見えない人

増田朋美

見えない人

最近はインターネットの時代と呼ばれていて久しい。もちろん、調べ物をするときにもネットは大変役に立つが、最近はそういう感じでも内容だ。単に調べ物するときの道具だけではなくて、別の意味でインターネットを利用する人もいる。例えば仕事を探すとか、ほしい商品を買うとか、その程度であれば、まだ健全と言えるだろう。だけど、インターネットを大事にしすぎるせいで、他のことに目を向けられなくなると、また大変な事になってしまうんだと思う。

その日も、製鉄所に来訪した杉ちゃんは、今日は、道路が混んでいてタクシーが時間がかかりすぎてしまったと言いながら、四畳半にはいってみると、水穂さんが珍しく布団から起きてきて、

「ちょっと、影浦先生を呼んできてもらえないかな?」

と杉ちゃんに言った。

「どうしたの?なにかトラブルでもあったか?」

杉ちゃんがそう言うと、

「はい。宮下さんのことで。」

と、水穂さんは言った。

「宮下。ああ、宮下美樹さんね。彼女がどうかしたのか?」

杉ちゃんが言うと、

「はい。今朝から様子がおかしいんだよ。なんだかメールで酷いことを言われたみたいで、ずっと泣いてるんだ。僕らが、何があったのか聞こうとすれば、さらにひどく泣き出すし。」

水穂さんは心配そうに言った。

「それで、彼女は今どこに?」

杉ちゃんが聞くと、

「今食堂に居るんだけどね。ずっと泣いていて、他の人がなだめても、辛そうだから。」

水穂さんに言われて、杉ちゃんは、

「ああわかったよ。えーと、これを押せば影浦医院にかかるんだよね。」

と言って、自分のスマートフォンを取って、ラインを開き、影浦医院と書かれたアイコンを開いて、そこから電話ボタンを押した。最近のスマートフォンは便利なものだ。そうやって、アイコンさえどんなものかわかっていれば、番号を把握して置かなくても、相手に電話がかかってしまうのである。

「もしもし、影浦先生。実はいつまでも泣いていて、立ち直れない精神疾患の女性がいるので、ちょっと相談に乗ってもらいたい。よろしく頼む。」

と、杉ちゃんが言うと、影浦先生は電話の奥で、患者さんの名前を聞いた。杉ちゃんが宮下美樹という女性だと答えると、

「わかりました。それでは、15分ほどお待ち下さい。すぐに支度をして、そちらに伺います。」

と、影浦先生は落ち着いた感じで言った。とりあえず杉ちゃんは電話を切って、水穂さんにあと15分で来てくれるってと言った。杉ちゃんは、寝ていたほうが良いのでは?といったが、水穂さんは彼女のことが心配なので、待っていると言った。そういうふうに人の為なら自分の事は後回しにしてしまう水穂さんに、杉ちゃんはちょっと気を使いすぎではと言った。

「こんにちは、影浦です。患者さんはどちらですか?」

玄関先から、影浦先生がやってきた。薄紫の、細かい麻の葉模様の着物に、紫の袴を履いて、医者らしく十徳羽織を羽織った影浦先生は、杉ちゃんから食堂にいると聞いて、すぐに食堂に行った。

「はじめましてですかね。精神科医の影浦千代吉と申します。患者さんの宮下美樹さんはあなたですか?」

影浦は、食堂の椅子に座っている女性に声をかけた。

「はい。もう私、生きていかれない。あの人に捨てられちゃったら、生きていかれない。あたしは、ずっと一人ぼっち。これからどうしたら良いんでしょう。」

宮下美樹さんは、影浦先生の着物の袖を引っ張って言った。

「わかりました。そのあたりのことは、落ち着いたら伺います。まず初めに、あなたはとても興奮状態にあるようです。なので始めに、落ち着いていただかなくては。ちょっと腕を出してください。」

宮下美樹さんはその通りにした。影浦先生はその腕をアルコールで拭いて、持っていた注射を打ってくれた。それのお陰で美樹さんは、数分後に泣くのをやめてくれた。

「ああ良かった。落ち着きを取り戻してくれてよかったよ。何かぶっ壊されるよりずっと良いぜ。」

杉ちゃんが言うと、

「ごめんなさい。」

と、美樹さんが言った。

「それで、何があったか、話していただけますか。小さなことでも良いのです。精神科の診察は、人間関係を聞くことから始まります。悪性腫瘍は取ってしまえば何も影響しませんが、精神疾患の場合、悪性腫瘍が生きている人間であることから難しいんですよね。そして、患者さんのお話が全てということになるのも難しいんです。」

