第10話 その名はイスライシュ




 俺達が乗る自動車は、再び前後を守られながら走り出した。


「高千穂神社までは、自動車で三時間と少しってところかしらね。桜ちゃんが居てくれるのは心強いけど、そろそろ敵も切り札を切ってくる頃よ。何が起こるかは分からない。気を引き締めてね」


 蓮美が運転席で言う。あんなと日向も状況に慣れ始めたのか、もう、震えてはいない。俺も、徐々に頭を働かせ始めていた。

 五分程進んだ時の事だ。

 突然、蓮美がブレーキを踏んだ。急停車した車の中を、強い緊張が満たす。


「どうした?」

「待ち伏せだよ。こっちの狙いを悟られたみたい。まあ、敵も馬鹿じゃないから当然よね」


 我々を守るようにして、前後にいた護衛の車が前方に停車する。敵の姿は見当たらないのだが……。


「影を見て。光学迷彩だよ」


 と、蓮美が指をさす。

 目を凝らすと、前方の橋の上で、複数の影が蠢いていた。影だけが見えるのだ。異常なまでに、高性能な光学迷彩ではある。


「まだ車から降りないで。前方の敵は私がなんとかする」


 通信機から声がした。湯田ゆださくらの声だった。

 桜は一人、自動車を降りて敵へと向かって行く。銃を持たず、防弾ベストすらも身につけてはいなかった。

 突然、猛烈な発砲音が響き渡る。何かが湯田桜の眼前で爆ぜ、火花が散りまくる。


「うわあああ! 誰も通すもんか!」


 桜は叫びながら橋へと突進する。彼女には弾幕が集中しているが、弾丸は見えない壁のような物にぶち当たり、ポロポロと地面に転がっていった。

 すっと、桜が前方に手をかざす。すると、半透明の人型が、次々と上空へと浮かび上がる。それは七メートル程の高さに達したところで、今度は落下する。落下の衝撃で光学迷彩が解除されて、敵の姿が露になった。

 敵は、白人に黒人。武装した外国人達だった。防弾ベストに小銃にヘルメットの、かなりの重武装──アメリカの特殊部隊だろうか。


「また、民間軍事会社の構成員か……彼らはストリクスの直轄下だから、政治的な駆け引きは通用しないし、交渉や説得も通用しない。何が何でもあんなちゃんを殺しに来るよ」


 と、蓮美がハンドルを握りしめる。

 その直後──。

 桜が橋の中程まで到達した瞬間、赤黒い爆炎が視界を満たした。耳が轟音でバカになり、状況が分からなくなる。だが、どうやら、爆発は橋の両端で発生したらしい。

 たちまち橋が落下する。湯田桜も崩落に巻き込まれ、遥か谷底へと落下していった。


「桜ちゃん!」


 蓮美が焦って車のドアに手をかける。


「狼狽えるな! 桜の救出は俺達に任せろ。これ以上時間を失えば、益々、護衛が難しくなる。蓮美は迂回して目的地に向かうんだ!」


 通信機から、厳しい声が響く。


「……桜ちゃんのこと、お願いね」


 蓮美は絞り出すように言い、アクセルを踏み込んだ。

 車は左折して、川に沿って進んだ。その後を、もう一台の護衛車が追いかける。三台目の車は、湯田桜救出の為に現場に残った。

 蓮美は、運転している間、かなり苦い顔をしていた。たぶん、湯田様とかいう女子高生は切り札だったのだろう。否、それよりも、桜のことを心配しているのか……。


「あれ? なにあれ。犬?」


 ふいに、日向が言う。俺は日向の視線を追い、背後に目をやった。

 後方の彼方に、無数の犬と思しき群れの姿があった。それは真っ直ぐに我々を追いかけている。だが、少し変だ。どうも、犬にしては大きすぎる。


「最悪。ライカンスロープだ!」


 蓮美が吐き捨てるように言う。


「ライカンスロープ? なんだそれ」

「アメリカ軍が極秘開発した生物兵器だよ。狼男は分かるでしょ? あんな感じのヤバい奴。ライカンスロープは大昔からいて、黒魔術師ストリクスの使い魔みたいな役目を果たしてきた。それに科学の手を入れて兵器化した生き物だよ。かなり強いから、捕まったらまずアウトだからね!」


 蓮美はアクセルを踏み込んだ。一方で、我々の後方を守る自動車が、何故か速度を落とし始める。


「馬鹿。何やってるの! 人間を相手にするのとは訳が違うのよ。無茶しないで!」


 蓮美は通信機に叫ぶ。


「舐めてるのか。ライカンスロープ如き、俺達の相手になるとでも? 時間を稼ぐから、蓮美はとっとと逃げろ」


 通信機の声は言った。

 そうして、後方の国産車はライカンスロープの群れにまで到達し、停車する。たちまち、護衛の車は化け物に囲まれて、様子が分からなくなる。そして、無数の発砲音が鳴り響いた。それを背に、蓮美は無言でアクセルを踏み続けた。


 我々は再び、護衛を失った。

 重い空気が車内を満たす。その雰囲気を変えようとしたのか、突然、あんなが歌い始めた。


 ◇◇◇


 もう眠ってしまったの?

