第8話 逃走の序曲




 こうして、俺達は荷物をまとめてアパートを出た。

 アパート前には三台の黒い乗用車が停車していた。その周りを、スーツ姿の大人達が囲んでいる。立ち方、歩き方、目の置き所。まるで隙がなく、それでいて妙に落ち着きがある。普通の連中じゃない。


「待たせたわね。じゃあ、護衛よろしくね」


 蓮美はすみはスーツ姿の大人達に声をかける。多分、連中は蓮美の組織の構成員なのだろう。見たところ、連中はジャケットの内側に防弾ベストを着込んでいて、拳銃のホルスターの様な物もちらついていた。

 やはり、ここから先は冗談が通用しないらしい。


「日向はここに残れ」


 俺は振り向いて、日向に言いつける。


「え? なんでよ。国士らしくないじゃない」

「ん。俺らしくないって?」

「だって、いつもは私を盾にしてでも目的を達成しようとするくせに」

「俺が日向を大切に思っていないとでも思ったのか? 俺にはあんなを守る理由がある。日向にはない。この先はマジでヤバそうだから、日向は家に帰るんだ」

「その言葉、そっくりそのまま返すよ。私があんたのこと、大切に思ってないとでも思った? 私にだって一緒に行く理由はある。私は、あんなちゃんを守る国士を守るんだ!」

「じゃあ、日向の事は誰が守るんだ?」


 睨み合う俺と日向の傍らで、蓮美が自動車のドアを開く。


「早く乗って」


 俺達は、蓮美に急かされて、彼女の運転する車に乗り込んだ。その前後には、他の二台の車が護衛として張り付いた。


 そして、自動車が走り出す。


「で、何処に向かうんだ?」


 俺はため息混じりに言う。日向は不安を押し殺すように、ぎゅっと俺の手を握っていた。


「とりあえずは、組織の熊本支部に向かう。そこも安全とはいえないけど、アパートにいるよりは遥かに安全だからね」

「熊本支部ね。真瀬まなせ蓮美はすみ、だっけ? あんた、一体どんな組織に属してるんだ。日本の機密組織にしては規模がデカ過ぎるだろ」

「そんなことないわよ? アメリカのNSAは五万人もの大所帯だけど、十数年前に存在が表沙汰になるまでは、ずうううっと都市伝説扱いされてて、存在を信じてる人間は異常者扱いされて馬鹿にされてたじゃない。まあ、当時、肯定派を馬鹿にしてた連中は一人も責任を取ってないし、今も、真実を語ってる別の人を叩き続けてるけどね」

「ふうん。とりあえず、詳しく話す気がないってことは分かった」

「ご理解いただけて話が早いわ。無駄な詮索はナシでよろしくね」


 と、蓮美がバックミラー越しにウインクをする。その直後の事だった。

 我々の頭上を、ゴオッ! と、異様に大きな風切り音が通過する。それは光の尾を引いて、彼方の市街地へと姿を消した。熊本城方面だった。

 間もなく、彼方で爆炎が上がった。


「……やられたわね」


 蓮美は苦い顔つきで言い、車を停める。

 彼女はペンの形をした妙な通信機を使い、護衛の連中と通話して確認する。


「やっぱり。熊本支部がやられたわ。さっきのはミサイルよ」


 悲痛な気配を推し殺し、蓮美が言う。流石に、俺も狼狽を口にせざるを得なかった。


「こんな市街地でミサイルだって? だいぶ狂ってるな。とにかく、目的地が壊滅したんだ。これからどうするんだ?」

「行き先を変える。ちょっと危険度が増すから、覚悟はしておきなさい」


 蓮美は言い放ち、再びアクセルを踏み込んだ。

 俺の左右には、日向とあんなが座っている。二人とも震えていた。爆発を見て、やっと危険を実感したのだろう。俺はぎゅっと、二人の手を握りしめた。


 ★


 我々は、一路東へと向かった。目的地は高千穂神社である。そこには蓮美の組織と太陽人の組織との、合同の基地が存在しているのだそうだ。

 謎の諜報機関と宇宙人の秘密基地──。

 あまりにも現実離れした話だが、聞き返す気にもなれなかった。事実を受け入れられなくて一々質問を返していたら、たぶん死ぬ。そんな直感が、俺を満たしていたからだ。

 そうして、二◯分程走り続けた時の事だった


「来たわね」


 蓮美がポツリと呟いた。

 後方の上空に、軍用と思しきヘリコプターが二機、姿を現したのだ。


「あれはストリクス直轄下の民間軍事会社PMCのヘリよ。不味いわね。市街地だろうがお構いなしで攻撃して来るわ」

「ヤバいのは理解した。どうするんだ?」

「ちょっと早いけど切り札を使う。皆、聞こえたわね」


 と、蓮美は通信機で指示を出す。すると、後方に張り付いていた護衛車が速度を落とし、徐々に遠ざかっていった。


「一体、何をするんだ?」

「ヘリの対処は仲間に任せるわ。今、離れて行った車には超能力者が乗っている。あんなちゃんよりも強力な念動力サイコキネシスを使う人がね」


 間もなく、どおん、と爆発音が鳴り響く。ヘリがミサイルを発射したのだ。だが、妙だ。ミサイルは空中で爆散し、道路には一発も着弾していない。やがて、ヘリコプターの側面から黒い煙が上がる。二機のヘリは回転しながら高度を落とし、墜落した。

