第6話 国士くんは洗脳する




 組手が開始されてから一◯分後、俺と日向は床に這いつくばって虫の息だった。


「うぐ。痛いよう、怖いよう。私、お家に帰る」


 日向は泣きべそをかいている。

 俺は、這いつくばったままピクリとも動かずに、戦闘不能を装っていた。まるで何処ぞのサッカー選手のように完璧な戦闘不能アピールだった。筈なのだが……。


「降参しても、敵が許してくれるとは限らないんだぞお? これが実戦だったら止めを刺されちゃうぞお。ほらほら、早く立って。国士はまだ全然元気じゃないか」

「う、そんな事はないであります。師範の執拗な腹パンで限界なのであります。戦闘不能なのであります!」

「そうかそうか。じゃあ、止めでも刺しちゃおうかな」


 と、泰十郎たいじゅうろう師匠が足を振り下ろす。俺は咄嗟に攻撃をかわし、立ち上がる。ドカン、と床が鳴り、衝撃が俺の足にまで伝わった。


「自分、急にやる気が出てきました! はい。やります。頑張るであります!」

「うんうん。感心だ。じゃあ、はっじめっるよおおお」


 と、イカレ野郎は上機嫌で踏み込んで来る。

 死ぬ。殺される! こうなったらもう、やられる前にやるしかない。許せ師範!

 と、俺も腹を括って踏み込んだ。

 俺には、一つだけ強力な切り札があった。〝引導いんどう返し〟という技だ。引導返しは受けから発生する。まず、しっかり相手の攻撃を受けて、受けた敵の攻撃で蓄勁ちくけいする。攻撃してきた腕なり足なりを擦るようにして踏み込み、全力の正拳突きを叩き込む技だ。簡単にいえば、デコピンと同じ術理である。

 この技は、昔、泰十郎師範から教わったのだが……イカレ野郎は酷く忘れっぽい。たぶん、俺にこの技を伝授したことを忘れているだろう。


「ほう。良い構えだね。打ち込むところが見当たらないじゃないか。だが、世の中には防御の上からでも敵を破壊しちゃう奴がいるんだぞお」


 と、イカレ野郎は迷わず正拳突きを打ち込んできた。

 好機!

 俺は中段外受けで正拳突きを受け止めた。どっ、と鈍重な衝撃が伝わって意識が飛びそうになる。だが、体全体で受けたので、辛うじて殴り飛ばされる事はなかった。

 むん! と踏み込んで引導返しを発動する。限界以上に蓄勁された拳が、イカレ野郎の胸元に伸びる。もらった!

 そう思った瞬間、俺の拳が潜られる。俺は脚を掴まれ、床に引き倒された。


「ぐわあああ! ナニコレ痛いです!」


 俺は苦悶の声を上げた。泰十郎師匠が仕掛けたのは、ビクトル膝十字とかいうプロレス技だった。技はがっちり極まっており、俺は逃げ出す事もままならなかった。


「ぐお! 師匠、反則であります! これは空手の技と関係ないではありませんかあ!」

「ん。空手家がやったらなんでも空手なんだよ? それに、実戦では敵がどんな攻撃を仕掛けてくるか分からないんだ。君は、一々敵にお願いして正拳突きや蹴りだけで戦ってもらうつもりなのか? 敵に甘えるなと教えたじゃないか。ほらほら。早く逃げないとどこかの筋がプチッといっちゃうぞぉ? これまで教えた技術でなんとかしてみたまえよ。あはは」

「無理! 無理であります。泰十郎師匠程の相手と出会ったら、自分は戦わずに逃げるであります。この状況自体があり得ないのでありますう!」

「ほう。感心な心掛けだね。ところで……」


 と、イカレ野郎はキャメルクラッチへと技を変化させ、俺の耳元に口を寄せる。


「最近、うちの流派の者がヤンキー狩りやらカツアゲやら、犯罪行為を繰り返してるって噂を聞いたんだよね。ねえねえ国士君。何か知らない?」

「し、知らないであります! そんな外道、自分も許せないであります。空手家の風上にも置けない奴なのであります」

「そうかそうか。でも、おかしいんだよね。証言からすると、体型とか実力的なことを考えたら、容疑者は数人しかいないんだよね。どう考えても国士君は何か知ってる筈なんだ。ね。変だと思わないか? ねえねえ。ほら、早く吐きなよ。ほらほら。犯人は誰なんだい?」


