第20話 激突! 狂気VS狂気



 ★


 目を覚ますと、外はもう夕方だった。まだ小雨がパラついているが静かだった。

 俺たちが家宅侵入した民家は、山沿いの林の中に建てられていた。林から少し離れた場所には、小さな集落もある。


「目が覚めたのね。どうする? 今のうちに近くの集落で食料を買っておく?」


 日向が問う。


「なにを言ってるんだ日向。食料ならいくらでもあるだろ」


 言いながら、俺はキッチン脇の戸棚に手を伸ばす。そこには、インスタントラーメンや缶詰が沢山置かれていた。


「ふう。想定通りの行動だけど、念のために一回殴っておくわね」


 なんて言いながら、日向は俺の肩をポカポカ叩いた。

 やがて、お湯が沸いた。

 俺達はお湯をカップ麺に注ぎ、夕食の出来上がりを待っていた。先程、少しお菓子を齧りはしたが、腹が減って仕方がない。

 ふと、ぷうちゃんが顔を上げる。強い警戒感が滲んでいた。


「また、ライカンスロープか?」


 俺は声を顰め、ぷうちゃんに訊ねる。


「チガウ。モット、ズットコワイ奴ガキタ!」


 言い終わるなり、ぷうちゃんは、おならをして変身した。雷光が、狼人間へと変貌してゆくぷうちゃんを照らす。繰り返し光る雷の光の中、それは既に俺たちの目の前にいた。

 大窓の外に、不気味な人影があった。そいつは狂気を孕む眼で、じっとこちらを見つめていた。やがてそいつは手を伸ばし、居間の大窓を開く。

 それは、昨日戦った女性看護師だった。


「悪魔憑きだ!」


 俺は叫び、戦闘態勢へと移行する。

 看護師は泥だらけで、服も所々破れていた。所々血痕が付着しているが、それでいて、怪我はしていない様子だった。


「最悪」


 日向は飛び退いて、猫足立の構えを作る。


「やっと見つけたよ。ライカンスロープが匂いに気付かなかったら、通り過ぎるところだったね」


 至極穏やかな口調で、悪魔憑きが言う。その背後には、五、六匹のライカンスロープの姿があった。


「あんな、下がってろ。悪魔憑きは俺が仕留める」


 俺は前へと進み出る。


「仕留める? 勘違いしないことだね。前回敗れたのは、本気ではなかったからだ。今の僕には油断はない。君達には万に一つの勝ち目もないよ。それから、僕の名は〝イスライシュ〟だ。前にも名乗ったと思うのだが」