 爆炎と煙を背に、俺たちの車は走り続けた。さっき後方へ消えた護衛が、いつまでも追いついてこない。ヘリは仕留めたのに。

 蓮美が、厳しい顔で押し黙っている。とても質問する雰囲気ではない。

 俺達は、重い沈黙を抱えて走り続けた。

 それからまた、一五分程が過ぎた時の事だ。


「後方三〇〇メートルの乗用車から、軍用無線通信の反応あり」


 ハンドル横に据えられた通信機から声がした。


「参ったわね。対処、頼める?」


 蓮美が苦い顔で言う。


「了解。つるペタお姫様」


 と、通信機の声が返す。


「危険な役を押し付けてごめん。皆、死んだら許さないからね」

「馬鹿いえ。一番ヤバい役やってるのは蓮美だろ」


 と、男の声がして、通信が切れる。

 やがて、前方に張り付いていた護衛車が速度を落とし、後方へと姿を消した。恐らく、追跡者どもとドンパチやるのだろう。

 我々の自動車は、孤立状態となった。


 ★


 自動車は、やがて農道へと差し掛かった。阿蘇山方面へと向かう道筋だ。このまま三、四時間も行けば、高千穂に辿り着くだろう。


「ここから先はもう、エスコートは無しだから。何かあったら私達でなんとかするしかないわよ」


 蓮美が言う。彼女が口を開いた事により、俺も質問を投げかける気になった。


「そういえば、蓮美は熊本出身なのか?」

「あんた生意気ね、真瀬まなせさんと呼びなさいよ。それと、私は熊本県民じゃない。どうしてそう思ったの?」

「だって、カーナビもなしに最短の道を走り続けてるだろ」

「ああ、目ざといわね。それは、私にも特殊な能力があるから」

「へえ。どんな?」

「面倒くさいから詳しくはいわないけど、日本中の地図は、全部頭に入っているの。例えるなら、直感像ちょっかんぞう記憶力きおくりょくに似てるかな」


 と、蓮美は自慢げな顔を向ける。確か、直感像記憶力は、サバン症候群の者がたまに発現させる能力だった筈。蓮美の口ぶりから察するに、それとも少し違う能力らしいが……まあ、戦いには向かなそうだ。


「それにしても、俺達にそういう事を話してもいいのか?」

「良いのよ。全部終わったらあんた達の記憶を消すから」


 物騒な台詞を吐いて、蓮美はカーラジオのスイッチを入れる。ラジオではニュースをやっていた。熊本城近くのビルで、大規模なガス爆発が起こったらしい。ほぼ間違いなく、先程、ミサイルを撃ち込まれた諜報機関の支部のことだろう。

 目に見えない形での戦争──。

 あんなが言っていた意味が、やっと分かった。戦争が起こっていたとしても、ちゃんと報じられなければ、それは無かったことにされる。それを平和と信じ、あんなをせせら笑いながら生きるのがどういうことなのかも。

 やがて、辺りが暗くなってきた。


「やっとで日没か。でも、良かった」


 何故か、蓮美は自動車の速度を落とす。

 自動車は道路を逸れ、山に入った。それは山道もないただの斜面である。蓮美は木の間を縫って進み、草木が生い茂る中に無理やり車を突っ込んで、エンジンも切った。


「悪いけど、ここで追っ手を撒く。そして応援を待つ事にするわ。かなり暑いし怖いだろうけど、我慢して」


 そう言って、蓮美は自動車を降りた。

 彼女は落木や木の枝をかき集めて、自動車を隠し始める。俺も、その作業を手伝った。


「こんなやり方で、本当に追っ手を撒けるのか?」

「まあ、気休めってところね。私の能力は戦闘向きじゃない。だから道中、何かあった場合は敵に対抗できないし、待ち伏せだってされてるでしょうね。このまま進んでも、確実に攻撃を受けるのよ。隠れて仲間を待つしかないの。まあ、こんなやり方でもテクノロジーを使った追跡なら振り切れるから、無意味って訳じゃないわよ」

「テクノロジーを使った追跡なら? つまり、敵に見つかる可能性があるってことか」

「鋭いわね。そうよ。敵にも超能力者や霊能力者はいる。感知に特化した能力者に探されたら、見つかってしまう。軍用犬を使われた場合も」

「その場合のプランは?」

「私がおとりになって敵を引き離すしかないわね。その時は、国士君が二人を連れて逃げなさい。山道を行かずに道なき道をかき分けて進めば、敵も容易には感知できないし追いつけない。あんたにとって熊本は地元だし、地の利もあるでしょう?」

「ま、そうする他なさそうだな」


 俺と蓮美は言い合って、車内へと戻った。

 後部座席に座ると、あんなが俺にぴったりとくっついて項垂れた。


「何処にも行っちゃ嫌なんだけど」

「ああ、ごめんごめん」


 日向に目をやると、ちょっぴり拗ねた顔をしていた。俺は、そんな日向を引き寄せて頭を撫でる。


「ちょ、何よ」

「今更照れるなよ。嫌なのか?」

「い、嫌じゃない、けど」


 日向は顔を真っ赤にして、それからは何も言わなかった。

 そうして、俺達は暫く眠った。初めてあんなと日向を抱きしめて眠ったのに、その夜をこんな気分で過ごすとは、想像もしていなかった。


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