第七章 葛藤の草原で少年達は世界を救う。

第27話 二人目のアルビノール




 ★


 俺たちは道路を横切って、再び森の中を進んだ。夜の森は嫌に静かで湿気に満ち、羽虫だらけだった。


「わ。また蚊に刺されたよお」


 愚痴る日向を宥めながら進んでいると、突然、前方で火花が散った。何かが破裂するような音が連続で響き、人の呻き声も聞こえる。

 銃撃戦だ。

 俺たちは慌てて地面に伏せ、近くの木を盾に身を隠す。銃声は鳴り続け、マズルフラッシュで状況が分かり始める。

 どうやら、五◯メートル程前方の開けた場所で、中国人と思しき集団と、英語を喋る集団とが交戦している。確か、ボクサツ君は『ストリクスは一枚岩じゃない』と言っていた。たぶん、あんなを巡っての戦闘だと思われるが、連中が近くにいるということは、俺達の大雑把な足取りについても知られている。という事だ。だいぶ不味い。


「仕方がない。使い所だな」


 と、俺は仲間と肩を寄せ合い、光学迷彩シートを被ってスイッチを入れる。忽ち、俺達の姿が森に溶け込んで視認不能となる。

 やがて銃撃戦が止み、静寂が訪れる。

 ポツリ、ポツリと英語の会話が聞こえてきた。残念ながら、俺も日向も英語は得意ではない。奴らがどんな会話をしているのかはわからなかった。様子を伺っていると、連中の一人が明かりを灯した。

 七人の戦闘員の姿が、闇に浮かび上がる。見たことがない変わった銃を装備していた。多分、ストリクス傘下の民間軍事会社の連中なのだろう。連中の足元には、二◯人を超える中国人らしき死体が転がっていた。

 たった七人で二◯人もの敵を倒したのか。恐るべき手練れだ──。思考を巡らす内に、俺は奇妙な光景に気がついた。七人の戦闘員の一人は、パジャマ姿の女だったのだ。

 ボサボサの長い黒髪に、青白い顔つき。やや背が高く、痩せ型の体躯をしている。パジャマはヨレヨレで清潔感がない。それなのに、妙に色気が漂っている。その眼は独特な狂気を孕み、紅い光を宿している。

 悪魔憑きだ。

 日向もあんなも、そいつに気がついたらしい。微かに、二人の怯えが伝わってくる。俺も動けず、息を押し殺していた。

 ふいに、悪魔憑きの女が口元に指を当て、「しい」と、沈黙を促した。それに従って戦闘員達が押し黙り、再び銃を構える。まさか、気づかれたのか? やがて、悪魔が此方へと歩みよって来る。

 一歩、また一歩。

 木の葉を踏みしめる音が、何かのカウントダウンのように感じられた。悪魔はクンクン鼻を鳴らしながら、確実に、俺達へと距離を詰める。あんなと日向の息遣いが、一層の怯えを孕む。二人は口に手を当てて必死に息を潜め続けている。

 やがて、悪魔が目の前までやってきた。もう、手を伸ばせば届きそうなところに奴の足がある。

 ニイ、と、悪魔の口角が上がる。

 やるしかないのか……! 意を決した次の瞬間、すぐ近くの草むらが、カサリと音を立てた。


「アイヤ!」


 突然、中国人らしき男が、草むらから飛び出して拳銃を撃ちまくる。何発かの弾丸が、悪魔の身体を貫いた。途端に悪魔が倒れ、動かなくなる。反撃に、悪魔の仲間達が中国人へと発砲する。

 たまらず、中国人は悪魔に背を向けて、一目散に逃げ出した。


「シット!」


 叫びながら、民間軍事会社の戦闘員達が追いかける。足音が遠ざかり、遠くから撃ち合う音がこだまする。

 今の内に──。思いかけた瞬間、ムクリと、悪魔が身を起こした。奴の胸の銃創が蠢いて、じわじわと塞がってゆく。魔術、否、悪魔の権能か。

 傷が完全に塞がると、悪魔は不気味な笑い声を上げながら駆け出した。中国人の男を追い、森の奥へと消えてゆく。

 やっと、俺は息を吐き出した。


「今だ。行こう」


 と、俺たちも腰を上げ、悪魔とは別の方向へと走り出す。彼方で再び銃声がして、男の悲鳴が響き渡った。


 ★ ★ ★


 二時間程の距離を歩き続け、俺達はだだっ広い草原に辿り着いた。時間は、もう夜中の一二時を過ぎていた。


 「テントを張るから手伝ってくれ」


 俺は手頃な木を見つけ、木陰にテントを張ることにした。俺と日向が協力してテントを張り、テントには光学迷彩シートを被せて偽装する。その間に、あんなは食事の支度をしてくれた。


