第三章 激闘! 狂人と悪魔

第9話 壊れゆく世界、壊れた心。


 ★ ★ ★


 俺が小学生の時のことだ。

 幼い頃、俺はよく母親に殴られた。母親は気が短くて、そのくせ外面の良い女だった。母は学歴が高く、一流企業で働いていた。俺の父親は、俺のことをよく庇ってくれた。そんな父親を、母はいつしか見下すようになっていた。父に高い学歴はない。稼ぎも母より少なかったが、優しくて、言うことにも筋が通っていた。

 俺は父親の事が大好きだった。大きくなったら父のような男になりたいと、本気で思っていた。


 ある時、母の暴力が行き過ぎて警察沙汰になった。俺は母を庇った。だから、母は警察に捕まることはなかった。

 その翌年、父と母には離婚の危機が訪れた。俺の母親は、よその男と不倫していたのだ。

 話し合いは罵り合いになった。俺は我慢できずに二人に割って入り、その流れで、母から暴行を受けた。皿やグラスが頭に当たり、生温い血が溢れた。

 お母さん、どうしてこんな事をするの? 僕が嫌いなの? お母さんが大切にしている人は、僕やお父さんよりも大切なの? 

 問いかけは、声に出来なかった。母に殴られて歯がへし折れて、気が遠くなりそうな痛みにのたうち回っていたからだ。


 父は、俺を守る為に母を殴りつけた。父が女性を殴ったのは、後にも先にもその時だけだった。

 父は警察に捕まった。

 父と母は離婚した。俺が一二歳の誕生日を迎えた翌週のことだった。親権は、母が持つことになった。裁判で、父から親権を奪ったのだ。俺は父と暮らす事を希望したが、社会は俺の意思をなかった事にした。この社会では、子供の意思は存在しないことになっている。どれだけ子供の心を無視しても、踏みにじっても、法律的には何ら問題にならない。


 何もかもが間違っていると感じた。


 父は俺を守ろうとしただけだ。離婚の原因を作ったのは母だ。いつも暴力を振るっていたのは母なのだ。

 だけど、父は負けた。


 俺は母に引き取られた。母は半年もしない内に再婚した。相手は、母が以前不倫していた男だった。法律上は、そいつが俺の父親だってことになる。実の父を苦しめた憎むべき糞野郎が、だ。

 当然、家に俺の居場所はなくなった。

 俺が壊れないとでも思ったのか?

 壊れたよ。でも、それが望みなんだろう。だったらお前らも覚悟しろ。俺は絶対に忘れない。絶対に、絶対に忘れないからな。

 いつしか、そんな怨嗟が俺の中を満たしていった。


 俺は、学校が終わったらいつも公園で過ごすようになった。日が暮れても、雨が降り出しても家には帰らなかった。

 日向は、そんな俺にいつも俺に寄り添ってくれた。


「こんな世界、なくなれば良いんだ。みんな死ねばいい」


 ある夕方、俺は、公園でブランコを漕ぎながら呟いた。


「世界には、私もいるんだよ?」


 日向の淋しそうな瞳が、たまらなく痛かった。斜陽がやけに鮮烈で、日向の横顔が余計に悲しく映った。


「ごめん。日向は特別だよ。日向以外は皆、いなくなっちゃえばいいんだ」

「国士は、世界が嫌いなのね」

「ああ。大嫌いだ」

「じゃあ、私も嫌い。国士を悲しませる世界なんて、なくなっちゃえばいいのに」

「強くなりたいよ。強くなって、いつか世界を粉々にしてやりたい」

「だったら、私も一緒に壊してあげる! こんな世界間違ってるもん」


 日向はちょっぴり淋しげに、でも笑って言ってくれた。

 俺は泣いた。


 日向は、よく遊びに誘ってくれた。俺は日向の部屋でゲームをしたり、本を読んで過ごす時間が多くなった。日向は犬を飼っていて、その犬がとても人懐っこくて、俺に懐いてくれた事も救いだった。

 幸運な事に、俺にはもう一つだけ、逃げ込む場所があった。

 心武門しんぶもんの道場だ。

 師範の泰十郎師匠は、ちょっとイカレていて、そのくせ滅茶苦茶に強かった。俺は心底、泰十郎に憧れた。頭のおかしな彼は、いつかこの間違った世界を壊してくれる。そんな気がしていた。


 そして何度か雪が降り、桜の木が薄紅色に染まり、散る。俺も日向も背が伸びて、空手の腕前も上がっていった。

 俺が高校生になったある日、とある弁護士から電話がかかってきた。

 その弁護士は、俺の実の父の友人だった。話を聞くと、どうも、父は俺の名義で銀行口座を作ってくれていたらしい。

 預金は六七◯万と少しだった。それが、これまで父があくせく働いて貯めた金の全てだった。

 弁護士が連絡をよこしたのには理由がある。

 父は、入院していたのだ。

 俺は、実の父に会いに行った。


「俺がしてやれる事は、これが最後になるかもな」


 父は、やけに掠れた声で言った。それが、父と話した最後の言葉だった。

 間もなく、父は病状が悪化して起き上がれなくなった。それからは何年も昏睡状態が続いており、いつ死んでもおかしくない状況だ。


 俺は、受け取った預金を使い、安アパートを借りて一人暮らしを始めた。実の父の入院費用もその金で賄っている。だが、費用は決して安くはなかった。あと二年もしない内に、貯金は底をつくだろう。母が、実の父の入院費を建て替えることは万に一つもあり得ない。

 何もかも、吐き気がする話だ。

 俺は内心、世界の終わりを待ち望んでいた。それは、もしかしたら本当に適うかもしれない。


 そういえば、誰かが言っていた。

 環境兵器が使われたせいで地球の気候が完全に壊れてるとか、もうすぐ大干ばつが起こって世界中の人が大量に餓死するって。世界はもうすぐ終わる。クズどもなんて皆死ねばいいんだ。精々苦しんで、糞みたいな世界を作った事を後悔すれば良い。望み通りだろ。ざまあみろ。

 でも、これって誰が言ったんだっけ……?



