第31話 平国士は押し通る!




「よく頑張ったな。偉いぞ」


 俺はそっと手を伸ばし、日向の頭を撫でる。


「ここからは俺がやる。日向は下がってろ」

「だ、大丈夫だよ。私だって戦えるんだから! りんごちゃんが祈ってくれてるから、あの悪魔は本来の力を発揮できないでいる。今なら、勝てるよ」


 日向は言う。俺は悪魔憑きに目をやった。

 長い黒髪は梳かしておらず荒れている。眼には悪霊の狂気があり、紅い眼光が鋭く俺を捉えている。肌も手入れをしている風ではない。外見から二◯代後半の女性だと察せられた。来ているパジャマにも清潔感が感じられず、靴も古くてボロボロだ。もしかすると、ニートなのだろうか? どうであれ、魔術によって、彼女の意志とは関係なく悪魔の入れ物にされたのだろう。

 俺は日向の頬に触れる。そこには一筋、切り傷があった。


「おい、悪魔。お前が日向を殴ったのか?」


 悪魔の口元に嘲笑が浮かぶ。


「さっきの小増か。身の程もわきまえず、この俺様に殺されに来たのか?」

「日向を殴ったのかあああああ!」


 俺は怒声を上げる。怒りは、狂気の領域に達していた。


「そうだ。俺様の邪魔をする者は殺す。小僧も殺してやろう」


 俺はりんごちゃんに目をやった。


「りんごちゃん。祈りをやめてくれ」


 じわりと、りんごちゃんが顔を上げる。


「……何故ですか? 悪魔の力を弱めている今ならば、勝てる可能性があります」

「悪魔には全力を出させる。それをへし折ることにした」

「馬鹿なの? 馬鹿馬鹿なの? 神社はもう目の前なのよ。地球を救えるのよ?」

「あいつは可愛い日向を殴ったからな。それに、俺がこうなったらどうにもならないって、日向が一番よくわかってるんじゃないか?」


 俺が言うと、日向は諦め交じりの溜息を吐き、すっと下がった。

 やがて、りんごちゃんは祈りをやめた。


「小僧。それなりの矜持を持つ人間のようだな。よかろう。お前を敵として認める。俺様の名は、〝ヘレルアテン〟。星の運航を阻害する悪魔にして、ラハブの破壊者なり」

「俺の名前はたいらの国士こくし。義によってお前を倒し、世界を守る者だ」


 俺と悪魔ヘレルアテンは名乗り合い、すっと前へと踏み出した。


「イスライシュを倒したのはお前か? だが、俺様はイスライシュよりも上位の悪魔。単独で勝てるなどと思い上がった無礼、その命で償わせてくれる!」


 悪魔は尊大に言い放ち、アスファルトを踏み割って破片を蹴り飛ばす。俺は飛散する石礫いしつぶてをくぐり、奴へと距離を詰める。が、唸る回し蹴りが振り抜かれ、ギリギリ攻撃を潜って地面を転がった。次の瞬間、悪魔がバイクへと手を伸ばし、豪快に投げつける。燃え盛る鉄塊が黒い煙の尾を引きながら、俺へと迫る。

 引くな。

 腹を括って走り込む。俺は回転するバイクを潜り、悪魔の顔面へと拳を伸ばす!

 刹那、悪魔がぐっと掌を此方へと向けた。その瞬間、俺の身体が物理法則を無視して浮かび上がり、足が地面から離れた。首に、強く締め付けられるような圧迫感を感じる。呼吸が出来ない。