「ごはん作ったんだけど。皆、きっとお腹がすいてるんだけど」


 あんなが仲間達に声をかける。あんなの料理は相変わらず美味かった。昆布出汁の利いたスープが、疲れた身体に染み込んでくるようだ。

 食事を終えると、俺はテントに潜り込んですぐに横になった。

 満身創痍だった。蓄積した疲労ばかりは、あんなの超能力でも癒せない。限界を超えて頑張り続けたせいで、もう、少しも動けなかった。


「どうしたのよ。国士らしくもない」


 日向が呟くのを聞き届け、俺は眠りに落ちた。

 遠く遠く、遥か彼方では、一晩中銃声が鳴り響いていた。


 ふっと、鼻先で甘い香りがした。

 目を開けると、そこにはあんなの頭があった。あんなは俺の胸の中で眠っていた。その首元には日向の腕が巻きついている。日向は、あんなを後ろから抱きしめて眠っている。

 俺は、あんなの頭に頬を摺り寄せた。

 ふと、あんなが目を開ける。俺とあんなとは、無言で暫し、見つめ合った。

 ふいに、あんなが俺の胸を突っついた。


「何してるんだ?」

「……生きてるんだけど」

「ああ。生きてるぞ。当たり前だろ」

「生きてるんだけど」


 あんなは呟いて涙を零す。微かに震えていた。俺は、他人の気持ちを察するのが苦手だ。でも、今のあんなの気持ちなら理解できる気がした。色々な奴らの思惑や都合──そんな事はどうでもいい。このまま、あんなを何処かへと連れ去ってやりたかった。でも、あんなはこれ以上、地球の環境には耐えられない。あんなが死ぬ事だけは、絶対に受け入れられない。

 選択肢は、一つしかなかった。


「もう危ないことしないで。愛しい人」


 あんなは静かに嗚咽した。


 ★


 やがて、夜が明けた。俺は早くに目が覚めて、ぼんやりと微睡んでいた。

 ピクリと、ぷうちゃんの耳が動く。

 ぷうちゃんは顔を上げ、真剣な顔をする。


「ナニカクル!」


 ぷうちゃんの声で、皆、目を覚ました。

 暫くすると、彼方からヘリコプターの羽音が聞こえてきた。


「不味いな。航空戦力だけはどうにもならない。逃げるぞ!」


 俺達は即刻荷物を纏め、明け方の草原を駆けだした。

 ヘリコプターの羽音は、此方へと迫っていた。明らかに、俺達を追っている。


「どうしよう国士。空から攻撃されたら反撃も出来ないよ」

「うううん。見た感じ、民間機のようではあるが……油断は出来ない。とりあえず、人目のありそうな場所に急ごう」


 俺達は全力で走り続けた。その間にも羽音はどんどん近づいて、やがて、俺達のすぐ上空でホバリングを始めた。


「ちょっと、逃げないでよ。面倒くさいわね!」


 ヘリコプターから聞き覚えのある叫び声がした。目を凝らすと、ヘリコプターの窓には、真瀬まなせ蓮美はすみの姿があった。


 ★


 キュン、キュン、キュン……。

 ヘリコプターが草原に着陸して、ローターが緩やかに回転している。


「ああ、もう。やっと捕まえた」


 蓮美はすみが、拡声器を手にヘリコプターから降りて来る。新しいスーツに着替えており、頬に絆創膏を貼っていた。


「生きてたのか。でも、あの状況でどうやって?」

「国士君、私のことを舐めてるの? ライカンスロープぐらい自力で全滅させたわよ」


 と、蓮美はファイティングポーズを作り、シュ、シュ、と拳を繰り出して見せる。


「嘘はよくありませんよ」


 品のある、穏やかな声がした。

 ヘリコプターから、もう一人、セーラー服姿の少女が降りて来た。

 俺は呼吸を止め、眼を見開いた。

 彼女は真っ白だった。絹糸のように滑らかな純白の髪、食パンみたいに白い肌、その眼は至極優し気で、小ぶりな口元には知性が漂っている。華奢で小柄な体躯は、女性が持つ全ての美点を兼ね備えていた。

 彼女は、あんなと同じアルビノールだったのだ。一つだけ違うのは眼の色だ。あんなの瞳が明るい灰色をしているのに対し、その少女の瞳は、桜の花のような薄紅色をしている。彼女の存在は、あんな以上に異質だった。美を超えていた。静かなる、品性の塊だった。


