第26話 尊い犠牲



 ★


 敵特殊部隊の撤退を見届けた頃、山奥のビルに二台のパトカーが到着した。闇夜に浮かぶ赤色灯が、やけに眩しく感じた。


「あ、あの人です。変態です!」


 パトカーの後部座席から、女性看護師が顔を出す。彼女は汚い物を見るように顔をしかめ、ボクサツ君を指差した。つい先程まで、悪魔イスライシュに獲り憑かれていた女だった。

 途端に、パトカーから四人の警官達がぞろぞろ降りてきて、ボクサツ君は囲まれてしまう。


「なあ君。ちょっと話を聞かせてくれる? 血塗れだし、見るからに怪しい感じだよな。あの女性を縛り上げて強姦しようとしたって、本当かな?」


 警官の一人が言う。


「ち、違う違う。どうして僕が強姦なんか。貴官等きかんら、無礼千万だよ!」


 と、ボクサツ君は、助けを求めるようにこちらを振り返る。目の上が腫れあがり、大量の鼻血を出していた。黒革のコートの男にやられたのだろう。


「な、なあ。君達も言ってくれないか? 僕が潔白だって」


 ボクサツ君は焦りを露わに弁護を要求する。次の瞬間、こちらに目を向けた警察官が、驚きの表情を浮かべて眉を釣り上げる。ビルのガラス扉が破壊されていることに気がついたらしい。そういえば、侵入する時に、俺が石を投げつけて割ったのだ。


「ん? それは君達がやったのか?」


 警察官の矛先がこちらに向き、日向の顔に緊張が浮かぶ。ぷうちゃんも、油汗を浮かべて目を逸らし、ピューピュー口笛を吹きはじめた。嘘が下手すぎて怪しさしかない。

 仕方がない。


「いいえ。犯人はその人です」


 と、俺はボクサツ君を指差した。


「こ、国士……君!?」


 ボクサツ君の顔が青ざめる。


「その少年が言ってる事は本当か?」


 他の警官が、日向に問う。


「はい。犯人はそこの変態です。ドアに石を投げつけて割ってました。怖かったです」


 と、日向は迷わず、ボクサツ君を指差した。


「ひ、日向ちゃんまで!」


 途端に、ボクサツ君は警官に取り押さえられる。


「ヤ、ヤメロオマエタチ! ドウシテ、ゴ主人様ヲイジメルンダ!」


 ぷうちゃんが駆け寄って、警官達にぷんすか抗議する。が、警官の顔に浮かんだのは、憐れみと怒りが入り混じった表情だった。


「き、貴様……こんな幼女にまで手を出したのか。ご主人様とか呼ばせてメイド服まで着せて、どんなプレイをしたんだ。許せん!」

「ち、違うよ。僕は手を出したりなんか」

「ソウダ! ゴ主人様ハ、ヤサシインダ! ルーシーハ、ゴシュジンサマノチュウジツナシモベナンダゾ!」

「ちゅ、忠実な僕……だと? 逮捕だ! 即刻逮捕する!」


 誤解が誤解を産み? ボクサツ君は手錠をかけられてパトカーに押し込まれた。

 やがて、叫びまくるボクサツ君を乗せて、パトカーが走り出す。俺達は、肩を並べてパトカーを見送った。


「尊い犠牲は出たが……勝ったな」


 俺は苦い顔をして言う。


「ええ。本当に尊い犠牲だったわね」


 日向も涙目で言った。


「フ、フタリトモ酷イゾ! ゴ主人様ガツレテイカレチャッタゾ。コクシトヒナタ、嘘ツイタ!」

「なにを言ってるんだぷうちゃん。駄目押ししたのはぷうちゃんだぞ?」

「エ? ソウナノカ? ルーシー、ワルイコナノカ?」

「気にしなくて良いのよ。そもそも、ぷうちゃんは、あのゴミクズに変なことされて泣いてたじゃない」

「チガウゾヒナタ! ゴ主人様ハ、ルーシーニオ菓子ヲクレテ、ママヲタスケルッテ約束シテクレタンダ! 大キナプリンヲタクサンクレタンダ。ルーシーハ、嬉シクテ泣イタンダゾ」