 念動力サイコキネシス──。こいつも使いこなすのか。俺は脚をバタつかせ、足掻く。だが、どうにもならない。


「小僧。お前はそこの太陽人を守ったつもりなのだろうが、とんだ勘違いだぞ」

「な……んだと? どういう、ことだ」

「では訊くが、その小娘は地球に来て幸せだったのか?」


 悪魔ヘレルアテンの問いに、俺は答えあぐねる。あんなに眼をやると、あんなは、泣きそうな顔をしていた。


「答えろ。幸せだったのかあああ!」

「それ、は……あんな、は」


 俺は言葉に詰まり、虚空へと手を伸ばす。脳裏を駆け巡ったのは、薄暗い部屋の、コンピュータの画面に映った嘲り言葉の羅列だった。あんなは、絶え間なく襲いかかる悪意の奔流に飲まれ、心を壊された。彼女が一人きりで失禁を繰り返していたとして、それを知ったとしても、連中は自分がしたことを毛程も省みない。そんな連中に囲まれて、あんなが幸せだったかって?

 愚問だ。

 世界には、どんな情熱にも、誠実さにも、真剣な言葉にも心を打たれない連中がゴマンといる。そして奴らはもう、多数派かもしれない。だとしたら、俺はあんなに何をしてやれるだろう。


「ふん。答えられんなら俺様が言ってやる。地球人どもがその小娘に何をしたか知っているぞ。奴らは、自分を救いに来た小娘に、寄ってたかって遠くから石を投げ、せせら笑ったではないか! かつて、人間どもが救い主に石を投げたように。あのようにか弱い小娘にだぞ。ずっと、榎木あんなは孤独だった。違うか?」


 悪魔の眼差しが、あんなをギロリと捉える。一方、あんなは震えながら、ぎゅっと拳を握る。


「違うんだけど。私は、私は」

「何が違う! お前とて人間。地球人を憎んだ筈だ。伝わらず苦しんで、手を振り払われて歯噛みして、愚か者とそしられて悔しかったであろう。ずっと孤独だった筈だ。嘘だとは言わせんぞ。だとしたら、あの腐った連中に何をしてやれる? 救うのか? ふざけるな。奴らは人ではない。さも人間であるかのような顔をした何かだ。奴らの魂はうつろで弱い。心ある者の祈りも、信念も、愛も誠実さも響かない。小娘の全身全霊の訴えですらも、せせら嗤いながら踏み躙ったではないか! 奴らは壊れたレコードみたいに『キモい、キモい』としか言わぬ低俗な猿だ。魂を奪う価値もない。もう、生物として終わった存在なのだ。そんな連中を何故救う。本当にこの小娘を救うのなら、小娘を嘲った連中を皆殺しにしてやるべきではないか!」


 俺はもう、何も言い返せなかった。そうだ。悪魔が口にした事については、俺も散々考えてきた。奴を否定するには、俺は壊れ過ぎている。

 だが──。

 あんなが、両の人差し指を頭の上につんと立て、ぷくっと頬を膨らませた。久々の鬼さんポーズである。


「認めるんだけど。悔しかったんだけど。悲しかったんだけど。寂しかったんだけど」


 その声は震えていた。表情も、白い髪に隠れて窺い知れない。


「ふふ。では此方へ来い、小娘。俺様が世界を壊してくれる。お前はやるだけやった。もう、良いではないか。何も恥じる必要はない」

「違う違う。違うんだけど」

「何が違うというのだ?」

「貴方は何も見えてないんだけど。確かに、酷い言葉がたくさん画面に飛び込んできた。みんな簡単に死ねとか死にたいとか死んでも構わないって言う。キモいとかウザいとか、淋しくて痛い言葉で簡単に人を傷つけようとする。それをなんとも思わないふりをしてる。でも、そんなのはコトバじゃない。ただの文字なんだけど。上っ面なんだけど。みんな弱くて嘘つきだから、正直じゃないから上っ面ばかり。でも違う。あそこには上っ面じゃないコトバが確かにあった。あそこにあったのはただ一つのコトバだけ。みんなみんな、必死に『生きたい』って叫んでただけなんだけど。私には届いた。私には届いた。私には届いたんだけど!」

