第34話 約束と恋人とくちづけと




 考える事が多すぎて息が詰まる。

 俺は席を立ち、外の空気を吸いに行った。


 暫く歩くと小さな小川に辿り着いた。川岸にはプラタナスの並木がある。葉っぱが微かに揺れていた。宇宙船の中なのに、風が吹いているのだ。


「そこにあるプラタナスは、月の居住区にも植えられているのだよ。かぐや様が地球から持ち込んで、月の地下都市や、この船に植樹したのだ」


 声に目をやると、ラー室長がいた。

 俺は答えずに、ぼんやりと小川を眺めていた。

 俺の傍らに、ラーが並ぶ。


「君達には大変な恩が出来たね」


 ラーが言う。


「いいや。恩を受けたのは俺達地球人だ。マリア様が言う通り、俺達が地球をなんとかするべきだったんだ」

「それで割り切れる戦いではなかった。私は全てを見ていたからね。君は人間の身でありながら、悪魔を相手にしても一歩も引かず、あんなを守ってくれた」


 ラーが言った直後、その鳩尾に、正拳突きを叩き込む。程よく鍛えられた腹筋を発勁が突き抜けて、確かな手応えが拳に伝わった。たまらず、ラーは崩れ落ち、芝生をのたうち回る。

 ひぃぃぃぃぃ──。と、耳元で空気を割くような、機会的な音がした。丸い球体型のドローンらしき物が四つ、瞬時に俺の周囲に現れて取り囲む。ラーは慌てて手を振って、「やめろ、問題ない。攻撃禁止」と、ドローンを制止する。

 やがて、ラーが咳き込みながら立ちあがる。ドローンも散開して、何処かへと去っていった。


「ずっと見ていたのなら、どうしてあんなを助けてやらなかったんだ」

「済まない。我々には決まりがあってね。地球の事情に直接関わってはならないのだ。君達がストリクスと呼ぶ連中が、直接、神社に手を出さないのと同じだよ」


 ラーは少しばかり困り顔を浮かべた。


「あんなは……これからどうなるんだ? 太陽に連れて帰るのか?」


 苦い質問をする。


「ああ。一刻も早く母船に連れ帰って、治療を受けさせる必要がある」

「そうか……そうだよな」


 項垂れた俺の肩に、ラーが手を置いた。随分と大きな手だった。


「済まない国士君。君の気持は理解しているつもりだ」

「あんなを頼む。それと……どうしてあんなは、恋をしてはいけないんだ?」

「君達とあんなとでは、寿命が違い過ぎる。同じ時を生きる訳じゃないからだ。五◯◯年ぐらい昔かな。かつて、私にも愛した人がいてね。フランスの、ヴィンチ村の女性だよ。明るくて美しい人だった。でも、彼女の胸の中にはレオナルドという男がいてね。レオナルドも彼女を愛していた。私はレオナルドとも親しくて散々苦しんだのだが、結局は、彼女を奪うことができなかった。でもある時、彼女は病気にかかり、あっさりと他界してしまったよ。レオナルドは、それからは生涯、妻を娶ることはなかった。心底、彼女を愛していたのだろう。私もだ。あれからずっと、この胸の痛みは変わらず、私を焼き続けている。レオナルドは私をスケッチしてくれたことがあるのだが、あれはまだ、地球に残っているのかな? どうであれ、長い時を生きる我々にとって、誰かを失う痛手は大変なものだ。あんなには、私と同じ悲しみを背負わせたくないのだ」

「だから、あんなに防護服なり防護装置なりを使わせなかったのか。タイムリミットが来たら、嫌でも帰らざるを得なくなるように」


 俺の言葉に、ラーは目を見開いた。


「そこまで気付いていたのか。随分と賢い少年だね」

「そりゃ気付くだろ。太陽人の科学力ならば、紫外線を防ぐ手立てなんかいくらでもあるに決まってる。あんたはわざと、あんなにそういったテクノロジーの使用を許さなかったんだ。腹が立つよ」

「弁解の余地もないね。だが、理解してほしい。あんなの心は、あまりにも地球人のそれに近すぎるのだ。地球人と一緒に居るのは、あんなにとって良い事とはいえない。寿命を縮めてしまうからね」


