第11話 真瀬蓮美は覚悟する



 殺意が肌にまとわりつく。

 真っ直ぐに、看護師イスライシュが突っ込んできた。奴は高く飛び上がり、鋭く蹴りを放つ。俺は咄嗟に潜り、背後へと回り込む。すれ違い様に奴の後ろ襟を引っ張ると、看護師は空中でバランスを崩し、そこに、日向の蹴りがカウンター気味に襲う。


「はっ、やるね!」


 と、看護師は身体を捩り、攻撃を回避した。だが、逃さん! 看護師の首に、俺は腕を絡ませる。

 締め技なら──!


「良い判断だよ! いくら悪魔憑きでも締め技や関節技は有効だから、絶対に離さないで!」


 蓮美が運転席から叫ぶ。

 看護師は、猛烈な勢いで俺を振り回し、足掻く。だが、俺は離さなかった。日向は日向で雄叫びを上げながら、看護師に攻撃を打ち込み続けている。やがて、強烈な攻撃が命中して、看護師に隙が出来た。俺は背後から看護師に脚を絡め、ますます、敵は動きを制限される。


「うわあああ! 一五、六回殴りぃ!」


 日向が、怒涛の連撃を叩き込む。看護師はもう、その攻撃に対処出来なかった。


「ぐ、離れ……が」


 看護師イスライシュは苦し気に、虚空に手を伸ばす。やがて、そいつは白目を剥いて崩れ落ちた。

 俺は看護師ごとアスファルトに倒れ、少々背中にダメージを受けた。が、良しとしよう。看護師は、完全に気を失っていた。


「信じられない。まさか……本当に悪魔憑きを倒してしまうなんて」


 蓮美が驚愕の表情を浮かべている。


「なにを言ってるんだ蓮美。悪魔なんかいないのだぞ」


 と、俺はやっと立ち上がる。


「馬鹿、さっきの怪力を見たでしょ。あんなこと人間に出来る? 事実を受け入れなさい。悪魔憑きはね、黒魔術師ストリクスが使役する悪魔が人間に獲りついた奴なのよ。はっきりいって無敵に近い存在だから、悪魔祓いが出来なければ逃げるしかないんだけど……あんた達、滅茶苦茶強いのね」

「いいや。熊本では、俺達ぐらいの使い手はそう珍しくないぞ。腕前のレベルでいうなら、俺も日向も中の上ぐらいだ」

「は? え? そうなの? 九州は武術が盛んだと聞いたことはあるけど……もっとヤバい連中がいるの?」

「ああ。師匠はもっと凄いのだぞ。それに鹿児島や宮崎、大分辺りの武術家も侮れないぞ。試合でも、たまに負かされたりするからな」

「なにそれ。九州、修羅の国じゃない。どうであれ、あんた達が使えるってことは分かったわ。二人とも、邪馬台国やまたいこくに入らない?」

「邪馬台国? なんだそれ」

「私が属してる組織のことよ」


 俺と蓮美が言い合う最中、あんなは看護師へと歩み寄る。


「ん。あんなちゃん、何をしてるの?」


 日向が問う。


「悪魔祓いなら、私が出来るんだけど。この人は悪魔に憑依されてる被害者なんだけど。だから助けるんだけど」


 言いながら、あんなは看護師の傍らにしゃがみ込んだ。


「天にまします我が主、イエスの名において命じます。悪魔イスライシュよ。この人の肉体から去りなさい」


 と、あんなは看護師のおでこに触れる。

 俺の眉が、ピクリと動いた。

 イエスといえば、地球の、キリスト教の神だ。一方で、あんなは太陽人である。太陽人のあんながキリスト教式の悪魔祓いを? 何故だ?


「重ねて命じますます。父と、子と、聖霊の名において。悪魔よ、出て行きなさい」


 あんなが言った直後、俺は咄嗟にあんなの後ろ襟を引っ張った。

 ボッ、っと、空気を切り裂く音がした。看護師が腕を振り抜いたのだ。


「参ったね……まさか、子供にいっぱい食わされるとは。だけど、もう油断はしないよ。ここからは本気で相手をしよう」


 悪魔はゆらりと立ち上がる。

 俺はあんなを下がらせて、再びナイファンチの構えを作った。


「何度でも、のしてやるさ」


 強がりだった。先程締め技を仕掛けられたのは、相手に油断があったからだ。奴は力も速さも打たれ強さも、人間を遥かに凌駕している。もう、悪魔に勝つ手立てが思い浮かばなかった。