「あ。りんごちゃん。ちょっと格好つけただけじゃない。ばらさないでよ」


 と、蓮美が謎のアルビノの少女に言い訳をする。りんごちゃんと呼ばれた少女は、クスリと口元を緩め、此方に小さくお辞儀をする。


「どうも初めまして。私のことは〝りんごちゃん〟とお呼びくださいね」


 その声までが、白い気がした。


「あ、あ……あ! 貴女様、は」


 あんなが驚きを露わに駆け出した。

 あんなはりんごちゃんに駆け寄ると、震えながら地面に平伏する。俺も日向も、何が起こっているのか分からなかった。


「貴女様はもしや、マグ──」


 ──言いかけたあんなの口元に、りんごちゃんの人差し指が触れ、言葉を遮る。


「その名を口にしてはいけません。私のことはりんごちゃんとお呼びくださいね。それと、人を拝んではいけません。さあ、頭を上げて」


 りんごちゃんは可愛らしく首を傾げ、そっとあんなの髪を撫でた。

 さて、蓮美と合流した俺達は、これまでの経緯いきさつについて語った。一度あんなが誘拐されたが、なんとか助け出して悪魔を倒したこと、等々。


「どうであれ無事で良かったわ。まさか、あの悪魔憑きを二度も倒すなんて!」


 蓮美は、俺の話を聞いて驚いきを浮かべる。


「ふっ。口ほどにもない奴だったけどな」

「あんた。ボッコボコにやられたでしょ!」


 と、日向がツッコんで話を訂正する。

 蓮美は蓮美で、変化した状況について説明してくれた。

 蓮美はすみの話によると、九州には、既に外国の諜報機関の特殊部隊が殺到して、戦線を構築しているらしい。警察や検察もストリクス側に付き、あんなをつけ狙っているそうだ。一方で、防衛省──つまり自衛隊だけは我々の側に付いてくれたらしい。

 自衛隊と蓮美の組織とは協力して阿蘇山周辺に防衛線を築き、今も対立勢力とドンパチやっている。その戦いは、民間人の目には触れない形で行われているそうだ。昨夜、一晩中鳴り続けた銃声は、その戦いによるものだ。


「自衛隊が味方してくれたのは不幸中の幸いだけど、状況は依然、芳しくないわね。敵は世界中の軍隊だからね。動員されている兵力が違い過ぎるもん」


 と、蓮美は弱気な顔で肩を落とす。


「いいえ。そう悲観的になることはありませんよ。あんなさんを高千穂神社に送り届ければ、敵には戦う理由がなくなります。我々の勝ちです」


 と、りんごちゃん。


「難しい話は分からないけど、なんとなく状況は理解したわ。ところで、せっかくヘリコプターがあるんだから、空を飛んで一気に高千穂神社に行く事は出来ないの?」


 と、日向。


「無理、無理。ここから先は敵の戦線が厚いもん。飛び立って三分もしないうちに、対空兵器ジャベリンで撃ち落とされちゃうよ。ここに来るまで撃ち落とされなかったこと自体、奇跡みたいなものなんだから」


 蓮美は言った。


「ふうん。じゃあ、これまで通り陸を進むしかないんだな。それは理解したが……そこにいるりんごちゃんは、何が出来るんだ? 蓮美が応援に呼び寄せるぐらいだから、何か凄い超能力があったりするんだろう?」


 と、俺はりんごちゃんに目をやった。


「私はダウジングを得意としています。敵が配置されていなかったり、戦線の薄い場所を案内します」

「成程。りんごちゃんは霊能力者なんだな。悪魔祓いは出来るのか?」

「はい、出来ます。ですが、私が到着する前に悪魔を自力で倒してしまうとは……想定外でした。一体、何をやったのですか?」

「ん? ワンパンでのしてやっただけだ」

「ワンパンでのされたのは国士でしょ!」


 日向が再びツッコんだ。


「兎に角、到着が遅れて申し訳ありませんでした。実は、東京の西東京市でも、大規模な呪術戦争が発生しておりまして。組織の霊能力者や超能力者は、そちらの方に大量動員されていて、こちらに手を回す余裕がなかったのです」


 と、りんごちゃんが軽く頭を下げる。


「人類滅亡の危機だってのに、呑気に呪術戦争か。邪馬台国だっけ? 蓮美の組織は優先順位がおかしくないか?」

「ううん。そんな事はないよ。だからこそ、りんごちゃんが来てくれたんだから。りんごちゃんはね、他の霊能力者が束になってかかっても敵わないぐらい優秀なのよ」


 何故か蓮美が得意気に言って、グッと親指を立てた。


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