 俺はもう、何も言う気になれなかった。


 ★


 暫くして、俺とラーは仲間達の待つ部屋へと戻った。が、仲間たちの様子がおかしい。

 あんなが、ぐったりとベッドに横になっていた。それを、日向とマリア様が心配そうに介抱している。俺も駆け寄って、あんなの顔を覗き込む。


「これは……思ったよりも重症だね。急いで母船に連れていかなくては」


 と、ラーは懐から小さな機械を取り出して操作した。機械はビー玉に似ていた。

 次の瞬間、あんなの身体が薄い光の膜に包まれて、ふわりと浮かび上がる。


「あんなはどうなるんだ?」

「心配は無用だ。我々の母船に連れて行きさえすれば、すぐに万全の治療を受けさせる事が出来る。必ず助かるだろう」


 ラーは再び機械を操作する。あんなは、空中をふわふわと移動を始めた。俺達は、あんなを追って駆け出した。


 辿り着いたのは、広々とした宇宙船の発着場だった。七メートル程の宇宙船がいくつも停まっている。宇宙船は全て野球のホームベースのような五角形で、金属製だと思われた。

 シュッと、音がして、近くの宇宙船のハッチが開く。「こちらです。早く」と、操縦士パイロットらしき男が声をかけ、ラーが頷きを返す。


「さあ、あんな。お別れの時間だよ。地球の人達にお礼を言いなさい」


 ラーがあんなの髪を撫でる。


「え。じゃあ、あんなちゃんは宇宙に帰っちゃうの? そんな。あんまり急じゃない!」


 日向が焦りを露わにする。俺は日向の肩に手を置いた。


「日向。行かせてやろう」

「な、なんでよ国士。あんなに一生懸命になってあんなちゃんを誘拐までしたのに。命がけであんなちゃんを守ったのだって、あの娘を好きだったからでしょう。本当にそれで良いの?」

「……良いんだ」

「そんな。そんなの、国士らしくない! 本当に……本当にそれでいいの? 二度と会えなくなっちゃうんだよ?」


 日向に言われ、俺はあんなに目をやった。あんなは空中に浮かんだまま、俺に微笑を向けている。

 そう、これで良い。何もかも解っていた。覚悟していたことなのだ。


「では、くれぐれも頼む」


 ラーは、宇宙船の中に居る操縦士と思しき男に声をかける。


「はい。お任せください」


 操縦士が返事をして、宇宙船が微かに輝き始める。やがて、あんなが浮遊してハッチをくぐり、宇宙船の中へと姿を消した。

 日向の肩が、大きく波打って震えている。これで、本当に……。


「…………あんな!」


 俺は突然走り出し、宇宙船へと駆け込んだ。宇宙船は七メートル程度なのに、中は、学校の教室が四つは収まりそうな程に広かった。空間圧縮技術とやらが使われているのだろう。船内は半透明な仕切りで分けられており、隅の、医療区画と思しき場所に、あんなの姿があった。

 あんなは一人、ベッドに横たわっていた。俺はたまらず駆け寄って、しかとあんなの手を掴む。


「ああ、愛しい人。これでお別れなんだけど」


 あんなは蚊の鳴くような声で言った。華奢な身体をしかと抱きしめた瞬間、ポタリと、俺の眼から雫が落ちる。


「あんな。サヨナラなんか言わないからな。忘れるなよ。あんなは何処にいても俺のエロ奴隷なんだ。命令だ。病気が治ったら必ず戻って来るんだぞ。地球人と恋をしてはいけないなんて、そんな決まりは無視しろ。今度は長く滞在できるように、しっかりと紫外線対策もしてくるんだ。約束だぞ」