と、影浦先生は、美樹さんの前に座った。

「そうだそうだ。それでは、お前さんの話をちゃんと聞かせてもらわなくちゃ。泣いているだけで、免除するなんて思うなよ。他の病気の患者さんだって、ちゃんと頭が痛いとか、足が痛いとか言うんだから。精神科でもそれは一緒だよな。そうだろう?影浦先生。」

杉ちゃんがそう言うと、

「ええ。理想的にはそうなんですが、まずあなたの分かるところから話してください。」

影浦先生は優しく言った。

「はい。私は、とても好きな人がいたんです。」

美樹さんは話し始めた。

「それはどんな人だ?とても優しくて親切か?それとも身長が高くて、どっかの芸能人みたいなやつかな?」

と杉ちゃんが首を突っ込む。

「いえ、そういうことじゃありません。メール友達だったので、どんな顔をしているとか、容姿がどうのということは考えたこともないです。」

「何のメディアでやり取りしていたんですか?メールですか。それともラインですか?」

影浦先生が、彼女にきいた。

「はい。あたしがやり取りしていましたのは、メールでした。あたしは、ラインは検索が難しいところがあって、メールでやり取りするほうが好きなんです。それに長文も大丈夫だし。だから、Gメールでやり取りしていました。」

美樹さんは、そう答えた。

「どういうところで知り合ったんでしょうか?SNS?」

影浦が聞くと、

「いえ、SNSではありません。掲示板サイトです。SNSですと、心の病気の事を投稿できないことがあるので、それよりも、掲示板のほうに投稿していました。そのほうが確実に人が来ますしね。どうしても友達が欲しかったので、そこで直接メールしてもらってやり取りして。」

と、美樹さんは答える。

「そうなんだね。掲示板か。今どきにしてみれば随分古臭い手段だな。今はSNSで知り合うことが多いのにね。」

杉ちゃんが言うと、

「そうなんです。でも、心の病気持っていると、SNSより掲示板の方を使いたくなるんですよ。それで、私は掲示板に投稿したんですが、何人か応募してくれた人はいました。ですが、大概話すことがなくなって短時間で終わりになることが多いんですけど、何故か、長く続いてくれた人がいました。東北地方に住んでいらっしゃる方で、良く私の話も聞いてくれました。私が、家庭に居場所がなくて、こういうところに来たいと相談を持ちかけたときに、その人が、話を聞いてくれたりしたんです。だから私は、その人が好きになりました。静岡と、東北では、あまりにも離れすぎていて、お会いすることはできないですけど、でも、話は聞いてくれたし、こうしたら良いって言ってくれたりもして。それで私は、毎日が楽しくなりました。」

美樹さんは話を続けた。

「それで、相手の人の経歴とか、顔とか、そういう事も一切わかってなかったの?」

杉ちゃんが聞くと、

「はい。本名も年齢も、何もわかりませんでした。でもそれで良いと思っていたんです。それ以外のことは知らなくてもいいかなって。だって、私の悩んでいることなんて、家族も、まわりの人も聞いてくれないし、信じてもくれないんですよ。だから、インターネットで話すしかなかった。それを続けていくためにも、それ以上彼のことは、話さない事にしてました。ただ、東北に住んでいる人、程度にしていました。」

と、美樹さんは答えた。

「はああ、なるほどねえ。顔も名前も住所も分からないで、そうやってお付き合いしようとしたのか。なるほどねえ。僕にはとてもできない行為だな。そもそも、そういうやつをどうして信用してしまうんかな?」

「同じ病気だったから。」

美樹さんは、杉ちゃんの質問に即答した。

「同じ病気。ああ、精神関係ね。でも、そうじゃないかもしれないじゃないか。もしかしたら、全然健康なやつだったかもしれないぜ。そういう事はよくあることじゃないかよ。それは確かめなかったの?」

杉ちゃんが聞くと、

「ええ。でも私の話にアドバイスくれることから、本当に病気なんだなとわかりました。昼間の時間にメールができて、働いている人じゃないなってこともわかったので。それで、一日ずっとメールしていたかったんです。ただ、ここからが非常にきつくなっていくのですが。」