「……ふん。哀れだな、小娘。孤独過ぎてそこまで壊れたか?」

「違う。私はもう一人じゃない。孤独じゃないんだけど。愛しい人が必要としてくれた。日向ちゃんが守ってくれた。ぷうちゃんが大好きだと言ってくれた。蓮美さんが、りんごちゃんが来てくれた。たくさんの人が傷ついて、それでもバトンを繋いで私をここまで連れて来てくれた。みんなで見た夕焼け空は綺麗だった。くたくたになって進んだ山の緑は良い匂いがした。みんなで声を張り上げて走った草原の風は気持ち良かった。まだ、不器用で優しい人がたくさんいる。素直に生きていけないたくさんの人が、この暗闇の底で『生きたいと』叫んでる。みんなが、血と汗に塗れながら教えてくれた。世界は素敵なんだけど。だから、私はみんなのことが……大好きなんだけど!」


 言い放ち、あんなの瞳が金色の光を放つ。烈風が吹き、念動力が迸る!

 バチリと破裂音がして、俺は弾け飛ぶ。悪魔も弾かれて後ずさった。


「私はもう迷わない。もう、超能力は使わせないんだけど。だから愛しい人、世界を救わせて欲しいんだけど!」


 あんなが泣きながら叫ぶ。呼応して、俺の底の底から、強い何かが込み上げる。


「任せろ。俺が未来に連れてってやる!」


 俺は立ち上がり、悪魔ヘレルアテンへと踏み出した。奴も、ずいと、歩み寄る。攻撃に対処する構えではない。素手の人間の攻撃など、避ける価値もないと考えているのか!

 間合いはたちまち縮まって、互いの拳が当たる距離へと達した。まるで、濃い闇が絡みつくような、異常なまでの威圧感を感じる。

 どしりと、悪魔が踏み込んだ。

 大振りのパンチが振り抜かれ、俺は身を沈めてかわす。続けて左拳と、打ち下ろし気味の回し蹴りが襲い掛かる。俺は歩法と体捌きとで、攻撃を回避する。頭のスレスレを、不吉な拳風が通過していった。

 汗が頬を伝う。これまで味わった事のない、凄まじいまでの気当たりだ。この感じ、パワー型だな。

 ゴッと、奴の踵落としが空を切り、アスファルトを撃ち砕く。なんとか、悪魔の攻撃をかわすことは可能だ。が、少しでも当たれば、それは死を意味していた。


「どうした小僧。反撃も出来んの──」


 ──言いかけた悪魔の口元に、俺は拳を叩き込む。


「ごちゃごちゃ煩いぞ」

「……小僧!」


 憤慨する悪魔の顔面に、更に拳を叩き込む。一回、二回、三回!

 合計で五回も拳を食らわせてやった。

 ぐうっ。と、ヘレルアテンが仰け反った。同時に苦し紛れの裏拳が振り抜かれる。俺はそれを潜って深く踏み込んだ。

 ここだ!

 ドンと、アスファルトを踏み鳴らし、がら空きの臍下せいか丹田たんでんに渾身の猪砕きを叩き込む。

 かなりの手応えがあった。

 丹田は、人間、霊体を問わず、気血の中枢に当たる。ボクサツ君から聴いたの話によると、悪霊に獲り憑かれた者にも有効な急所であるらしい。


「ぐ。貴様、何者……だ」


 悪魔ヘレルアテンは呻きながら体勢を崩す。が、倒れなかった。奴は苦痛に顔を歪めながらも踏みとどまり、前傾の拳を繰り出した。

 綺麗な攻撃だった。それは恐るべき速度で俺の顔面へと伸びる!

 何かが、研ぎ澄まされてゆく気がした。

 奴の拳が制空圏に触れ、波紋が広がってゆく。俺は感応して、ぐっと身体を沈める。同時に、右手の甲が、ふわりと悪魔の拳の側面に触れる。ゆるり、ゆるり、ゆるりと受け流しながら前進し、〝強く〟アスファルトを踏みしめる。

 壊!

