森人たちの誘導に従う獣人を見たアネーサは頷いたあと、

「ああ、頼む。だが彼女だけは私が介抱しよう」

 アネーサはそう言い、ハイラが倒れている場所まで歩いていくと、突っ伏して倒れる彼女を優しく抱き上げた。


「ハイラ、君は強かった。君が悪事をやめ、更生してくれたなら、私たちはきっと良き友になれる」

 目を瞑り、気を失っているハイラへ語りかけるその優しい表情に、全員が目を奪われた。

 そのなかでも、しきたりの決闘を重んじて全力の勝負をし、ボスであるハイラを憩う姿勢をみせたアネーサに、獣人たちは深く頭を下げる。

 そして、ハイラを抱えて歩くアネーサを先頭に、警備所まで連行される獣人を見たスイギンとゼルンは、今度こそ戦いが終わったのだと、心から安堵した。


















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