美樹さんはそういった。

「きつかったら、いつでも中断していいですから、安全なところから少しずつ話してください。」

と、影浦先生が言うと、

「はい。私がこちらに通うようになって、なかなかすぐにメールの返信ができなくなったんです。また私が、風邪を引いて、メールをするのがしんどくなった事もあったんです。ですがその人は、毎日のようにメールを送り続けて、時には、読むのに数分かかってしまうような長いメールを一日何回も何回もおくりつけて、返事をしてくれとせがむようになりました。私が、体調が悪いのでメールをしないでくれと言っても、全然聞いてくれなくて。毎日何十行ある長いメールを、一日何回も送りつけられて、私は返信するのが負担になってきたんです。その中には、愛しているとか、そういう言葉もあったんですけど、それではなんだか馬鹿にしているようにしか見えなかったんです。返事をしなければ、してくるまで何十行のメールを送り付けてきて。私が、体調が悪いのでメールはやめてと言っても全く効果なくて。でも好きな人だから、我慢しなければと思って、私は返信はしていたんですが。」

と、美樹さんは少し涙をこぼして言った。

「その長いメールとは、どんな事を送ってきたんでしょうか?」

影浦先生が言うと、

「ええ、運転免許の取得のこととか、大学に行くとかそういうことでした。同じことを繰り返し話すんです。他に話題はないのかと私は思いましたけど、それで次々と考えが湧いてきてしまうらしくて、時には正反対のことを、メールで送り付けてきた事もありました。他に、自動車教習所の共感の態度が悪いのでやめさせたいなどの嘆願書を書いて、その原稿を送り付けてきたこともありました。いずれにしても、私が返事を返すまで、それが何回も送りつけられるものですから、私は少し怖くなってしまって、彼と距離をおきたいと思いました。なので体調が悪いから、メールは出さないでくれと言いましたが、なんて身勝手な人だとか、そういうふうに激怒されてしまって、また続けないと行けないような雰囲気に変わっていったんです。」

美樹さんはそういった。

「その長文で長々メールを送り付けてきたのは、お前さん側になにか変化があったからか?」

杉ちゃんが聞くと、

「ええ。私が、こちらの施設に通うようになってから以来だったと思います。それまでは、メールは一日一回でも良かったんです。それがこちらが返事ができないのに、一日に何十回も送ってくるようになり、しまいには、大事な用事があるときにスマートフォンが鳴りっぱなしという事態もあって。返信が来るまで、同じことを送り付けてくるから。」

美樹さんは、小さな声で言った。

「はあなるほど。それでお前さんは迷惑だからやめてくれとか、そういう事は相手に伝えたのか?」

杉ちゃんが聞くと、

「ええ、私も、間接的な表現をするより、ちゃんと伝えたほうが良いのではないかと思って、迷惑だとか体調が悪くて返信ができないとか、しっかり書いて送りました。ですが、いずれもだめで、やはり返事を送るまで、メールを送り続けてきました。内容は、全然変わらないんです。以前してくれた様な東北の気候や名物の話は殆どしなくなって、自分の将来のことばかり喋るようになって、中にはなんで私に送ってきたのかわからないメールもありました。だから私は、、、正直に言えば返事に困ってしまいました。」

「そうですか。それでは、その男性と別れることになった経緯を話してくださいますか?」

と、影浦先生が聞くと、

「はい。私が、少し風邪を引いて、メールができなくなったので、今日はメールを送らないで下さいとお願いしたのに、何回もメールがきました。なので私は、もうメールすることはこの人とはできないなと思ったので、それでもうメールはしませんでした。体調崩して返せないとか、ちゃんと理由をつけて送ったんですけど、全く理解してくれなくて、逆にこちらが身勝手だとか、そういう事を言われてしまうので、もうどうしたら良いのかわからなくなってしまったんですね。私は体調が悪くて送れないと何回書いてもだめなんですよ。ああそうなんだね。じゃあまた明日にするよとか、そういう返事でその時点で終わってほしかったんですけれども、そうしたら随分身勝手と言われてしまうものですから。それで私は、全くメールを送らないことにしました。送れば、何倍も返事が返ってしまうことは、予測できましたから。」

美樹さんはそういった。

「それで私がメールしないでそのまま過ごしていると、昨日突然、あんたにメールするのもこれが最後という件名でメールがきました。その内容には、学歴のこととか、そういう事が書いてあったんですが、内容は今思うと、メチャクチャな内容だったのかもしれません。それ以来、メールが来なくなりました。私は、返事をしたら、余計におかしくなるとわかったので、メールしませんでした。」

