ざまぁ(物理) ~あら失礼、拳が出てしまいましたわ~

星 高目

ざまあ(物理)


 豪華絢爛な城の大広間で開かれたパーティ。第二王子の十五の誕生日を祝うその会場には一目で高価と分かる仕立ての良い衣装に身を包んだ貴族たちが集まっていた。

 主役である王子と、その婚約者である燃えるような赤髪を美しく背中に流した令嬢が大広間の中心に立つ。凛とした立ち姿にあふれ出す気品、高貴な美男美女が最上級の衣装を纏っている様子は思わず会場の誰もが見惚れるものだった。特に王子が浮かべている微笑みは一切の苦労から解放されたかのように明るい。

 王国史に残る事件が起きたのは、国内最高峰の音楽家が集められた音楽隊が記念すべき第一曲目を演奏しようとしたときのことだった。

 二人を遠巻きに眺める観客の中から一人の少女が飛び出した。癖のある金髪がなびき、摘まみ上げられたドレスの裾がふわりと舞う。

 

「アルフォンソ様!」

 

 聴衆の意識の外から舞台に上がった少女ははつらつとした声で王子の名を呼ぶと、勢いのままに抱き着いた。少しぐらつきながら少女を受けとめた王子の笑みが柔らかさを帯びる。

 観客は一様に眉をひそめた。これから始まるダンスの主役の間に割って入って、挙句公衆の面前ではしたなく抱き着くなどと。少女のことを知っているものはこうも罵っていた。男爵令嬢が身の程知らずなことを、と。

 一方邪魔をされた赤髪の令嬢は社交として満点の笑顔を浮かべたままだった。ただしよく見るものがいれば、その細く流れる眉が小さくしかめられたことに気づいただろう。この会場に婚約者である王子にのみ与えられていた特権を冒してそれをする者は居なかったのだが。

 ばっ、とアルフォンソが男爵令嬢を片腕に抱き寄せると同時、空いた片手を大きく広げて広間中に響く声で宣言する。


「シャーロット嬢、私は悪事を働く君との婚約を解消し、ここにいるアリアナと結婚することにした!」

 

 聴衆がざわつく。やはりか、というものが少数、急に何をと戸惑うものが大半。予定にないアルフォンソの行動は大勢の寝耳に水を注いだ。

 勝ち誇った表情でアルフォンソは続ける。

 

「シャーロット嬢、君はアリアナに数々の嫌がらせをしていた。そうだな?」

 

 悪事を問い詰められても赤髪の令嬢――シャーロットの笑みには一つのひびも入らない。ぞっとするほどに美しい、仮面をかぶったような笑みがそこにある。

 

「全く心当たりがありませんわ」

「惚けるとは白々しいな。罪を認める気はないというのか」

「心当たりがないと申しております。そもそもそこのご令嬢とお会いしたのも初めてですから」

「いえ、いえ、そんなはずはございません! 私は確かにこの方から嫌がらせを受けたのです!」

 

 子どもの癇癪かんしゃくのような甲高い喚き声がシャーロットの耳をつんざく。アルフォンソの体に顔を埋めながら放たれたその言葉に、アリアナを抱く腕に力が込められる。

 

「嫌がらせとは?」

「聞くまでもなく知っているだろう」

「先ほどから私の言葉を聞いてらっしゃいますか? 心当たりがないので聞いているのです」

「……罪を認めれば、公に明かさずにおいたものを。ならば私が教えてやろう! シャーロット、君はアリアナにたびたび水をかけて学園の授業に出席できないようにしたり、食堂の者に対してアリアナへ貧相な食事しか出さないように命じ、さらには彼女の母の形見であるブローチを盗んだ! そうだろう? アリアナ」

「はい、全て、全てシャーロット様にされたことです!」

「ああ、大丈夫だよアリアナ。今からこの傲慢な女の悪事を暴いて報いを受けさせるから。だからそんなに泣かないでおくれ」

「ありがとうございます、アルフォンソ様。アリアナは一生あなたについていきます!」

 

 二人だけの、砂糖を吐き出してしまいそうになるほど甘ったるい世界が繰り広げられる。舞台で見る喜劇のようなそれを、シャーロットは冷ややかな目で見ていた。

 シャーロットから笑顔の仮面は既に失われ、見た者がそそくさと逃げ出してしまいたくなるほどに冷めた表情に変わっている。

 しかしアルフォンソとアリアナはその変化に気付く様子もない。

 