 と、ぷうちゃんは、しょんぼり肩を落とす。

 詳しく話を聞くと、ぷうちゃんの母親は、二年前にストリクス傘下の生態兵器研究所から連れ去られ、ずっと行方不明になっているらしい。研究所の連中は、そのうちにまた会えるとか誤魔化していたそうだ。が、どう考えても、よからぬ研究とか人体実験の犠牲になったのか、こことは違う戦場にでも投入されたのだろう。

 ボクサツ君は、ぷうちゃんから事情を聞いて、ぷうちゃんのママを助けると約束してくれたのだそうだ。つまり、ボクサツ君はぷうちゃんを洗脳した訳ではなく、ロリコン疑惑についても冤罪だったらしい。つまらん。

 落ち込むぷうちゃんを、あんながそっと抱きしめる。


「ぷうちゃんは良い子なんだけど。優しい子なんだけど」


 なんて、あんなはぷうちゃんをあやす。


「ごめん、ごめん。謝るからオシッコ漏らさないでよね」


 と、日向もぷうちゃんの頭を撫でた。


「ん。あんなはともかく、どうしてぷうちゃんが漏らすんだ?」


 なんとなく、俺は日向に訊いてみる。


「あ。国士って犬を飼ったことがないから知らないのね? 犬って、嬉し過ぎたり寂し過ぎたりするとオシッコ漏らすことがあるのよ。ほら、ぷうちゃんって犬科? かもしれないでしょ。だから」

「ふうん。犬を飼うって色々と大変なん──」


 言いかけて、俺はピタリと動きを止める。


「なあ、日向。それってもしかすると、人間でも同じことが起こるのか?」

「さあ? わからないけど……あるんじゃないかな。だって、嬉しいとか寂しいって、犬も人間も変わらないでしょ」


 それを聴いて、俺はあんなに視線を向ける。あんなのメイド服は血や泥で汚れ、肩や袖が破れていた。その姿を目にして、俺の中で何かが弾けた。

 そうか。そうだったのか。

 俺の脳裏に、これまでのあんなの不可解な行為の記憶が駆け巡る。

 彼女が一人ぼっちで立ち尽くし、失禁を繰り返していた事、おねしょをしていた事、噛みちぎったようにボロボロだった爪。

 あんなは寂しかったのだ。

 思えば、あんなが失禁するのはいつも動画配信の後で、送られてきたのコメント欄を見てからだった。コメント欄にあったのはクソみたいな悪意の羅列だ。それが雪崩のようにあんなを襲い、あんなはボロボロに傷ついていた筈だ。俺たちの前で失禁する時も、直前で、相応の恐怖や寂しさを感じたであろう時だった。あんなは、俺たちが誘拐するまではずっと一人ぼっちで、悪意を身に浴び続けていた。どんなにか寂しかったろう。まして、彼女は優しくて無垢な太陽人だ。

 壊れない筈がない。

 何もかもに理由があった。あんなの身体が寂しさに耐えかねてSOS信号を発し、失禁という形で現れていたのか。

 全てを理解した瞬間、俺の中に、焼けるような、悲しみや寂しさに似た何かが込み上げる。たまらず、あんなを引き寄せる。あんなは、「あっ」とバランスを崩し、俺の胸にもたれ掛かった。薄灰色の瞳が俺を見上げ、恥じらいが浮かんでいる。

