04 ◇―正義の戦い―
襲撃が迫る数十分前、泣きやんだリューカは、集会所に集まるスイギンを含めた大人たちと、一時的に避難している妖精たちに森に仕掛けている法則技法の改善を提案していた。
獣人対策を怠っていたことに対する反省として、すでに数個の草案をまとめており、その中には過激な法則技法もあった。
そして彼女はそれを取り入れようとして説明をしていると、スイギンが口をはさんだ。
「リューカ、あまり過激な発想をするもんじゃない。平和とは流血を前提にしてはならないのだよ」
「けど、このままじゃ私たちはまた危険な目に遭うかもしれないじゃない!黙って殺されろとでも言うの!?」
「そうは言わん。だが、命を刈り取る技法はただの邪法。森人は平和を唱えるために“新たな世界の生命”から知恵を授かったのだ。決して、命を殺めるためではない」
「その“新たな世界の生命”は私たちを助けてくれるの!?お父さんとお母さんを返してくれるの!?平和を唱えたって、それが何になるのよ!?何もしなければ死んじゃうだけじゃない!!」
口論の末、感情が高ぶるリューカの発言に、スイギンたちは沈黙してしまった。
森人族の歴史は、戦わず、戦乱の世でスイギンの言う平和を説いていたために疎まれ、結果として迫害と殺戮に遭い、その挙句にリューカの両親は戦火に焼かれてしまった。
そして、同じく戦火によって両親を亡くしたゼルンの発案により、防衛部隊を組織し、森人は一応の防衛意識を持つようになったが、それでも彼らは戦いには消極的であり、ゼルン以外は戦うことを忌諱しているのが現状だった。
静寂の中、リューカは俯き、小さな声で謝罪する。
「ごめんなさい…、私少し言いすぎた。ちょっと、風にあたってくる…」
そう言うと、リューカは集会所を出ていく。彼女のその様子に心配したモカは、パタパタとその背中を追っていき、集会所は再び沈黙に包まれた。
「…それでも、我々が争い、人の命を奪ってはならんのだ……」
スイギンは弱弱しく呟き、その言葉は集会所へ虚しく木霊した。
…そして、事態は急変する。突如、大きな破壊音が鳴り響いた。
「な、何事だ!?…もしや……」
驚いたスイギンは、聞こえてきた悲鳴と応戦する声色に最悪を想定した。
事態はその想定通りで、獣人族によって村の門が破壊され、多くの獣人が村へ流れ込んできたのだ。
「まずい!リューカたちが出て行ったばかりだ!!誰か、早くリューカとモカを早く連れ戻すんだ!!」
スイギンの指示により、急いで集会所を出ようとする森人と妖精だが、集会所の出口に立つ人影を見て、後ずさる。
「森人ども…よくもやってくれたなぁ…」
そこにはリューカとモカを捕まえ、荒々しく拘束している獣人たちの姿があった。
最悪の状況。獣人が集会所へ入り込んでくる。
そんななか、スイギンは、拘束されている二人を見て心中で安心する。まだ殺されてはいない、交渉の余地はあると。
「…獣人の御方よ。森人の代表はこのワシだ。ワシを殺すなり、売るなりどちらでも構わない。だからその子たちを解放してくれんかね?」
「ああ?何言ってやがる?お前みたいな老人なんか売っても価値ねぇよ。それに、お前らはどの道殺す」
取り付くしまもない彼らにスイギンは焦慮する。このままでは彼らはリューカたちを解放する気はないだろう。そう思い、スイギンは仲間を守るために、ある決断をした。
「それなら、取引をさせてくれないか?」
「取引?何があるんだ?」
その取引は平穏を捨てるに等しいものだった。
「法則技法、ワシたちの技法を差し上げる」
口を塞がれているリューカはその言葉に目を見開いた。そして、それは周囲の森人と妖精も同様である。
スイギンのその提案は、今後森人と妖精族が安息を得ることができなくなるということであり、それと同時に彼らを強化してしまうことになる。
「それは魅力的な取引だなぁ…いいだろう。ちょっと待っていろ」
彼らは話し合い、リューカとモカを解放し、スイギンの腕を掴んだ。
「来い。ボスに会わせる。お前らは取引が終わるまでここで見張ってろ」
獣人の一人がスイギンを連れて行き、指示された数人の獣人が見張るなかで、残された人たちは集会所で縮こまり、絶望していた。
スイギンは、命を守るため、防衛の秘密を彼らに渡した。それは、リューカとモカを助けるためなので正しいことではあるが、その代わり森人たちがこの先無事に生きていける保証がなくなることになる。その事実が、彼らを大きく絶望させた。
それに、リューカは自分のせいでそうせざるを得なかったスイギンのその行動を責めることはできず、自分が必死に考え、また誰かを失わないように、やっとの思いで開発した法則技法を簡単に奪われることが悔しく、声を殺して泣いた。
(クソっ!クソっ!クソっ!!!)