「……それだけですか?」

 

 シャーロットの声は一段と低く、心臓を容赦なく掴まれたかのように聴衆は錯覚した。

 

「何を言う。これだけであるはずがないだろう! そうだな、アリアナ」

「はい。他にも色んなことをされて、アリアナは深く傷つきました」

「証拠は?」

「は?」

「私が彼女にそれらを行ったという証拠はあるのですか?」

 

 嘲笑。アルフォンソの口角が歪められる。

 

「そんなもの、アリアナの証言だけで十分だろう。お前は昔から頭がよく回るからはっきりとした証拠など残しているはずもない。それともなんだ? 証拠がないから逃げおおせられるとでも思っていたのか?」

 

 観客は黒幕を追い詰め、堂々と推理を披露する探偵の姿をアルフォンソに重ねていた。

 

「だが残念だったな! こうして俺が白日の下にさらした以上、確たる証拠はいずれ出てくるだろう。諦めろ、シャーロット!」

 

 びしぃ! とシャーロットを指さすアルフォンソに、参加していた貴婦人の一部はうっとりと頬を染めた。一方意味を理解したものは顔を青白くした。

 シャーロットは眉一つ動かさない。しかし彼女の内では恐ろしいほどの魔力が渦巻いていることを、魔法の業前に長けた者は見抜いていた。

 

「陛下、よろしいですね?」

「……うむ」

 

 シャーロットが陛下と呼んだ男は小柄で痩躯の老人であった。最上段でことの成り行きを見守っていた彼は、力なく頷く。

 燃え盛る炎のように渦巻いていたシャーロットの魔力が静まり、その右こぶし一点に集中する。

 

「お前のようなものが父上に声を「チェエエストオオオオオオ!」かべるばぁ!?」

 

 頬を撃ち抜かれたアルフォンソが宙を舞う。鼻から舞った血が美しいアーチを描き、そして白い歯と共に落ちた。アリアナは茫然とした顔でそれを見送った。

 聴衆は静まり返り、拳を振りぬいた姿勢でシャーロットは深く息を吐く。そして大音声でまくしたてた。


「はああああああああ!? 黙って聞いてればなんですのこのおバカ! 当人の証言だけでこんなことしたんですの第二王子ともあろうものが!? 本当に教育受けてきたんですかその脳みそにはお花でも詰まってるんですのこのあんぽんたん! いいですこと? 探しても出てくるのはその女の自作自演の証拠だけですわよ! 大勢の生徒がその女が自分から噴水に入るところを見ていますし、食堂の者にダイエットとか言って食事の量を減らすよう言ったのも、わざわざ移動教室のたびにブローチを机の上に置いたまま帰って行ったのもこの女ですわ! 調べなくてもみんなが噂していることですわよなんで知らないんですのおおおお!?」


 のおお、のおお……とシャーロットの叫びが大広間にこだまして消えていく。音楽隊のトランペットにも負けないほどの大音声だった。魂の叫びだった。

 

「ふきぇ、不敬罪だぞ……」

 

 小鹿のように震える足でアルフォンソが立ち上がる。一切のムラなく純白に染め上げられた衣装が、吹き出した鼻血によってまだらに染まっていた。

 

「王子である僕を、こ、公爵令嬢に過ぎない君が殴るなど! おい、誰かあいつを捕まえろ!」

 

 アルフォンソがシャーロットを指さす。しかし会場に集った人全員がと静まり返ったまま、誰も動く気配はない。

 

「お、おい、誰か!」

「ご心配には及びませんことよ。陛下のお墨付きですので」

「父上!?」

 

 見上げられた老人はそっと目を逸らした。

 

「な、何故こいつの味方をするのですか!? 正義はこちらにあるというのに!」

「しゃあらあっぷ!」「ばるすあ!」

 

 アルフォンソは再び宙を舞った。二度目の鼻血は二重らせんを描いていた。

 

「国王陛下の前で正義を騙るとか正気ですの!? もうほんっとに信じらんないですわ! 馬鹿じゃねえですの馬鹿ですわおバカでしたわああああ!」

「に、にどもぶったな。ち、ちちうえ……」

 

