第18話 ボクサツ君は吐き捨てる




 ボクサツ君は、静かにナイファンチの構えを作った。ナイファンチは空手における最も基本的な型であり、対達人用の構えでもある。隙がなく、とても良い構えだった。呼吸にも落ち着きあり、眼もボヤりと全体を捉えている。

 やはり、只者ではない。


「ま、僕の相手としては小物だが、手合わせしてあげるよ。かかって来たまえ」


 と、ボクサツ君が狼男を挑発する。

 狼男は唸り声を上げながら距離を取り、警戒感を滲ませた。落ち着き払った態度に、動物的本能で脅威を感じたのだろう。


「来ないなら、僕から行くよ」


 ボクサツ君が、すっと踏み込んだ。その瞬間だった。

 突然、狼男が突進し、がおっ! と唸りながら強烈な拳を放つ。

 攻撃が、ドシリと、華奢な男の土手っ腹を捉える。ボクサツ君は綺麗に殴り飛ばされて、したたかに壁に叩きつけられた。


「ぐぼ、あ……死ぬる」


 ボクサツ君は滑稽な呻き声を上げて、床に崩れ落ちて倒れ伏す。もう、ピクりともしなかった。完全に、心が折れている風だった。


「負けたあああああ!?」


 俺と日向は同時に叫ぶ。

 直後、狼男どもが突進してきた。俺と日向は迎え撃ち、教室内は大乱戦となる。


「なによ、なによ! ボクサツ君、ポンコツじゃない。とんだ役立たずじゃないのよお!」


 と、日向は回し蹴りを繰り出しながら叫ぶ。

 ぷぅ。と、おならの音が響く。

 ぷうちゃんの姿がみるみる変わり、大柄な狼人間へと変化する。同時に、窓からは新たに二匹、狼男が飛び込んで来た。


「ルーシー、アンナ、マモル!」


 ぷうちゃんが叫び、二匹の狼男と戦い始めた。ライカンスロープ同士の戦いは、人間のそれを超えて荒々しい物だった。

 ぷうちゃんが鋭い牙で喉元に喰らい付き、敵を床に叩きつける。叩きつけられた狼男は即座に起き上がり、腕を薙ぐ。攻撃が外れ、木製の窓枠を粉々に砕く。そこに、ぷうちゃんがカウンターの拳を叩き込む。

 ドカン、ガシャン! と、破壊音が響きまくり、絶え間なく床が軋む。異形の者が教室で破壊の限りを尽くす。やがて、ぷうちゃんは壁を突き破って隣りの教室へと姿を消した。


 一方、俺も一匹のライカンスロープと戦っていた。

 ゴッ、と風を切る音と共に、太い腕が振り抜かれる。カウンターを叩き込んでやりたいところだが、速すぎて避けるのが精いっぱいだった。しかも、敵はやたら反応が鋭い。まさに野生の獣のそれだ。一撃で倒す戦法では、一発も当たらないかもしれない。

 そこで、俺はやり方を変えた。

 少し距離を取り、全身の力を抜く。軽い打撃であれ、とにかく連撃を当てて隙を作るべきだ。大技は、隙が出来た時に狙えば良い。なんとか命中させねば。


 俺は「しっ」と、鋭く息を吐きながら突進する。

 素早い三度の突きから、前蹴りを放つ。それに対応して敵のカウンターが迫る。その太い腕を交差法こうさほうで弾きながら、踏み込む!


 ふん! と、渾身の頭突きを叩き込む。完全に機を合わせた攻撃が、敵の顎を捉えた。

 狼男はぎゃん! と呻き、咄嗟に距離を取って、再び俺の隙を伺う形となる。

 戦える……!

 そう感じた時のことだ。


「ふっ。この僕を殴り飛ばすとはね。でも勘違いしないことだ。こんな軽い攻撃で、僕をどうにか出来ると思ったのかい?」


 背後から、ボクサツ君の声がした。恐ろしく冷徹な口調である。鋭い気当りで、俺の背筋に寒気が湧き上がる。

 まさか、あれ程の攻撃を受けて立ち上がったのか?

