第14話 洗脳のルーシー



 ★


 暫くして、ルーシーは四つん這いでビスケットを齧っていた。


「美味しい? まだ、あるんだけど」


 あんなはルーシーの頭を撫でながら言う。ルーシーは、餌付けされて、すっかりあんなに懐いている様子だ。実に微笑ましい光景ではある。


「オイシイ! タベル!」


 と、ルーシーが眼を輝かせる。すると、ボクサツ君が、あんなの手からビスケットの袋を取り上げて、何故か邪悪な微笑を浮かべる。


「そうかそうか。じゃあ、こっちへおいで。ほら。お菓子がいっぱいあるよ」


 と、ボクサツ君が笑顔で手招きする。


「ワアイ! オ菓子タベル!」


 ルーシーは、ボクサツ君に誘いこまれ、木造の更衣室へと入っていった。ルーシーが駆け込むなり、ボクサツ君は、バタリと小屋の扉を閉める。

 鼻歌を歌いながら、泰十郎たいじゅうろう師匠が日向にヘッドホンを被せた。ヘッドホンからはジムノペディのメロディが漏れ聞こえている。更に、泰十郎師匠は、何故か日向に目隠しをする。


「これ……何をやってるんですか?」


 日向は困惑を口にする。


「まあまあ。気にしない、気にしない」


 泰十郎師匠の顔にも、邪悪な微笑が浮かんでいた。

 そして、小屋からが聞こえてくる。

 カシャコン、パン。カシャコン、パン。カシャコン、パン。パカカカカカ! パカカカカカカカカカカ!

 どうやら、空気銃の音らしい。


「ヤ、イヤアアア! ヤダア、ソンナトコロ、ダメ。ヤダヨウ。ウワアン。ルーシー、オウチニカエル」

「へえ。さっきはあんなに強気だったのに。もう降参かい? わあ。もう、こんなにして。いけない子だね。お仕置きだ」

「ワ、ワアア。ヤダヨウ。ア、アン……ソンナオオキナノ、ムリダヨウ。アウ……キャア。ヤアアアン!」

「ふふふ。くふふふふふ! イケナイねえ。悪い子だね。悪い子にはお仕置きしなきゃ。次はこれだよ。ほら、欲しいだろ。言ってごらん? ふふ。泣いても駄目さ。益々興奮してきちゃうなあ」

「ワアアアン! キャッ! ア……。オカシクナッチャウヨウ。モウ、ユルシテヨウ……アン。アアアン!」


 小屋の中からは、怪しさ爆発のボクサツ君の罵り声と、ルーシーの謎の吐息とが漏れ聞こえてくる。が、やがて音が止み、長い静寂が訪れる。


 沈黙を経て、キイ。と小屋の扉が開く。


「ウ、ウウ。ヒック、エッグ。グスン……」


 中から、ルーシーがよろよろとした足取りで、泣きじゃくりながら出て来た。

 ボクサツ君も、すまし顔で姿を現した。彼は何故か、ハンカチで手を拭っている。

 日向の顔が青ざめる。彼女は途端にヘッドホンを外し、ボクサツ君の胸ぐらを掴む。ルーシーは泣きじゃくるばかりだ。


「な、何をしたの? ルーシーちゃんに何をしたのおおおお? 変態、変態!」


 と、日向はボクサツ君を揺さぶった。


「ご、誤解だよ。特に何もしてないよ」

「嘘言いなさい! 人でなし! クズ、ロリコン!」

「だから本当だって。変なことはしてないからね?」

「信じられるか! 汚らわしい。けだもの!」


 と、日向はボクサツ君を罵りまくる。

 俺は、何か硬い物で頭を殴られたような気がしていた。今日からは、ボクサツ君のことも師匠と呼ぼう。そうしよう! 沸き上がる感動が、俺を包んでいた。


 さて、ルーシーは、新しい服に着替えた。日向の服は大きすぎたので、あんなのメイド服を着せてみた。ルーシーは、小柄なあんなよりも更に小柄で、服の袖で手が半分隠れていた。


