第五章 強襲の悪魔、追跡の狂人
第17話 変化の兆し、強襲の狼
★
夜の教室は静かだった。
皆、寝息を立てていた。
闇は底知れず、深い。俺の胸の中で、嫌な思い出ばかりが駆け巡っていた。俺は横になったまま、あんなの話についてずっと考えていた。
あんなは世界を救いに来たのだという。実際、世界にはろくでもない出来事が溢れている。戦争、病気の蔓延、差別に搾取、虐め、詐欺、際限なき重税、プロパガンダ的レッテル貼りに、理不尽な同調圧力。それに気候変動と自然災害──。
馬鹿な俺にだって、世界が終わりに向かって突き進んでいることぐらいは解る。俺はあんなにこうも言った。
『あんなは馬鹿だな。こんな世界、そこまでして救う価値なんて、あるとは思えないのに』
本心だった。
こんな世界で守るべき人間が、一体何人いる? 世界はどう見まわしてもクズばかりだ。それなのに、そんな連中の為にどうしてあんなが傷つかなければならない。
どうして、あんなはこれ程までに、あんな連中を救おうとしているのだろう。俺の物の見方が間違っているのか?
そういえば、昔、
「酷い奴等に酷いことをされたからって、それがなんだ。国士までそいつらみたいになったら、それこそそいつらの思うつぼだ。負けなんだよ」
俺はその日、喧嘩を終えてそのまま道場に向かったんだっけ。師匠からは、喧嘩したことをすぐに見抜かれて叱られた。いつも通り殴られるかと思ったが、あの時は妙に優しかった。
俺は許せなかっただけだ。あの頃、日向は度々虐めを受けていた。クラスで仲間はずれにされて、無視されたり上靴を隠されたりすることも日常茶飯事だった。俺には、日向に非があるとは少しも思えなかった。日向はただ、少しだけ優れていただけだ。虐めている連中は皆、クズだった。全員ぶっ殺してやりたいと思っていたし、実際、連中を何度も殴り倒してやった。その事について、自分が悪いとは少しも思わない。
でも、あいつらみたいになったら負け。だったら、俺はどんな風になれば良いのだろう?
とても、あんなみたいにはなれる気がしない。じゃあ、せめて、あんなを守る事は出来るだろうか?
違う、そうじゃない。守るんだ。何がどうあっても、なんとしても。あんなを守りきれなかった時、俺は人としての最後の何かを失うだろう。強く、そんな気がしていた。
思考はやがてまどろみに変わり、俺はいつしか眠りに落ちた。
夜半、俺は違和感に気付いて目を覚ました。
傍らに、あんながいた。
彼女はテントを抜け出して、俺の右腕に掌を当てていた。あんなの掌は、薄く、白い光を放っていた。
実は、俺は利き腕にずっと痛みを感じていた。ぷうちゃんの攻撃を受けた時に、骨にヒビが入ったのだ。言ってもどうにもならないし、日向に心配をかけるだけなので黙っていた。が、そんな俺の違和感に、あんなは気が付いていたのだろう。
まるで魔法みたいに、利き腕の痛みが引いていった。
「あんな──」
──言いかけた俺の唇に、あんなの指先が触れる。彼女は仕草で沈黙を促して、そのまま俺の治療を続けた。彼女の爪の先が、噛みちぎったみたいに欠けていた。寂しくて噛んだのだろうか?
五分程で、痛みは完全に治まった。なんと、腕は、完治していた。
流石の俺も驚いた。あんなにはどうやら、念動力の他にも癒しの
俺はそっと、あんなの頭を撫でた。あんなは、静かに俺の胸に顔を埋める。ずっとこんな時間が続けば良いのにと、ぼんやりと考えていた。
ふと、ぷうちゃんが身体を起こす。
「ワルイヤツガクル……!」
ぷうちゃんが、四足歩行の構えへと移行して警戒を露わにする。
俺は声を上げ、皆んなを起こした。仲間たちは眼を擦りながら、テントの中から這い出して来る。
「ぷうちゃん、悪い奴が来ると言ったな。ライカンスロープか?」
「ソウダ。モウ、カコマレテル」
俺はぷうちゃんと言葉を交わしながら、LEDランタンの灯を灯す。
「えっと、その、ライカンスロープっていっても、ぷうちゃんと同じなんだよね。だったら、話をして説得できないかな?」
日向が言う。
「ムリダ! アイツラハ、トッテモバカナンダ。ルーシーハ、一番オリコウサンダッタンダ。アイツラハ喋ラナインダ」
「つまり。ぷうちゃん以外のライカンスロープは人間性を失っているからコミュニケーションが出来ない。そういう事かな?」
ボクサツ君が問う。
「ソ、ソウダ! ゴシュジンサマ、カシコイ!」
ぷうちゃんが言った直後、ドカリ! と扉を突き破り、教室に、二匹の狼男が飛び込んで来た。大きい。本気でやっても勝てるか、少し怪しい。
「や、やるしかなさそうね!」
日向が、猫足立の構えで叫ぶ。
うごおおおおお! と、怒声を上げ、狼男があんなへと突進する。
「あんなちゃんに触るな!」
日向が飛び蹴りを放ち、ライカンスロープを蹴り飛ばす。俺も日向と肩を並べ、ライカンスロープどもに立ち塞がった。
ゆるりと、蹴り飛ばされた狼男が身を起こす。ランタンの光を受けて、狼男どもの目が不気味に光の尾を引いた。ヒリヒリする睨み合いの最中、痩せっぽちの背中が眼前へと歩み出る。
「ふっ、ようやく僕の出番か。仕方がないな。君達は下がっていたまえ」
ボクサツ君が、静かに言い放つ。何処か気怠げな、独特の、拳士の気配を纏っていた。
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