 アルフォンソが震える手を国王に伸ばす。国王は目を逸らしたまま、彼の頬を冷や汗が伝う。

 

「いや、儂ら公爵家より弱いし……」

「そんなはずは……」

「食料は公爵家依存じゃろう? 国防も公爵家おらんようなったら瓦解するじゃろう? そもそも儂ら血筋だけじゃもん」

「そんなものち、父上が一声かければ他の貴族たちも立ち上がるでしょう!? 王家を傀儡化しようとする逆賊を討つのだと! そうだ、この婚約もそのためのものに違いない!」

「何を言っているんですの? この婚約は王家から申し込んだものでしょうに」

「表向きそうするようにしただけだろう? ねえ、父上?」

「いやそんな裏も表もなにもなく、王家が公爵家との結びつきを強くするための政略結婚じゃが」

「そうですね、確かにこんな大勢の前では真実など話せようはずもなかったですね」

「脳だけでなく耳まで花が詰まってますの?」

 

 アルフォンソの言葉は支離滅裂にすぎ、もはや彼の言葉が真実であると信じるものはこのパーティ会場にはいない。

 ただ一人、アリアナを除いて。

 

「アルフォンソ様、王家のためにも私たちの未来のためにも負けないでください!」

 

 引きつった笑顔で満身創痍の王子を励ます彼女の傍に、深紅の影が忍び寄る。

 足音に振り向いたアリアナが見たのは、自らを見下ろすシャーロットだった。

 その威圧感に一瞬ひるんだものの、キッと鋭く睨み返して詰め寄る。

 

「あなたも政略結婚だって知ってるならそこをどいて「歯ぁ食いしばってください、な!」きゃあ!」

 

 腰の入ったビンタにアリアナが吹き飛んだ。それでもアルフォンソのそれと比べれば相当に手加減されたとわかるものだったろう。しかし突然の暴力に茫然とするアリアナは、何が起きたのかを理解するや否や涙をこぼした。

 

「女の顔をぶつなんて、それでもあなた公爵令嬢なの!? この、ひっ」

 

 およそ貴族の女性が吐くべきではない悪態を喉元に飲み込む。彼女の前には怒れる獅子がいた。

 

「この、なんでしょうか。言ってごらんなさいませ。もちろん言葉を吐くからにはそれに応じる責任を取る覚悟はおありですね? それとも王太子妃になろうとするものが責任の意味すらご存じでないなんてことは、まさかございませんよね」

「そ、それは……」

 

 睨まれたネズミのように俯くアリアナに、獅子はなお牙を収めない。

 

「政略結婚だとて、王族に入る以上国に対して責任は生じるものですわ。妃教育に外交、必要なものはすべてこの身に叩きこみました。そこのろくでなしが多少無能でも何とかなるように」

 

 まさかここまでとは思っても居ませんでしたが、とシャーロットは独り言ちる。

 これでは自分がいくら努力したところで、この男は致命的な失敗を遠からずやらかしていたに違いない。

 

「で、でもあなたはアルフォンソ様を愛さなかったじゃない!」

「あの男は始めから私のことを見下しておりましたのに、どうして愛せましょうか。愛がそんなに重要ですか?」

 

 シャーロットの問いかけに、アリアナの目が一縷の希望を掴んだとばかりに輝いた。

 

「ええ、重要よ! 立場だとか政治だとか、そんなものよりもっと大切なことがあるの!」

「アルフォンソ様も同じ考えで?」

「そうよ、ねえアルフォンソ! あなたもそう思うから、私を愛してくれたのよね!?」

「ぐ、ああ、そうだ……。真実の愛以上に大切なものなどない。俺が愛せなかったシャーロットに価値はない!」

 

 血塗れのアルフォンソに駆け寄り、ドレスが汚れるのも厭わず助け起こす少女。彼女を庇うように立ち上がり、見得を切って見せる王子。それは喜劇であればきっと感動的な場面であった。

 しかし現実は非情である。

 

「……だ、そうですよ陛下」

 

 シャーロットは壇上の老人を見やる。老人は額に手を当てて天井を仰いでいた。天井には神話をモチーフとした絵画が描かれているが、この状況において何の助けにもならなかった。