殺してやりたい。リューカは獣人たちを睨みそう思った。
平和なんてない。戦え。戦って、こいつらを殺してしまえ。けど、勝てるはずなんてない。逆に殺されて終わりだ。それにスイギンの行動が無意味になってしまう。
そんな葛藤が彼女の心を苦しめる。
跪き悔しさに震えるリューカを見て、獣人たちはいやらしく笑いだす。
「お前らはもう終わりだよ。約束なんて弱者相手なら反故にするぜ、ボスは」
「ああ、だからここで潔く死んでおくか?」
二人の獣人の言葉に、リューカは我慢できず、勢いよく立ちあがった。
「何よそれ!!いい加減にしなさいよ!!!私たちが何したっていうのよ!?あなたたちが悪いのに何で私たちが苦しまなきゃなんないのよ!!弱い相手なら何してもいいっていうの!?!!」
リューカは声を荒げて訴えた。だが弱者の嘆きは、悪には届かなかった。
「ああ、弱い奴には何してもいいんだ。そして、生意気な弱者は先にくたばるんだよ」
獣人は抜いた剣を大きく振り上げた。
その光景に森人と妖精は目を瞑った。凄惨な結果を予想して。
だが、その予想は外れることになる。
なぜなら、その弱者の嘆きは正義に届いていたからだ。
「なら、生意気な悪が先にくたばれ」
「え?…っぶげぇぇええええ!!!!!!!!!!」
突如として現れたアネーサによって、リューカに襲いかかる獣人は殴り飛ばされ、彼はその勢いで壁に激突してめり込んだ。
獣人たちは、突然の襲撃に呆然としており、当然その隙を逃さないアネーサは、突っ立っている獣人たちに目を向け、拳を硬く握った。
「…悪党ども、私が相手だ」
そう言うと、彼女は残っている獣人にその武力を行使した。
彼らは瞬足で駆けるアネーサに対応できず、そのまま抵抗する間もなく殴りつけられ、勢いよく床にめり込み、断末魔をあげることもできずに意識を刈り取られた。
そして、弱者の悪夢は瞬く間に終わったのだった。
アネーサによってすぐに制圧され、その状況に理解が追いついていない森人と妖精たち。そのなかでリューカはいち早く状況を理解し、アネーサに駆け寄り縋りついた。
「アネーサ様!先ほどスイギンが連れて行かれたの!早く行かないとスイギンと村の秘密が危ないんです!お願いします、助けてください!!」
アネーサは焦るリューカを落ち着かせるように頭を撫でると、その言葉に応えた。
「ああ、任せろ。君たちは厳重に戸締りしてここに隠れていなさい」
そう言い、彼女はもの凄い速度で広場へ駆けて行った。
「お願いします、アネーサ様…!!」
リューカは正義の背中に願った。
スイギンを、家族を助けてと。
自分の発明を、誇りを守ってと。
◇
広場で戦う森人たちは劣勢だった。
獣人の群れはかなり多く、少ない防衛隊だけでは対応しきれておらず、また、圧倒的な戦力の差を前に彼らの士気は下がり、その目は村の結末を悲観していた。
隊長のゼルンも、隊の意力を感じてか、村を守るという決意が挫けそうになるが、それでも彼女は戦い続けた。
(アネーサ殿が皆を助けてくれている…。それまで持たせるんだ…!)