 俺はあんなの唇を奪った。


「ちょ、国士! 止めなさい、離れなさいよお!」


 日向は俺の背中をポカポカ叩いたり、服を引っ張って引き離そうとする。

 俺は日向も引き寄せて、あんなごと抱きしめた。


「なによ、なによ。馬鹿……。どうして、泣いてるのよ」


 日向はそれだけ呟いて、もう、何も言わなかった。


 ★ ★ ★


 暫しの休憩を終え、俺達は再び、高千穂神社を目指して歩き出した。時計の針は夜の九時を回っていた。この闇の中、山道を進むのは危険だ。かといって、止まれば敵に追いつかれる。悪魔イスライシュのせいでかなり後戻りする羽目になったが、泣き言はいってられない。


「流石に疲れたわね。だからって休む場所もなさそうだし。このまま高千穂神社まで歩くしかないね」


 日向はくたびれた顔で言う。一方、ぷうちゃんは依然、元気いっぱいだ。あんなは少々疲れを滲ませていた。


「いや。夜の山は危険だ。ある程度進んだら、何処かでテントを張ってキャンプにしよう」


 俺はそう言って、少し歩調を速める。

 俺は歩きながら、ボクサツ君から教わった技を繰り返し練習した。日向も、時折、切り札の蹴り技を繰り返している。そうやって三◯分程進み続けると、


「マテ。ナニカイル。灯リヲケセ」


 ぷうちゃんが服を引っ張った。

 俺達は近くの茂みに身を隠し、灯りを消して周囲を警戒する。前方、五◯メートル程先で森が途切れていた。途切れた先には道路があり、その上空を半透明なドローンが飛行している。以前蓮美から聞いた話に照らすなら、多分、外国の諜報機関のドローンだろう。

 道路では、ライトバンが横転して黒煙を上げていた。その周囲に、何人かの白人らしき人影が倒れている。


「何があったのかな」


 日向が耳打ちする。


「わからない。もしかしたら、諜報機関同士でやり合ったのかもな」


 俺は耳打ちを返し、息を潜めてドローンが去るのを待った。

 やがて、ドローンが飛び去ってゆく。完全に見えなくなるのを待って、俺たちは道路へと駆け出した。

 道路には、四人の白人男性が倒れていた。全員息絶えていた。遺体は拳銃や自動小銃で武装して、防弾ベストを身につけている。にも関わらず、手足が妙な方向に折れ曲がり、服もボロボロに破れていた。まるで、凄まじい力で暴行を受けたみたいだ。そう、悪魔にでもやられたかのように。


「二人とも、見るな」


 俺はあんなと日向に声をかけたが、手遅れだった。日向は呆然と立ち尽くし、言葉を失っている。あんなも、驚きを浮かべて固まっていた。


「きっと、私が逃げたからなんだけど」

「それは違う! こいつらは、あんなが居ても居なくても、いずれ殺しあっていた。そうじゃなくても、人口削減計画の片棒を担いで虐殺を手助けした連中だ。散々使われて、いずれ口封じに殺された筈だ」


 俺はあんなの言葉を打ち消して、かけるべき言葉を探す。でも、何も思い浮かばなかった。俺が常識人だったなら、もっとマシな事が言えたのだろうか。

 やがて、あんなは泣きながら鎮魂の祈りを始める。それを背に、俺はライトバンの中を確認した。車内には、レジャーシートのような物が残されていた。


「これは……凄い」


 俺はシートを手にして、驚きの声を上げる。シートの隅には小さなスイッチが付いており、スイッチを入れると、光学迷彩が機能したのである。役に立ちそうなので、シートを持っていくことにした。


「行こう。埋葬はしてやれない」


 あんなが祈りを終えるのを待って、声をかける。あんなはまだ泣いていたが、俺はその手を引いて再び歩き出した。

 焦って、少し歩調が早くなる。実は、横転していたライトバンの車体には、人間の足跡と思しき窪みがあったのだ。まるで、みたいに。

 ほぼ間違いなく、悪魔憑きの仕業だろう。だとしたら、近くに、恐るべき悪魔憑きがいるのだ。


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