「きゃあ。可愛いんだけど」


 あんながルーシーに抱きしめて、これでもかと頭を撫でつける。


「ほんとね。ルーシーちゃん、私のクッキーもあげる」


 日向もデレデレと、ルーシーを甘やかしている。


「ワアイ。ルーシー、ヒナタスキ! アンナモダイスキ!」


 ルーシーは、お菓子を与えられた上機嫌である。そんなルーシーに、ボクサツ君が静かに歩み寄る。


「じゃあ、ぷうちゃん。もう一度、ぷうちゃんの役割を聞こうか?」

「ぷうちゃん?」


 日向が首を傾げる。


「ああ。このの愛称だよ。可愛いだろ? さっきぷうちゃんをごうも……質問をして色々聞き出したんだけど、どうやら、ルーシーちゃんはおならをしたら変身しちゃうみたいなんだよね。だからぷうちゃんだ。ちなみに、ぷうちゃんはストリクスと呼ばれる勢力の、とある研究所で監禁されていたみたいだね。生まれた時からずっと研究所で育って、彼女の母親はどこかから誘拐されて来たみたいだ。ね、ぷうちゃん?」

「ソ、ソウダ! ルーシーハ、悪イマホウツカイヲヤッツケルンダ! アンナヲ守ルンダ。ルーシーハ今度コソ、正義ノミカタニナッタンダゾ」


 無邪気に言うルーシーの眼は、軽くイッちっていた。なんというか、洗脳された者の狂気があった。


「よしよし」


 ボクサツ君が黒い笑みを浮かべ、ルーシー、否、ぷうちゃんを撫でつける。ぷうちゃんはぴょんぴょん飛び跳ねて、嬉しそうにボクサツ君に飛びついた。


 ★ ★ ★


 我々は食事と休憩を終え、再び高千穂神社を目指して出発した。


「くれぐれも、山で焚火とかしないようにな。ゲリラ戦の基本だ」


 背後から、泰十郎師匠が念を押す。

 俺達は手を振って、山の中へと分け入っていった。

 七月の山は蒸し暑かった。足場は悪く、沢山の羽虫が飛び、でかい百足やミミズも見かける。それでも俺達は、茂みを掻き分けて道なき道を進んで行く。

 進み始めて一時間程が経過した。


「ねえ、待ってよ。本当にこんなとこ登るの? ちょっと休もうよ。うわ、滑った。げっ。でかいムカデがいる! 気持ち悪っ。はあ……ちょっと待とう。話を聞きなって」


 なんて、ボクサツ君は汗だくで愚痴りまくっていた。


「ねえ国士。何なのあの人? 本当に当てになるの? なんかゼエゼエいってるし。ずっと弱音吐きっぱなしなんだけど」


 と、日向が耳打ちする。


「ううん。どうなんだろうな。仮にも、泰十郎師匠が認めた武術家みたいだから、いざとなったら凄いんじゃないのか? ほら、昔のカンフー映画とかにも、あんな感じの達人が出てくるだろ。弱く見せておいて実は強い、みたいな」

「だと、良いんだけど」


 俺と日向は呆れて背後を振り返る。ボクサツ君は息を切らし、フラフラになりながら斜面を登ってきた。

 一方で、ぷうちゃんの足取りは軽やかだった。


「ゴシュジンサマ。ガンバレ! ルーシーオウエンスル!」


 ぷうちゃんは、何故かボクサツ君のことを〝ご主人様〟と呼んでいる。あの短時間で、どんな教育を施したのやら。


「でも、流石に私も疲れたかも。日が暮れる前に眠る場所を確保したいわね」


 日向が顔を曇らせる。

 見ると、あんなも息を切らしていた。かなり歩いたし、少し休憩するべきか。

 それから暫く進むと、俺達は開けた場所へと辿り着いた。そこは山間に作られた学校だった。学校といってもボロボロで、もう何十年も前に廃校になっている感じだ。人の気配もない。辺りには舗装された道もなく、昔、道だったと思しき場所には草が生い茂っていた。