幸いなことに、まだ誰も死んではおらず、それだけが隊の最後の士気となっていた。
だが、その最後の士気も砕け散ることになる。
「皆、もういい。争いをやめよ」
その一言が、彼らを絶望に追いやった。
「スイギン老…」
ゼルンは捕まっているスイギンを見て、力なく武器を手放した。
そして争いは収まり、一方の少数は絶望に膝をつき、一方の大群は彼らを嘲笑した。
スイギンは、その中にいる一際大柄な半獣人の女性の前に連れていかれ、跪いた。
「おぬしが獣人族の頭目殿かの?」
「ああ、そうさ。それで、老人がアタシに何のようだい?」
獣人族を束ねる頭目 ハイラは、目の前に跪いた老人を見下ろした。
「取引がしたい。ワシらの法則技法を差し上げる代わりに、森人と妖精から手を引いてはくれんかね?」
「ほうほう。そいつは魅力的だねぇ…」
取引の内容がうっすらと聞こえたゼルンは青ざめた。それは、集会所での森人たちと同じ理由である。故に、彼女は落ちている剣を素早く拾うと、俊足でスイギンに駆け寄って、ハイラに立ちはだかった。
「おや?頑張ってた森人じゃないか。このアタシに剣を向けるたぁ大した度胸だねぇ」
「やめなさい!ゼルン!」
余裕な顔でゼルンを見るハイラと、彼女の行動を慌てて警めるスイギン。
「私はここで死ぬ覚悟がある!スイギン老、だから平穏の秘密を、リューカの決意を簡単に渡してはいけない!!」
「仕方がない…、仕方がないのだよ…ゼルン。流血を防ぎ、平和を説くとはそういうことなんだ…。正義が悪に染まってはならないのだ…!」
「…その結果また絶望に囚われるなら…、悲しむ誰かを眺めるだけの正義など私はいらない!!皆の平和を築くために私は悪になる!!悪になってやる!!!」
その発言に、スイギンは言葉を失った。それは、ゼルンの心からの叫びだったからだ。
「いいねぇ!森人の勇者よ!その心意気は見事だ!!だが、忘れちゃいねぇか?アタシたちはそのちっぽけな決意より強いんだぜ?」
黙ってゼルンたちのやり取りを見ていたハイラは愉快そうにそう言うと、ゼルンの構えた剣を掴み、いとも簡単にその剣を折った。
「所詮、お前たちはこの剣と一緒だ。決意があろうと、何をしようと、こうやって心を折られてお終いなのさ」
ハイラはゼルンの首を掴み、苦しむ彼女を持ち上げた。
「そこの老人に免じて森人と妖精は生かしてやろう。だが、この村はアタシたちが支配する。アンタたちは大切な労働力だ。盗みに殺しと、色々と教えてやるよ。なったんだろう?悪にさ…」
手を離され、力なく地面に落ちたゼルンは苦しそうに咳き込み、慌ててスイギンが駆け寄り、彼女の背を擦ると、眉をひそめてハイラに抗議した。
「…取引が違いますぞ、頭目殿」
「いや、もちろん法則技法も貰うよ。だが、そっちは二つも助けろと言い、差し出すものは一つっていうのはアンフェアじゃないかねぇ?」
身勝手なハイラの発言にゼルンは顔をあげて睨んだ。
「ゴホッ…賊が屁理屈を…!!」
ゼルンは、瞬時に立ち上がって欠けた剣を振るうが、その一太刀も、ハイラには通用しなかった。
「不意打ちかい?可愛いねぇ、悪の見習いはさ」
その剣は摘ままれており、ピクリとも動かせなかった。そしてそのまま剣を取り上げられて丸腰となったゼルンは、唖然として弱弱しく尻もちをついた。
「残念だねぇ…。本当に残念だ。悪の先輩として一つ助言をしてやろう。ボスに逆らうな、だ。悪の世界だとボスに逆らうと酷い目に遭うんだよ。だから、少しお仕置きしてやる」
鋭く尖った爪を向けられ、ゼルンは恐怖して後ずさる。そして、それを間近で見るスイギンはハイラへ頭を下げながら懇願した。
「と、頭目殿!この者へはワシから言って聞かせます!!ですので、何卒ご容赦を!!」
「ダメだねぇ、コイツはもう悪を名乗ったんだ。だったら悪のルールに従うのが常識だろう?」
食い下がるスイギンは取り押さえられ、迫るハイラに、ゼルンの目は恐怖に覆われた。
「その目、それが大切なんだ。ボスには恐れて服従しなきゃならねえのさ」
爪を研ぐハイラとニヤける獣人たち、人質のように押さえつけられているスイギンと隊員たちを見て、絶望したゼルンは、巨悪を前に、正義を諦めかけた。