 イスライシュはそう言って、部屋へと踏み込んで来た。


「うわあああ! あんなちゃん、逃げて!」


 雄叫びを上げながら、日向が飛び蹴りを放つ。俺はその後ろ襟を引っ張って、咄嗟に、日向を後ろへと引きずり倒す。

 日向の顎先数センチを、死が通り抜ける。風を切る音と共に、イスライシュの蹴りが振り抜かれのだ。日向は、危なくカウンターを貰うところだった。


「ごめん」


 呟く日向を背に、俺もイスライシュへと踏み込んだ。

 左右の拳が放たれて、続けて中段蹴りが振り抜かれる。俺はそれらを体捌きでかわしながら、渾身の拳を打ち込んだ。

 ドシリと、確かな手応えがある。だが──。

 ボッ! と、風圧が鼻先を掠める。

 イスライシュは攻撃をものともせず、反撃の回し蹴りを放ったのだ。蹴りは二段構えだった。続く後ろ回し蹴りが、俺の顔面へと伸びる。俺は必死でそれを潜った。筈だった。

 ぶつり。

 衣服の破れる音がした。奴の踵が、俺のシャツの後ろ襟に引っかかったのだ。

 直後、世界が尾を引いて回る。俺は錐揉みしながら壁に叩きつけられた。直撃したわけでもないのに、凄まじい衝撃だ。全身が痺れ、咳が止まらない。


「ウガアァ! コッチダッ!」


 ぷうちゃんが回し蹴りの隙を突き、イスライシュへと飛び掛かる。唸る剛腕が悪魔憑イスライシュきを襲う。が、ゆるりと攻撃を潜り、悪魔憑きが深く踏み込んだ。

 骨が砕ける音がする。

 カウンターの肘が、ぷうちゃんの胸に突き刺さったのだ。ぷうちゃんは弾き飛ばされて、壁を突き破って隣の部屋の柱に叩きつけられた。ぷうちゃんはそのまま気を失って、痙攣していた。たった一撃で、狼人間ライカンスロープを戦闘不能にするのか……!

 考えている暇はなかった。止めとばかり、悪魔憑きが踏み込んで来る。一方で、俺はまだ、とても立ち上がれそうになかった。激痛にやられ、意識が朦朧としている。全身が熱っぽくてダルい。今にも吐きそうだ。


「う、うわあああ! 国士に触るなあ!」


 日向は叫びながら、一五、六回殴りを仕掛ける。怒涛の連撃はイスライシュに見切られていた。奴は軽やかに攻撃をかわし、反撃の一撃を振り抜いた。

 イスライシュの裏拳が、日向の上腕を掠める。すると日向も弾き飛ばされて、壁に叩きつけられて意識を失った。攻撃された上腕から、大量に出血している。このままでは、日向が死んでしまう。


「う、ぐ……クソが」


 俺は苦痛を押し込めて、ゆるりと立ち上がる。足が震えていた。全身の感覚が麻痺しており、意識もまだ、朦朧としている。


「に、げろ……あんな、早く!」

「嫌! その命令は聞けないんだけど。愛しい人を置いてはいけないんだけど!」


 あんなは叫び、日向へと駆け寄った。そうして、癒しの超能力を発動する。あんながこんなにも強く俺に逆らったのは、これが初めてだった。


「ふむ。君達は人間にしては、随分と頑丈なんだね」


 と、イスライシュは、あんなへと歩き出す。俺は脚を引きずりながら、悪魔憑きの前に立ち塞がった。


「理解に苦しむな。確か国士君といったね。君は、どちらかといえばこっち側の人間ではないのかな。心の奥底では人間を見限って、世界の終わりを待ち望んでいるんだろう? 僕には君の仄暗い思念が見えるよ。なのに、どうして太陽人を守るのさ。彼女を引き渡せば、世界を滅ぼせるんだ。それなのに、どうして勝ち目のない戦いをするのかな?」


 悪魔憑きの問いに、俺は自問を余儀なくされる。確かに、俺は矛盾している。


「そうだ、よ……悪魔。お前が言う通りだよ。だからこそだ。俺は人間を憎み、世界を憎んでるクズだ。世界はそれ以上のクズだ。お前が望む通り、滅ぼした方が良いかもな。でも、あんなを見捨てたら俺は本当のクズになっちまう。俺には、二つだけ決めてる事があるんだ。一つは、手の届く場所にいる人間は守るってこと。もう一つは、俺の懐に飛び込んで来た奴は、それが誰であっても守るってことだ。それが俺の武士道だ。それすらも貫かなかったら、俺はお前の言う通り、世界を破壊する側のただのクズになっちまう。だから絶対に、殺されても、ここだけは通さないんだ」

「ふむ。武士道か。虫唾が走るね。そんな下らない思想を、誰が君に吹き込んだのかな?」

「偉大なイカレ野郎だよ。その人は、お前なんかよりずっと強いのだぞ」


 俺は悪魔と言い合って、前のめりの構えを作る。互いに呼吸を顰め、機先を探る。研ぎ澄まされた何かが、部屋いっぱいに満ちていた。

 ドオンと、雷鳴が鳴る。その瞬間、俺と悪魔は踏み込んだ。

 渾身の一撃が交差する。奴とぶつかり合う音を最後に、俺の意識は途切れた。


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