 なお絵画の題名は『王の正義』といい、楽園に住まう初代国王と地獄へ落ち行く愚王を描いたものである。

 愚王は私情を優先するあまり国をないがしろにしたため、彼を唆す息子たちもろとも地獄へ落ちたと言われている。


「あー、うむ。アルフォンソ第二王子並びにアリアナ男爵令嬢を血抜刑に処したのち国外へ追放する。じゃからせめてその拳を収めてやってくれんかの? 流石に殺しては後が面倒でな」

「ご心配なく、ぎりぎり死なないように痛めつける手加減はしっかり学んでおりますわ。とはいえもうこのこぶしを振るう価値すらないようですね」

 

 国王の言葉に刑を言い渡された二人の顔が蒼白になる。血抜刑とはおよそ一リットルの血液と魔力を扱う神経を抜かれた後、注射痕に青い十字架の入れ墨を入れる刑の事である。

 これは大罪を犯した貴族が受ける罰で、貴族が持つと言われている青い血と尊い魔力を神の御名のもとに剥奪されたことを表す。

 立場と魔力を失い、青い十字架は一生消えることなく残り続ける最大級の罰である。

 シャーロットの拳で唸りを上げていた魔力が霧散する。それと同時に衛兵たちが罪人となった二人を確保した。

 

「ちち、うえ……? 嘘だとおっしゃってください。触るな! 僕は第二王子だぞ! 無礼者!」

「そう、そうよ! 嘘に違いないわ! それかあの女が陛下を誑かして……! 誰かあの女を捕まえて! あいつがすべてを操っているのよ! 騙されないで!」

 

 二人は手酷く暴れ、囀る。感情の抜け落ちた目で目配せをしてきたシャーロットを、国王は今度こそ止めなかった。もうどうにでもしてくれと、投げやりな気持ちで頷く。

 ズドン!!

 

「「ひっ!」」

 

 シャーロットが魔力を込めたヒールを振り下ろすと、二人の目の前の床が砕け散る。乳白色の大理石に、深紅のヒールが半分ほどめり込んでいる。

 見上げた二人は、シャーロットの氷点下に冷え切ったまなざしに死を幻視した。

 

「次はありませんわ」

 

 おとなしくなった二人は会場外へと引きずり出されていく。会場は口を開いた者から殺されるのではないかというほどの静けさでその様子を見送った。


*


 その晩の事。主役が罪人になったことでお開きになったパーティを辞して屋敷に戻ったシャーロットは、一通の手紙を受け取った。国王からの手紙だ。

 手紙には今回の事の謝罪と十分な慰謝料を払うこと、今後については公爵家の意向を尊重することが記されていた。二人は既に刑を受けて収監されているとも。

 牢に入って落ち着いた二人は今もなおなにやら喚いているらしい。耳聡いものが言うには、アリアナがアルフォンソの責任を糾弾し始めたことで牢屋は修羅場の様相を呈しているとか。

 しかしそんなことはシャーロットにとってはどうでもいいことだった。手紙を魔法で父の所に送りつけると鍛錬場へ向かう。

 シャーロットのために屋敷に備えられた鍛錬場は無人で、人を模した藁人形が置かれていた。

 そのうちの一体の前に立つと、シャーロットは深く深く息を吐いた。今日吐かれた暴言の数々を思い出す。拳に魔力と怒りを込めた。

 

「お亡くなりあそばせええええええええええええええええええ"!!」

 

 空間ごと爆ぜたかのような重い爆発音が響き、藁人形は塵と化していた。ただ支えとなっていた棒だけがそこに残っている。

 ふうと息を吐き見上げた空は満点の星空だった。一等眩しく輝く星を見て、シャーロットは目を細める。

 

「ほんっと、ろくでもない」

 

 その後屋敷には同じような爆発音と、地獄から届いたような叫び声が何度か響き渡ったのだとか。


 王国史はこの日を愚かな王族が正当なる裁きを受けためでたい日とし、シャーロットの名を拳で国を守った戦女神としてその後数十年の間で起きた重要な戦に記している。

 しかしそれらはまた別のお話。今はただ、奴当たりに消し飛ばされた哀れな藁人形に敬礼。

 

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ざまぁ(物理) ~あら失礼、拳が出てしまいましたわ~ 星 高目 @sei_takamoku

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