「逃げろ」


 俺は日向に目配せをする。だが、日向は従わなかった。彼女は俺の傍らに肩を並べ、ちょっぴり寂しげに微笑する。


「死ぬ時は好きな人と一緒に死ぬの。そう決めてるんだ」


 言い放ち、日向は猫足立ちの構えを作る。俺も再び拳を握り、呼吸を整える。少しだけ冷静になった視界の隅で、勝算が動き出す。そして、俺は不敵に高笑いを始める。


「おやおや、怖くておかしくなったのかい? 今更降参は受け付けないよ。さあ、どっちからかかって来るんだい。僕は二人同時でも構わな──」


 ──悪魔が言い終わる前に、ドカリと、悪魔に自動車が突っ込んだ。

 悪魔は景気良く跳ね飛ばされて、ガードレールを飛び越えて遥か崖下へと落下していった。


「ふう。命中、命中」


 蓮美が運転席で額の汗を拭っていた。そう、自動車が接近する音を誤魔化すために、俺は高笑いをして注意を引いてやったのである。

 俺と日向は、ガードレールから身を乗り出して崖下に目を凝らす。崖はかなりの高さがあった。眼下に生い茂る樹木の奥に、悪魔の姿を確認する事は出来なかった。


「なんとかなったね。いくら悪魔憑きでも、この高さを上がって来ることは出来ない。今の内に逃げようよ」


 日向が言う。


「ごめん。長距離は走れそうにない」


 蓮美が顔を曇らせる。

 見ると、自動車からは油が漏れ出していた。ガソリンではない。エンジンオイルの類だろうか?


「急いで荷物を下ろして。君達は山を伝って逃げなさい」


 蓮美は重ねて言う。


「蓮美はどうするんだ?」

「私は下りられない。残念だけど、君達の囮になる以外に出来ることがないの」


 自動車のフロント部分が大きくひしゃげ、凹んでいた。蓮美は車体に脚を挟まれて、運転席から動けなかったのだ。


「駄目。蓮美さんも一緒に逃げるんだよ! すぐに助けるから」


 日向は自動車に張り付いて、蓮美を引っ張り出そうと頑張った。だが、ひしゃげた車体はいかんともし難い。


「聞こえなかった? 早く逃げなさい! 絶対に、あんなちゃんをあいつらに渡しては駄目よ。あんなちゃんはね、命を削ってまで、世界を救おうとしているの。あんた達も武士ならば、あんなちゃんの心意気に応えてあげなさい」


 蓮美が叫ぶ。その直後、彼方から狼に似た遠吠えが響いた。


「ライカンスロープだよ。こっちに向かってる。私が囮になるから急ぎなさい」


 俺は蓮美に従って、自動車のトランクから荷物を引っ張り出した。そうして、日向とあんなの手を引いて、山の茂みへと分け入ってゆく。


「待って、国士、どうしてよ! 本気で蓮美さんを置いていくつもりなの?」

「私も残るんだけど。蓮美さんを置いてはいけないんだけど」


 叫ぶ日向とあんなの腕を、力づくで引っ張って進む。日向は俺の背をポカポカ叩くが、それでも、俺は脚を止めなかった。

 そして、蓮美が高らかにクラクションの音を響かせる。

 自動車が走り出した。

 蓮美の後を追って、無数の怪物が道路を駆け抜けて行く。見るからに狼男といった風貌の、人型の何かだった。

 俺達は茂みの影で息を潜め、敵の様子を窺がっていた。やがて、敵の姿は遠ざかり、見えなくなった。


「……行こう」


 俺は立ち上がった。

 俺達は、道なき道をかき分けて進んだ。ひたすら茂みをかき分けて、落木や岩を飛び越えながら進む。行けども行けども蜘蛛の巣だらけだ。山道は愚か、獣道すらも通らなかった。このままの速度だと、目的地までは丸二日以上がかかるだろう。それでもやり方を変える訳にはいかなかった。

 きゃっ。と、あんなが斜面で足を滑らせる。俺は咄嗟にあんなの腕を掴み、引き寄せた。


「この辺りは滑りやすいから、気を付けろよ」

「はい。愛しい人」


 あんなは可愛らしく返事をする。あまりにも可愛かったので、俺はあんなの頭を撫でてやる。


「ん。愛しい人って……なにそれ? 国士、またあんなちゃんに変なことを吹き込んだでしょ?」

「ふっ。妬いてるのか日向? 可愛いじゃないか。日向も言ってみろ。いい子いい子してやるぞ」

「い、言う訳ないじゃない」

「ふうん。日向はツンデレなんだな」

「ち、違うもん」

「ほらほら。照れないで言ってみろよ。俺が好きなら、少しは俺に可愛いところを見せてみろ」

「…………はい。愛しい人」


 日向は、顔を真っ赤にして言った。


「ほら。やっぱり可愛いぞ」


 と、日向の頭も撫でてやる。


「や、やめなさい。やっぱナシ!」


 日向は俺を腕を振り払って、すたすた進んで行った。追いかけようとした俺の腕を、あんながぐっと引っ張った。


「お、置いていっちゃ嫌なんだけど」


 言った次の瞬間、あんなの脚を液体が伝い、地面に広がっていった。また、失禁したのだ。

 だから、何故漏らす?

 言いかけた言葉を飲み込んで、あんな腕を掴む。あんなの手は震えていた。胸を締め付けられる気がした。たぶん、余程怖かったのだろう。あんなは日向とは違い、怖いとか悲しいと感じても、気持ちを上手に表に出す方法を知らない。

 もし、ここで俺達があんなを見捨てたら、どうなるだろう?

 深い山奥にポツンと取り残されたあんなを思う時、俺の中に、悲しみに似た強い気持ちが込み上げる。

 ぐっとあんなを引き寄せる。

 あんなには俺達しかいない。この弱い存在を、絶対に誰にも渡さない。それは、俺がこれまで感じた事がない感情だった。


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