 奴の胸に、本家引導返しを叩き込む。否、ただの引導返しではない。猪砕きと引導返しの合わせ技である。


 ゴボ。と叫び声とも呻きとつかぬ声を漏らし、悪魔が白目を剥いて崩れ落ちた。俺はその首に腕を巻き付けて、更に締め技を仕掛ける。悪魔こいつらのしぶとさについては既に学んだ。イスライシュの時のような油断は、もうしない。


「さあ、決着が付いたぞりんごちゃん。悪魔祓いを頼む!」


 俺は悪魔を締め上げながら叫ぶ。すかさずりんごちゃんが駆け寄って、悪魔祓いの祈りを始めた。


「やったね、国士──」


 ──日向が駆け寄ろうとした刹那、


「ふぐおおお! 人間があああ!」


 怒声と共に悪魔が起き上がる。


「ふ、ぐう! なんたる攻撃だ。人間とは思え……ぬ。だが、負け、ぬ!」


 苦痛に顔を歪めながら悪魔ヘレルアテンが踠き、暴れ狂う。

 恐ろしい程の打たれ強さだ。先程、俺が放った攻撃は、決してボクサツ君のそれに劣ってはいなかっただろう。ヘレルアテンは、およそ人間が発生させ得る最大の攻撃を受けながら、尚、立ち上がったのだ。まさに鬼神の如しである。


「ぐっ。は、なさぬ……か、小僧!」


 と、ヘレルアテンは身を捩り、猛烈な勢いで俺を振り回す。が、俺は必死に食らい付いていた。やがて、奴は耐えかねて俺の腕を掴む。

 ずぶりと、悪魔の指が腕に突き刺さり、筋肉を抉る。それだけで、腕の骨を砕かれてゆく。


「離さない。殺されても!」


 俺は苦悶の声を上げながらも、締め技を継続していた。痛みで、意識が飛びそうになる。

 ふいに、ズシリと鈍い音が響き渡る。それから一呼吸の後、悪魔がゆっくりと崩れ落ちた。

 日向が、切り札の横蹴りを放ったのだ。蹴りは悪魔憑きの鳩尾に突き刺さり、俺にまで鈍重な衝撃が伝わってきた。その技の名は〝大弓〟という。ボクサツ君から聞いた話によると、泰十郎たいじゅうろう師匠の切り札の一つであるらしい。


「言ったでしょ? 私も一緒に世界を救ってあげるって」


 日向が、ちょっぴり疲れた微笑を向ける。

 俺はまだ手を放さずに、念入りに悪魔を締め落とした。


「再び命じます。悪魔ヘレルアテンよ。我がラボニ、イエス・キリストの名において、この人の身体から去りなさい」


 りんごちゃんが、悪魔祓いの祈りを完了する。次の瞬間、悪魔がどす黒い吐瀉物を吐き出した。吐瀉物は見る見る広がって、アスファルトに溶け消えていった。同時に、取り憑かれていた女性の力が抜けてゆく。

 悪魔祓いが成ったのだ。


「完了しました」


 りんごちゃんが、微笑みと共に呟いた。

 あんなとりんごちゃんは、俺や、倒れている暴走族の少年達の傷を癒してくれた。どうやら、りんごちゃんにもまた、怪我や病気を癒す力があるらしい。しかもその力は、あんなの超能力を凌駕していた。りんごちゃんが触れて「立ちなさい」と声をかけるだけで、たちまち、怪我が癒えてしまうのだ。


「終わりましたね」


 全ての仕事を終え、りんごちゃんが言う。


「うん。終わったね」


 と、日向は伸びをして天を仰ぐ。

 俺は黙ってあんなの肩に触れた。あんなは何も言わず、俺の懐に飛び込んだ。俺も固く抱きしめる。

 湿った風が吹いた。頬を撫でる南風は、薄く、台風の気配を孕んでいた。

 見上げる鳥居の先には、高千穂神社の社殿が見える。社殿の向こうから、重い色をした雨雲が迫っていた。



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