「はあ、なるほどねえ。」

と、杉ちゃんは言った。

「お前さんが悪いわけじゃない。それに、お前さんがその人を失ったって、何も人生は変わらないよ。だって本名もどこの人かもわからないわけでしょ。それに、そうやって、相手の話もちゃんと聞けない人何でしょ?それじゃあ、ろくなやつじゃないよ。まあ、それで良かったと思えばそれで良いのでは?」

「そうでしょうか。最初の頃はすごくうまく言っていたのに。なんで、続かなかったとか、私は反省してしまいました。だって、それくらい相談にも乗ってくれたし、話も聞いてくれたんですよ。だから、とても嬉しい存在であることは確かでした。」

美樹さんは、杉ちゃんの話に反論した。

「そうかも知れないけどねえ。やっぱりその人の生活が見えるような関係を築かないと人間関係ってだめだと思うんだ。どんな生活して、どんな感じで暮らしているかがわからんと、人間関係は成立しないよ。もちろん、表面的な関係もあるけど、そうじゃない関係になりたい場合は、絶対生活態度がわからないと無理なこともあるよ。かろうじて、SNSでは写真なんか投稿できるから、まだなんとなくわかるかなってのはあるけど、メールだけでは、それがわからないし、文字だけでしょ。それで、なにかを得ようというのは、本当に難しいよ。」

「僕も杉ちゃんの言うとおりだと思いますね。それに、あなたの居場所がないことや、病気のことを話すのは、本当は見えない顔の人じゃなくて、ご家族とか、そういう人にやってもらいたかったなあ。」

杉ちゃんの話に便乗して影浦先生が言った。

「そうでしょうか。」

黙っていた水穂さんが、いきなり言ったので、みんなびっくりする。

「もちろん家族とか、ご友人に話すことは大事です。必要な事もあるでしょう。でも、だいたい精神疾患を持っている人は、友達も作れないで、ご家族の中にも居場所がない人が多いんです。それで、インターネットの世界に閉じこもってしまうのも、ある意味では仕方ないことです。家族に話してしまうと、きっと怒りとか憎しみなどの特別な感情が湧いてしまって、逆に気持ちを伝えられない状態になる人のほうが多いのでは?そうなると、インターネットを媒介にして、同じ病気の人と知り合えて、その人を現実にいる人以上に頼ってしまう様になるのは、今の世の中だと、そうならざるを得ないんじゃないでしょうか。」

「つまり、どこにも相談するところがないってことか。」

杉ちゃんは腕組みをして呟いた。

「そういうことなんだと思います。ざっくばらんに、自分の思っていること、悩んでいること、そういう事を話せる相手は、昭和の中頃だったらまだいたかもしれないけれど、今の時代はどこにもありません。代わりにあるのは高いお金を払わせて、悩んでいる人に助言をする商売や、あるいは、公務員が行っている法律相談などでしょう。ですが、どちらも、彼女のような精神を病んでいる人には、利用するのは難しいのではないでしょうか。中には、病んでいる人の相談に乗るのではなくて、自分が見栄を貼るため、ネタがほしいからということで彼女に近づいていくる援助者もいますからね。」

「そうですね。水穂さんの言うとおりですよ。なんだか今の水穂さんの一言で、もっと、精神科医として、頑張らなければなと思いましたよ。ありがとうございます。」

影浦先生は、水穂さんに頭を下げた。

「まあ、どこにもないから、現実の世界に、一人か二人は、変わり者がいてもいいって思ってほしいな。僕は高額な相談料も取ることはしないし、変に公務員みたいに威張ったりすることもしないよ。ただ事実は事実として、それをどうすればいいか考えることしかできることはないんだもの。そこを知っていて、なおかつ顔が見える関係ってのが本当の友人関係なんじゃないの?」

杉ちゃんがカラカラ笑うと、

「そうですね。わたし、とんでもない勘違いをしてた。やっぱり人は、顔を見て、話をしないとだめだってことが、今回よくわかりました。杉ちゃん、本当にどうもありがとう。あたしも、これからは、気をつけます。」

宮下美樹さんは、そういってやっとにこやかな顔に戻ってくれた。

「笑顔になってよかったです。それが一番自然な顔ですからね。」

水穂さんが美樹さんにそう返すと、

「ありがとうございます!」

美樹さんは、にこやかに言った。


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見えない人 増田朋美 @masubuchi4996

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