 俺は振り返り、ボクサツ君に眼をやった。

 ボクサツ君は、まだ、綺麗なの体制で床に這いつくばっていた。どう見ても戦闘不能だった。なんなら、ちょっと泣いていた。


「ほらほら。早くかかってきなよ。怖気づいたのかな?」


 ボクサツ君は這いつくばったまま言い放つ。だが、まるで起き上がる気配がない。


「立ってから言いなさいよ! ちょっと期待したじゃない!」


 日向が半泣きでツッコんだ。

 俺達は、再び戦いを再開した。

 怨嗟混じりの唸り声が迫る。狼男は、突進から大振りの右拳を衝き出した。俺もそいつに突進する。

 頭上を、鋭い風切り音が通過する。

 振り抜かれる攻撃を潜りながら、俺は敵の脇腹に、渾身の肘を打ち込んだ。

 ゴキ。と、骨の砕ける感触がする。肘の衝撃で狼男が突き飛ばされ、倒れそうになる。俺はその腕を掴んだ。


「えい!」


 と、狼男をうつ伏せに組み伏せる。掴んだ腕の関節を極め、それを一気にへし折ってやる。

 ぎゃん! と悲鳴を漏らす後頭部に、ドシリと渾身の正拳突きを打ち下す。それはしたたかに突き刺さり、狼男は完全に気を失った。


「くくく。ほら、ほら! 僕を怒らせるからさ。こんなものじゃ終わらせないよ」


 ボクサツ君が、何故か勝ち誇って言い放つ。勿論、やつはまだ床に這いつくばったままだ。


「だから、喋る元気があるなら戦いなさい!」


 日向が再び、半泣きでツッコんだ。

 ぷうちゃんは大活躍だった。彼女は、俺がやっと一匹仕留める間に、既に、二匹のライカンスロープを戦闘不能にしていた。廊下は、壁が崩れて穴だらけになっていた。

 あとは、日向か。

 眼をやると、日向は少し苦戦していた。俺が踏みだすと、咄嗟に、彼女は仕草で加勢を拒んだ。

 日向が考えている事は、手に取るように分かった。

 ──ここで自力で敵を仕留められなければ、私は足手纏いだ。私は、絶対に国士の足手まといにだけはならない。

 きっとそのように考えているに違いない。実際、ライカンスロープは悪魔憑きとは違い、なんとか戦いが成立する相手ではある。この危機を乗り越えられなければ、この先も生き残れるか分からない。


 ふうっ、と息を吐きながら、日向は敵から少し間合いを空ける。

 俺や泰十郎師匠と違い、日向は一撃必倒の攻撃を持たない。まだ、武術家として開眼していないのだ。そんな日向が頼りとするのは、ある、特定の戦法である。

 日向は身長が高く手足が長い。その割には足取りが軽く、とても素早い。長い手足を生かして、敵の間合いの外から絶え間なく攻撃を打ち込み続ける。敵の攻撃は、間合いの外に出る形でかわす。一度でも攻撃が当たり、敵が体勢を崩したら、素早く踏み込んで怒涛の連撃を叩き込みまくる。

 その戦法を、俺は『一五、六回殴り』と、呼んでいた。実際には一五、六回以上攻撃しているのだが、それは置いておく。日向は明らかに、一五、六回殴りを狙っていた。


「負けるもんかあああ!」


 日向は雄叫びを上げ、敵に踏み込んだ。彼女は竜巻のように回転しながら、無数の攻撃を放ちまくる。

 やがて、きゃん、と動物的な声が漏れる。日向の回し蹴りが、狼男の鼻先に当たったのだ。一瞬、そいつは体勢を崩しかける。間髪を入れず、日向がぐっと踏み込んだ。


「やあああ! この、この、このっ!」


 怒涛の連撃が、これでもかと打ち込まれる。攻撃は、狼男が倒れて完全に戦闘不能になるまで続いた。最早、ただの凄惨な暴力でしかなかった。

 ドサリと、狼男が崩れ落ち、白目を剥いて泡を吹く。一番酷いやられ方だった。


「な、なんとかなったわね」


 日向が息を切らし、肩を揺らしながら爽やかに言う。返り血で、爽やかさが余計に恐怖を煽っていた。


「ああ。この調子なら、なんとか高千穂神社に辿り着けるかもしれな──」


 ──俺が言い終わる前に、バリン、と窓が割れ、新たに三匹の狼男が飛び込んで来た。


「休む暇も無し、か!」


 俺は吐き捨てて、再び、ナイファンチの構えを作った。


 ★


 数分で、戦いは終わった。

 俺も、日向も、ぷうちゃんも、もう満身創痍だった。全員が床にへたり込み、肩で息をしている。

 だが、勝った。

 教室には、七匹のライカンスロープが転がっている。その内、三匹をぷうちゃんが倒し、俺と日向が二体ずつを仕留めた。ボクサツ君は……言うまでもない。


「今度こそ、本当に全滅させたみたいだな」


 俺は疲れ混じりに言う。


「ルーシー、ガンバッタ! ヒナタ、アンナ、ホメロ」


 ぷうちゃんは人間の姿に戻り、あんなにじゃれついている。あんなはぷうちゃんの頭を撫で、ご褒美にクッキーを与えている。

 ゆらりと、ボクサツ君が立ち上がる。


「ふう。ライカンスロープか。口ほどにもない奴等だったね」


 ボクサツ君は涼しげに言う。


「あんた、ずっと寝てたよね……」


 日向は、ボクサツ君に軽蔑と侮蔑の眼差しを向けた。

 こうして、俺達はライカンスロープどもを縄で縛り上げた。


「これで暫くは、追手もかからないだろう」


 と、俺は校庭に眼を向ける。

 窓の外にはもう、夜明けの気配があった。涼やかな風が、疲れた身体に心地よかった。



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