【Gone Angles】

 愛する妻がいた。幼い頃から隣にいて、笑顔も涙も、全てを2人で共有していた。すこし怒ったような顔も可愛らしく、そして笑顔は太陽のように輝いていた。私を明るく照らし、いつまでも共に一緒にいようと約束していた。そして彼女の腹の中には、私たちのかけがえのない愛の結晶が宿っていた。何てことのない毎日がとても暖かく、そして素晴らしいものだった。


 ────あの日が来るまでは。





 ちょうどその日、私は仕事の都合で少し離れた場所へと移動していた。日帰りなのでとくに変わったやり取りはすることなく、いつも通りお互いに行ってきます、いってらっしゃいを言い合って仕事へと出掛けた。今思えば、仕事を投げ出してでも家にいればよかった。今さら後悔してももう遅いのは分かっているが。

 帰りは少し遅くなるかもしれない。そう伝えたときの妻はそれでも笑顔で、帰ってきたら好物のおそばつくってあげるからね、と言ってくれた。その言葉もあってか、私は遠方で与えられた仕事を、いつもとは比べ物にならないくらいの速さで完成させるに至った。途中予想していなかった追加の仕事も増やされてしまったが、それもさっさと済ませた。とにかく早く仕事を終わらせて彼女のもとへ帰りたかったのだ。異様な早速さで仕事を片付けてしまうと、それ以上余計なものを増やされる前に、さっさと身支度を整えてその日の現場から逃げるように退勤をした。後ろから慌てて止めにきた声も聞こえてきたが、そんあものに構っている暇はない。ただただ、彼女が待つあの場所へ戻りたかった。早く帰りたい、帰って彼女を抱き締めたい。ただその一心で、私は車を家まで走らせた。


 だが、帰ってきてまず目に飛び込んできたのは、やけにうるさい人だかり。その奥には、白と黒と赤で構成された車が何台か。そしてさらに奥には白と赤の大きい緊急車両。その中に運ばれていくのが見えたのは、見間違えるはずのない妻の姿。必死になって人だかりを掻き分け、黄色と黒で構成されているテープの近くにいる、警察とおぼしき人物に声をかけた。


「何があったんですか、私の妻は無事なんですか、子供は、家は……」


 必死の形相で叫んだ私に、その人物はまずは落ち着いて、と私の肩を叩いた。落ち着いて、と言われて落ち着けるものならそもそもこんなに必死になっていない。そんな私を見かねたのか、まずは場所を移動しましょうと言ってくれ、私はその人に付き添ってもらい、話を聞くために警察署まで向かう。

 警察署の中で人の気配がない部屋に通してもらった私は、そこで耳を疑うような話を聞かされることになった。


「結論からお伝えしましょう。非常に辛いお話になります。……貴方の奥様とお子さんは、殺害されました」


 瞬間、息が止まる。


「犯人はすぐに逮捕いたしました。17歳の少女です。動機は……あまり口にしたくはないのですが、お伝えします」


 それ以上聞きたくなくて、私は目を閉じ極力音が入らないように聴覚の機能を限りなく低下させる。聞くな、話すな、これ以上もう何も言わないで欲しい。だが、そんな思いも虚しく、残酷に語られる。


、と」


 次に気づいた時には、私はベッドの上だった。どうやらあまりのショックに気絶をしてしまっていたようだ。見回りに来た別の警察官がそう説明してくれた。気分が優れないようならまだ休んでいいと言われたが、何となくもうここにはいたくない気がして、私はそれなりに誤魔化すと、手荷物をもって警察署を後にする。流石に家には入れないので、近くにあった鍵付きの個室があるネットカフェで夜を明かすこととした。


 何故、妻と子供は殺されなければならなかったのか。何故、暇つぶしと興味本位とかいうクソみたいな理由で、殺されなければならなかったのだろうか。タチの悪いことに犯人は未成年の高校生だ。法で裁こうにも、少年法というものが邪魔をして実名報道も死刑も免れてしまう。こんなにも今、少年法というものが恨めしく思ったことは無い。

 私はこれから、何を導として生きていけばいいのだろう。妻と子供がいっぺんに消えてしまった以上、私がこの世に留まる理由はない。死んでしまったのなら、私も後を追うまでだ。

 と思っていたのだが、その日に見た夢の中で、妻が私に向かって「まだ来ちゃダメよ」と言ってきた。どうしてそんなに酷いことを言うのだろう。いつまでも一緒にいると約束をしたじゃないか。私は必死になって妻の元へと手を伸ばす。

 しかし伸ばした手は彼女の元へ届くことなく、まるで霞のように消えていった。何度つかもうとしても掴むのは空気だけ。何故だ、なぜ私を拒んでしまうんだ。

 

 私は未だにネットカフェで過ごしている。行くあてもなく、ただただあの日起こった事件の情報などを見ているだけ。それ以外は飯を食ったりシャワーを浴びたり、ただそれだけ。まだ家には帰れていない。あの地獄のような光景があるのであろう家は、毎日警察の立ち入り調査が入っている。妻と子供が過ごした最後の場所に。



 私は、その2人の天使がいる地獄に、未だにたどりつけていないのだ。



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イト・弓可可 サニ。 @Yanatowo_Katono

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