 俺の頬に、あんなの白い手が触れる。


「はい。愛しい人」


 あんなも微かに微笑して、目から涙を一粒零した。


 ★


 こうして俺達は、宇宙船を見送った。あんなを乗せた宇宙船はふわりと舞い上がり、輝きを放ちながら、ドーム状の天井を透過して姿を消した。


「終わったね。これでもう、本当に全部」


 日向が呟いた。


「いいや。俺達にはまだ、やることが残ってる。そうだろう、マリア様」


 俺はマリア様に視線をやる。


「そうですね。では、今度ギザのピラミッドを調査しに行きましょう。手伝って頂けますか?」


 マリア様はちょっぴり寂しげに、微笑を浮かべた。


 ★


 間もなく、我々は地上へと帰還した。

 神社の社務所では、蓮美とぷうちゃんが俺達の帰りを待っていた。


「もう。遅かったじゃない」


 蓮美は、ぷうちゃんの頭を撫でながらぷりぷり言った。ぷうちゃんは、何故だか、やけに蓮美に懐いている様子だった。


「もう、駄目よぷうちゃん。そんなにじゃれつかないの」


 蓮美は軽くぷうちゃんを窘める。


「エヘヘ。ルーシー、ハスミスキ! オカシ、タクサンクレタ!」


 ぷうちゃんはメイド服のスカートからぴょこりと尻尾を出し、犬みたいにぱたぱた振りながら、蓮美にじゃれついていた。


 ★ ★ ★


 帰り道は、蓮美が自動車で市内へと送ってくれた。みんなクタクタだったけど、悪くない気分だった。窓からの風が心地よい。


「ねえ。ぷうちゃんの事なんだけど……私の組織で預かろうと思うのよね。まさか、ライカンスロープを市街地に放つ訳にもいかないし、戸籍や、教育だってちゃんとしてあげないといけないし」


 道中、蓮美は運転席で言った。


「ダメダゾ! ルーシーハ、ゴシュジンサマヲ探スンダ! ダッテ、ゴシュジンサマハ、ルーシーノママヲ助ケテクレルッテ、約束シテクレタンダ!」

「あら。それは困ったわね。でもね、ぷうちゃん。ぷうちゃんが私の仲間になってくれたら、私達にもぷうちゃんのママを助ける理由が出来るの。必ずママを助けるって約束するから、私達のことも信じてくれないかな? それに、私達のところに来てくれたら、毎日お菓子を食べられるわよ」

「ソ、ソウナノカ? デモ、デモ……デモ」

「あと、私達もね、正義の味方なのよ。ぷうちゃんも正義の味方なら、私達に力を貸してくれないかな?」

「ウ……ワカッタ! ジャア、ルーシー、ハスミノ仲間ニナル! 悪イマホウツカイヲヤッツケルンダ!」


 こうして蓮美は、まんまとぷうちゃんを言いくるめた。まあ、蓮美はぷうちゃんを実験に使ったりしないと約束してくれたし、ちゃんと学校に通わせたり、ぷうちゃんの意思を尊重すると約束してくれた。俺も日向も文句はなかった。


 市内に辿り着いた時には、もう日が暮れかけていた。

 あんなのアパートは、既にもぬけの殻だった。家具はおろか、ぬいぐるみの一つも残されていなかった。ガランとした室内の床には、俺と日向の荷物だけが置かれていた。


「では、私達はここでお別れです。エジプトの件は、後日こちらから連絡いたします」


 去り際に、マリア様が言った。


「ああ。ありがとう、マリ──」


 ──言いかけた俺の唇に、マリア様の人差し指が触れる。


「私のことは、りんごちゃんとお呼びくださいね?」


 マリア様、否、りんごちゃんはそう言って、可愛らしく首を傾げた。


 ★


 俺と日向は蓮美たちと別れて、帰り道をとぼとぼ歩いた。上江津湖かみえづこ公園の遊歩道は静かで、あまり人気ひとけもなかった。


「大変だったけど、なんとかなったね。本当、全部夢みたいだね」

「ああ。そうだな」

「なによ。国士らしくもない。元気がないわよ? まあ、こんな話、きっと誰も信じてくれないから仕方ないけど」

「いいや。誰が信じても信じなくても、それはどうでもいい。でも」

「でも?」

「俺たちは、もっと夢を見るべきだ。小さな物差しに自分を当てはめて、未来を諦めるべきじゃない」


 我ながら、らしくない言葉を口にした。照れて黙っていると、そっと、日向が俺の手に触れる。俺は日向の手を取って、彼方に目をやった。

 夜空には、見事な満月が浮かんでいた。


「また、二人だけになっちゃったね」


 日向が、ちょっぴり寂し気に笑う。


「まだ二人いる。日向がいてくれる」


 俺は日向の腕を引き、抱きしめる。

 そして、俺達は口づけを交わす。

 こうして、俺と日向とは、正式に恋人同士になった。


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