 なんて、爆笑しながら、イカレ野郎は俺を締め上げる。

 俺は耐えかねて、すっと手を伸ばす。


「犯人は日向であります」


 と、俺は日向を指差した。


「こ、国士いいいいい!」


 日向が怒りと困惑を受かべ、絶叫する。


「ひい、なあ、たあ……ちゃあああん」


 ゆるりと、イカレ野郎が起き上がる。お陰で俺は解放されたが、もう虫の息だった。


「ち、ちが……私はちが……」


 日向は半泣きで、サスペンスドラマのヒロインのように後づさった。


 ★


 やっと、地獄の練習が終わった。


「うう。痛いよう、怖かったよう。ひっく、えっぐ……ぐすん」


 道場からの帰り道、日向はひたすら泣きじゃくっていた。イカレ野郎からコテンパンに叱られたのである。


「うんうん。怖かった怖かった」


 俺は日向の頭を撫でてやる。その手を、日向は振り払う。


「ふざけないで! あんたのせいじゃない」

「ふふ。今回は俺も一万回ぐらい殺されたんだぞ。お相子だ」


 言った俺の顔面は、パンパンに腫れあがっていた。


 ★


 俺達は、あんなの部屋へと戻った。

 扉を開けるなり、あんなが駆けてきて俺の胸に飛び込んだ。あんなは俺に抱きついて、頬を摺り寄せる。


「遅かったんだけど。会いたかったんだけど。寂しかったんだけど」


 あんなは、目に薄っすらと涙まで浮かべていた。


「よしよし。俺のエロ奴隷の自覚が芽生えたんだな」


 俺はちょっと感動して、念入りにあんなの頭を撫でてやる。


「え? どうしたのあんなちゃん。寂しかっただなんて。こんな奴の何処に好きになる要素があるの?」


 日向は驚愕し、半歩下がる。

 部屋に入るとテレビが点いていた。そして画面には、アニメ映画が映っていた。

 ごくりと、日向が唾を呑み込む音がする。


「国士、あんたまさか!」


 日向はDVDプレーヤーからアニメのディスクを抜き取って、それをノートパソコンにセットする。そして、コマ送りで動画を確認し始めた。


「何をしてるんだ日向。やめろよな」

うるさい、煩い! 絶対に何か変だ!」


 そして、日向は感付いてしまったらしい。


『私は平国士が好きだ。愛している』

『平国士に抱かれたい。なんでもしてあげたい』

『国士とお風呂に入りたい。絶対入りたい!』

『国士に会いたい。愛している!』


 コンピュータの静止画面に、幾つものサブリミナルメッセージが表示されていた。

 バレた。日向め、こんな時だけやたら勘が働くな。

 ゆらりと、日向が振り返る。その眉は吊り上がり、怒りと軽蔑の色が浮かんでいる。


「国士……言い残すことは?」


 日向の怒りの声が突き刺さる。じわりと視線をそらすと、そこには、あんなのあどけない顔があった。あんなの眼にはつまり、洗脳された者の狂気が浮かんでいたのである。

 

「日向もアニメ見るか? 面白いぞ」


 なんて、日向の頭を撫でてみる。


「見るかあ!」


 日向は拳を握りしめて立ち上がる。


「まあ、落ち着け日向。アンガーマネジメントは重要だぞ。とりあえずお茶でも飲め」


 と、俺は日向にお茶を差し出した。


「落ち着くもんか! この人でなし」

「ほらほら。またそんなに怒って。泰十郎たいじゅうろう師匠みたいにブチ切れた性格になっても良いのか?」

「う。それは嫌だけど」

「だろ。あんな反面教師を真似てどうする。そんなに怒ったら、せっかくの可愛い顔が台無しだぞ」

「……バカ」


 と、日向はお茶を手に取った。

 こうして俺は小一時間、日向の説教を受ける運びとなった。俺の胸にはあんなが凭れ掛かり、ずっと頬ずりをしている。


「国士は一体どういう神経をしてるの? あんたには人として重要な要素が欠け過ぎてるのよ。この国ではね、他人は人様なの。もっと人様を大事にしなさいよ。とりあえず日本国憲法の十八条を暗記しなさい」