 ★ ★ ★


 ふわりとした感触が肩に触れ、揺らす。


「国士。起きて。国士……もう」


 俺はじわりと目を開ける。日向ひなたに揺り起こされたのだ。


「なんかうなされてたけど……嫌な夢でも見た?」


 日向も不安な眼をしていた。


「いや。どんな夢だったかも、忘れた」


 と、俺は身を起こす。その胸に、あんなが顔を埋めて泣いていた。あんなの涙を見たのは何度目だろう。彼女は、動画投稿サイトで配信を繰り返していたが、心ないコメントに傷ついて、たまに泣いていた。あの時、俺はどうしてあんなを抱きしめなかったのだろう。

 とてもとても弱くて柔らかい、かけがえのないものが俺の懐にある。それを感じ取るなり、たまらなく、切ない気持ちが込み上げてくる。


「どうして、泣いてるんだ?」


 俺は問う。でもあんなは何も答えずに、俺にしがみついていた。暖かくて柔らかい何かが、心に触れた気がした。


「寝起きで悪いけど静かに聞いて。問題発生だよ」


 運転席から蓮美はすみが言った。

 俺達が乗る自動車は、木の枝や木の葉で隠されている。その隙間から、外の様子が伺える。

 自動車から五◯メートル程先には、山を貫く道路が通っている。その路肩に、見覚えがない自動車が三台停車していた。恐らく、外国の諜報機関の連中の車だろう。


「不味いわね。軍用犬を使われたみたい」


 蓮美が言う通り、道路にたむろしている連中は犬を連れていた。人数は、一◯人といったところだろうか。犬を連れている上に数でも勝り、銃火器で武装もしている。

 見つかったら、かなり部が悪そうだ。


「どうしてほしい?」


 俺は蓮美に問う。


「このまま静かに。出来るだけ時間を稼ぎたいの」

「何もせずやられろってことか?」

「ううん。私の組織の仲間はとても優秀なのよ。あいつらの動きに気付いてない筈がないの。連中よりも到着が遅れるなんてこと、普通なら考えられない」

「あいつらとやり合って、負けたってことは?」

「それこそ考えられないよ。見て。連中の装備は、良くて通常の銃火器程度だもん。だとしたら?」

「蓮美の組織の連中は、あえてあいつらを泳がせて尾行している……ってことか?」

「ご名答。私と仲間とで、挟み撃ちの形にできる。でも、何事にも絶対はないから、ヤバそうになったら車で突っ切るよ。頭を低くして。滅茶苦茶揺れるから覚悟はしておいて」


 蓮美が言い終わった直後だった。

 遠くにいた軍用犬が、ふと、顔を上げた。そいつはじっとこっちを見て、やがて牙を剥き出して唸り声を上げる。


「あちゃ……見つかったわね」


 ワンワン! と、犬がこちらに吠えたてる。敵工作員達の目が、一斉に俺達へと集まった。完全に、見つかったようだ。

 その時だ。

 停車している敵の車に、どおん、と、猛スピードで国産車が突っ込んだ。跳ね飛ばされた車は道路を転がって逆さまになる。

 蓮美の組織の連中か。本当に来た!


「行くわよ、掴まって!」


 蓮美がアクセルを踏み込んだ。

 我々の乗る自動車は、木の枝をまき散らしながら走り出した。そして、混乱する工作員達の脇を横切って道路へと踊り出す。敵は焦って銃を構えた。が、それを発砲することはなかった。物理法則的に、あり得ないことが起こったからだ。

 敵工作員達が、何故か空中に浮かび上がっていた。彼らはどんどん上昇し、七メートル程の高さに達してから、次々と落下する。そこへ、もう一台の国産車が駆け付ける。車から降りてきた日本人等が、手際良く、敵工作員を捕縛していった。

 こうして、敵はあっという間に制圧された。


「ふふ。逃げる必要もなかったみたいね」


 と、蓮美は自動車を路肩に停めた。

 俺達は自動車から降り、伸びをして、硬くなった心と身体をほぐし始める。


「遅かったじゃない」


 蓮美が仲間たちに声をかける。


「ごめんね蓮美さん。でも、今回のチームには、感知に特化した人がいないから。真子まこさんや、可憐かれんさんが居てくれたら、もっと早く見つけられたと思うんだけど」


 答えたのは、セーラー服姿の見知らぬ少女だった。年齢は、俺達と同じくらいだろうか? 目の色が左右で違い、片目だけ、藍色をしていた。


「紹介が遅れたわね。昨日も話したと思うけど、この娘が念動力を使う娘だよ。湯田ゆださくらちゃんって呼んであげて」


 と、蓮美は女子高校生を紹介する。


「蓮美の組織には女子高生も所属してるのか? いくら超能力者だからって……日本政府は一体何を考えてるんだ」

「いいえ。私達の組織は政府には属していないわよ? 私達が属しているのは、国家なの」


 蓮美はそう言って、軽くウインクをした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る