「やった。建物だよ! ねえ、日も落ちて来たし、今夜はここで休もうよ」


 と、日向が提案する。


「……そうだな。ここなら、まず敵にも見つからないだろう」


 俺はそう判断し、校舎へと歩き出した。


 ★


 校舎の中は何処もボロボロだった。建物の木造部分は朽ち果てており、階段も原型を留めていない。二階には上がれそうもなかった。壁や柱は鉄筋コンクリート製だったので、一階部分は利用できそうだった。窓は大半が割れていたが、雨風を凌ぐには問題なさそうだ。

 俺はザックからキャンプ用品一式を取り出して、教室の中でテントを張った。キャンプ用品を買い揃えておいたのは正解だった。念の為、地図で現在位置を確認してみる。

 高千穂までは、まだ丸一日以上は歩く必要がありそうだった。少々疲れが込み上げて、溜息混じりに視線を上げる。

 窓からは、夕暮れの校庭が見えた。校庭は小さくて、一面、草が生い茂っていた。


 その時、教室には俺とあんなだけがいた。他の三人は、トイレに行くと出ていったきり、中々戻って来ない。


「出来たぞ、あんな。少し休め」


 俺はテントを張り終えて、あんなに目をやった。あんなは窓辺に佇んで、静かに遠くを眺めていた。純白の髪が夕日に染まり、ふわりと風に揺れている。


「あんな?」


 再び声をかける。そこでやっと、あんなが振り向いた。

 灰色の瞳に、薄く、涙が浮かんでいた。


「なんで泣いてるんだ?」


 思わず問いかける。するとあんなはハッとして、涙を拭う。


「何か悲しいのか?」

「このまま進んだら、もう二度と……」

「もう二度と?」

「ううん……。なんでもないんだけど」


 何かを押し込めて、あんなはほんのり微笑する。それは寧ろ、淋しげに映った。

 また、胸を締め付けられる気がした。それは郷愁に似て、切なく、物悲しく、淋しい。それをどう形容すべきか、俺自身、解らない。


「あんなは綺麗だな」

「ありがとう、なんだけど」


 次の言葉が思い浮かばない。俺ともあろう者が、何故か、言葉を見失っている。


「俺はあんなが好きだ。あんなは、俺が好きか?」


 止めていた息を吐き出すように、やっと言葉を絞り出す。


「はい。愛しい人」


 あんなはそう言って、もう一雫ひとしずく、涙を零した。


 やがて、パタパタと、騒がしい足音が近づいて来る。


「ねえねえ! プール横のシャワー、まだ水が出るわよ」


 と、日向が教室に駆け込んできた。彼女は、ぷうちゃんと校内を探検してきたらしい。


「そうか日向。じゃあ、脱げ」


 俺は言う。


「は? なんで」

「浴びるんだろ、シャワー。俺が身体の隅から隅まで綺麗に洗ってやる。あんなもな」


 と、俺はあんなに目配せする。


「はい。愛しい人」


 あんなはそう言って、パンツを下ろそうとする。


「やめなさい、あんなちゃん!」


 日向が慌てて阻止した。

 三分後、俺とボクサツ君は芋虫だった。日向達がシャワーを浴び終わったら、ちゃんと縄を解いてくれるか怪しい気がする。


「……なんで僕まで縛られているのかな?」


 ボクサツ君が、冷めた目で愚痴る。


「うん。日向の奴はボクサツ君を変態だと思ってるからな」


 俺は言ってやる。


「納得がいかない! 僕は別に変態ではないよ。至極当然に、健全に、女体に興味があるだけなのに」

「否、それが駄目なんだろう。あんたの場合、普通に犯罪だからな」

「なにを言ってるんだ。子供の裸には興味ないよ? それに、僕はあくまでも縛る方であって縛られる方じゃない! これは、僕のサディスティックに対する冒涜だよ!」

「うん。だんだんわかってきた。あんたは俺と同類だ」

「失礼な! 君のように直線的に欲望に従っても面白くはないんだよ。僕の欲望はね、こう、回りくどくて深淵なんだ!」

「……初めて、日向の気分が解ったかも。少しだけど」


 なんて、俺達はしょうもない会話で時間を潰すのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る