「はいはい。何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。だっけ?」

「え。暗記してるの? 全て承知の上での犯行か!」

「まあ、そう怒るなよ。ちょっとだけ、日向にやきもちを妬いて欲しかったんだ。ちゃんと反省してるから」

「また、そんな……もう。本当に仕方のない人ね」


 と、日向は、顔を背けてモジモジする。


「ま、とりあえずおやつでも食べようじゃないか。お前も腹が減ってるだろう」


 頃合いをみて、俺は鞄からスナック菓子を山ほど取り出した。

 三人でお菓子を食べ始めた時の事だ。


「とりあえず、あんなちゃんの、洗脳を……解かなきゃね。でも、どうやったら……」


 言い終わる前に、日向はカクリと崩れ落ち、床に身を横たえた。すやすや寝息を立てていた。

 じわりと、俺の口元が緩む。実は、先程、日向に飲ませたお茶には睡眠薬を仕込んでおいたのだ。ちょっと多めに入れたから、当分は目を覚まさないだろう。

 これで、もう邪魔者はいない。

 そっと、あんなの頬に触れてみる。とろんとした眼で俺を見上げるあんなの顔はあまりにも可憐で、ちょっと小突いただけで、壊れてしまいそうな気がした。


「やっと二人きりになれたな。さあ、あんな。早速お風呂に入ろう」


 言いながら、俺はあんなのメイド服のリボンを外す。あんなは抵抗しなかった。それを良いことに、俺はゆっくりとあんなの服をはぎ取ってゆく。

 やがて、あんなのブラウスの陰からチラリと下着が覗く。程よく痩せて美しい体型に、俺の興奮は高まってゆく。


「ちょっと恥ずかしいんだけど」

「ふふ。可愛い奴め。それよりあんな。これから返事をする時は『はい』と、いうんだぞ。俺のことは『愛しい人』と呼べ」

「はい。愛しい人」


 期待通りの、従順な返事が帰ってくる。あまりの可愛さに、俺は思わず身震いした。

 その時だった。

 俺の携帯端末が鳴り出した。

 画面を見たら、何者かが番号非通知で電話をかけてきたらしい。

 俺は電話には出なかった。ただただ邪魔だったから、端末の電源も切ってやった。

 そうして、俺はあんなをお姫様みたいに抱き抱える。


「ふふ。何処から洗って欲しい?」


 ニヤリと言った、その時だった。

 パアン、と勢いよく、ワンルームアパートの扉が開け放たれる。


「ちょっとあんた! 電話に出なさいよ!」


 押し入って来たのは見知らぬ女だった。女はスーツ姿で、見たところ、二◯歳ぐらいだろうか? 童顔で、とても背が低い。髪はポニーテールで、活発な印象である。

 俺はあんなをそっと床に降ろし、女へと歩み寄る。

 ふん! と、前蹴りを繰り出すと、咄嗟に、女は飛び退いて攻撃をかわした。


「ちょ、馬鹿。いきなり何やってるの!」


 と、女は焦りを露わにする。


「何って、不法侵入者を排除してるんだが? 人様の部屋に勝手に押し入るのは、犯罪なのだぞ」

「あんた……どの口がそれを言ってるのよ。あんなちゃんを誘拐したくせに!」

「ゆ、ゆゆゆ、誘拐? なにを人聞きが悪いことを。そもそも、ネタバラシ動画を上げたじゃないか。誘拐は狂言なのだぞ」

「嘘付けっ! 滅茶苦茶動揺してるじゃない。それに、あれは情報工作動画でしょ。そこの大きな女の子に睡眠薬を盛ったり、あんなちゃんを洗脳したり。やりたい放題だったじゃない」


 俺は沈黙を余儀なくされた。この女、色々と知り過ぎている。何者だ?


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る