 まだ遊び足りないのに。

「もう、行かなくちゃ」と言って、肩で風切る、雨の中。

「苛立ちは君の悪い癖」

 そう言って、傷ついた拳を両手で温める、君を両手で抱きしめる。

 その足跡は虹の向こうへ続いてくだろう。

 今、手と手の温もり、確かめ合う笑顔と笑顔──。


 ◇◇◇


 聴いたことがない独特の歌詞とメロディ。強いて例えるなら演歌とか、民謡に似ている。なんだか古い感じの歌だが、何故か聴き入ってしまった。


「それ、なんの歌だ?」


 率直に聞いてみる。


「太陽の歌なんだけど。地球でいうところの歌謡曲なんだけど」

「ふうん。まあ、太陽に文明があるのなら、歌があっても不思議ではないな。ところで、雨がどうだって歌ってたけど、どういうことなんだ?」

「太陽でも雨は降るんだけど。でも、この歌は元々は地球で作られたんだけど。地球の歌を、昔、誰かが太陽に持ち帰った。太陽人が地球に関心を持つのは、そこが故郷だから。太陽人のご先祖様は、何千年も前に地球からやって来たんだけど」

「なに!? じゃあ、あんなは人科人類ホモ・サピエンス・サピエンスなのか?」

「そう。太陽人は地球人と同じ遺伝子を持つ、人間なんだけど」


 と、あんなが微笑する。俺達の会話を聞きながら、蓮美が顔を引き攣らせている。


「あ、あんなちゃん? それ、超重要機密なんだけど」


 と、蓮美が嗜めるが、あんなは、


「私は太陽人だから、地球人の組織の決まりとは関係ないんだけど」


 なんて、飄々と言い返す。

 いつの間にか、皆、笑顔を浮かべていた。

 そして俺達は歌い出す。俺もあんなも日向も歌い、結局は蓮美も歌い出す。

 蓮美は、走りながら車の窓を開ける。ぱっと、あんなの純白の髪が躍り出す。夏の風が心地よかった。


 そんな俺達の逃走劇は、五分も続かなかった。

 突然、前方の山道の脇から人影が現れた。そいつはまるで自殺志願者のように、我々の自動車へと突っ込んできた。

 グシャリと、強烈な音と衝撃が襲う。そいつが、自動車に飛び蹴りを打ち込んだのだ。なんと、その一撃で自動車が横転し、道路を転がった。

 日向とあんなが、きゃあ! と悲鳴を上げる。俺は何度か天井で頭を打ち、割れた窓ガラスの破片で頬を切った。

 何回転しただろうか? 自動車の回転が止まった時、世界は上下逆転していた。


「……痛、あれは何なんだ」


 愚痴りながら、俺は自動車から這い出した。


「馬鹿、何やってるの」


 日向が焦って言う。


「何って、あいつをやっつけるんだよ」


 と、俺は指を差す。自動車に飛び蹴りを叩き込んだ奴だ。

 それは、見た目は普通の人間だった。痩せ型で、美人で、ナース服に身を包んだ若い女性看護師だった。但し、その女の眼には、常人離れした狂気が漂っていた。これまで感じた事がない、ドス黒い、異様な気当たりを感じる。普通の人間ではない。


「おや。と戦おうというのかい?」


 看護師が、薄く微笑を浮かべる。


「戦うだけじゃない。お前に勝つ」


 俺はドシリとアスファルトを踏みしめて、低いナイファンチの構えを作った。


「ふうん、では、その勇気に免じて僕の名を名乗ろう。僕の名はイスライシュ。一八八◯◯人の男を殺し、古代エジプト王国を震撼せしめた悪魔」

「悪魔? ああ。あれだな。中二病ってやつか」

「ん。昔、誰かにそんな事を言われた気がするが……まあいいさ。行くよ」


 イスライシュと名乗った看護師は、異常に素早く踏み込んできた。

 ボッ、と、風を切る音がする。俺は回し蹴りを潜り、深く踏み込んで看護師イスライシュの胸にカウンターの拳を打ち込んだ。

 看護師は、ぐっ。と呻きながら、胸を押さえて半歩下がる。


「いい攻撃だね。少し効いたよ」


 そいつは何事もなかったように、すぐに踏み込んできた。

 やたら頑丈な奴だ。俺は本気で拳を打ち込んだのだ。普通なら、道に這いつくばって芋虫になっている筈だ。

 考える暇はなかった。

 不気味な風切り音が、次々と頬や頭上を掠める。回し蹴りに裏拳、後ろ回し蹴り。流れるような連撃が襲い、俺は防戦一方となる。かわすので精一杯だった。どれも大振りの攻撃なのだが、あまりにも速く、鋭い。

 一発でも掠ったら終わる──。

 俺は全神経を集中し、ギリギリで攻撃を回避し続けた。


 ドカン! と、爆発に似た音が響き渡る。外れた飛び蹴りが自動車に当たり、再び自動車が跳ね飛ばされたのだ。さかさまだった車は、転がって元の状態に戻った。

 車内から、きゃあ、と、あんなの悲鳴が上がる。


「ん。捕獲対象の声がしたね。やはり、その車が当たりだったようだ」


 看護師イスライシュが、車へと踏み出す。


「辿り着かせないけどな」


 俺は咄嗟に回り込み、看護師に立ちはだかった。

 恐ろしい奴だ。それに、俺とは相性が悪すぎる。俺の切り札は〝引導返し〟である。それは俺の最大攻撃なのだが、発動するためには攻撃を受けなくてはならない。だが、あの攻撃を受けたらどうなるだろう? 自動車を蹴り飛ばす程の怪力だ。間違いなく、腕の骨が粉々になる。引導返しを使わずに、あの頑丈な化け物をどう倒すか……。

 すっと、俺の傍らに並ぶ者があった。

 日向だった。


「一人じゃ無理よ。二人でなら、なんとかなるかも」


 日向が恐れを押し込めたような、でも、強気な眼差しで言う。言ってやりたいことはあったが、議論している暇はなかった。



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