その時だった。
「そこまでだ」
凛と聞こえたその言葉に、誰もがその声の方向を向いた。
「悪党ども、ここからは私が相手だ」
そこには堂々と立っているアネーサがおり、その姿を見た誰もが息を飲んだ。
それはハイラを含む獣人たちも同様で、突如として現れたアネーサに唖然としている。
「何もしないのか?なら、こちらから行くぞ…!」
アネーサはポケットに手を入れて木の実を取り出すと、数個ほど親指でそれを弾いた。
その木の実は異常な速度で飛んでいき、スイギンたちを押さえつける獣人たちの額に当たって、彼らは小さく悲鳴をあげて倒れる。
そんな仲間たちを見て呆気にとられているハイラを前に、ゼルンは勇気を取り戻して素早くスイギンたちへ駆け寄った。
「大丈夫か!?スイギン老!隊の者たち!早く立ち上がって体制を整えろ!怪我人は避難し、他は人質の救助するんだ!この好機を逃すな!!」
ゼルンの叱咤に、我に返った隊員たちは、スイギンと怪我人を優先して逃がしたあと、人質の仲間を助けだして、ゼルンが殿を務めるなか、その場からアネーサのもとへ走りだした。
もちろん、それを追いかける獣人たちだが、アネーサの木の実による援護射撃によって撃退され、ゼルンを最後に、取り押さえられていた森人は全て解放された。
アネーサの助太刀により、形勢は逆転していた。多くいた獣人のほとんどは額に木の実を食い込ませて倒れている。ゼルンの見たところ、死んではいないみたいで、殺生を嫌う森人からしたら奇跡ともいえるその手腕に、悲観していたその目は希望を取り戻した。
逆に獣人たちはアネーサのその攻撃手段に困惑している。木の実によって腕を折られた前衛部隊の一人から作戦の失敗を告げられ、復讐としてやってきたこの村にその原因がおり、そしてその原因は異常なほどに強かったからである。
だが、そのなかに一人だけ笑顔の獣人がいた。
「やるねぇ、アンタ。話には聞いていたが中々に大したもんだ。思わず呆けてしまったよ」
ハイラは、残る獣人を下げさせて広場の中央まで歩き出す。
「アンタ、見たことない種族だねぇ。それにその服も見たことないなぁ…異国の出身だろう?まぁ少し話をしようや」
ハイラの呼びかけに応じたアネーサは同じく中央まで歩き出し、両者は対面して立ち合った。
アネーサは自身よりも少し大きいハイラを見上げ、一方のハイラは、少し小さいアネーサを見下げた。戦いの予兆、二人の瞳は静かに燃えていた。
「ほう…いい女だ。鋭い目つき、その体、その腕、その足…。どれをとっても一級品の戦士だねぇ。おまけに顔も体つきも髪も綺麗だ」
ジロジロとアネーサを見て、彼女は獰猛に笑った。
「あの森人の勇者も十分に見込みはあるが、アンタは最高級の獲物だねぇ」
「…何が言いたい?」
「何が言いたいかって?それはな…、アンタをぶっ殺したいってことさ!!!」
ハイラは鋭い爪をアネーサに振りかざした。
瞬速の不意打ち。
だが、卑怯の極みとも言えるハイラの攻撃は、アネーサには当たらなかった。
なぜなら、ハイラは腹部に衝撃を受け、後方に吹き飛ばされているからだ。
遠ざかっていくアネーサの拳を突き出した姿を見たハイラは、だんだんと理解がおよび、腹部に強烈な痛みが襲いかかってきて、ようやく彼女は攻撃をされたのだと気がついた。
だが、気がついたときにはすでに遅く、壊れた門を過ぎ去り、村の外まで吹き飛ばされ、森の暗闇へ消えていった。
一瞬の決着に、誰もが愕然とした。そのなかで、唯一アネーサの実力を聞かされていたゼルンは、恐る恐るアネーサに声をかけた。
「ア、アネーサ殿…、もう終わったのでしょうか…?」
アネーサはハイラが飛んで行った暗闇を見つめたまま動かず、彼女は背にいるゼルンに振り向かずに答える。
「まだだ」
言葉通り、暗闇から平気な顔で歩いてくるハイラが見えた。
その顔は笑っており、痛む腹をさすりながらではあるが、まだまだ余裕な雰囲気をだしており、それは戦いが終わっていないということとゼルンは理解した。
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