第二章 壊れゆく日常

第5話 暗雲と不審者とやっぱりクレイジー野郎




 俺は、重大な事に気がついてしまった。

 あんなは一人暮らしだ。だから、あんなを監禁する場所は、別に山奥の物置小屋なんかじゃなくても良い。あんなの自宅であんなを監禁すれば良かったのだ!


「いや、単に馬鹿なだけでしょ。どうして思いつかなかったの?」


 日向が呆れて言う。


「なにを言ってるんだ日向。もしもあんなが抵抗したり、悲鳴をあげても山の中なら誰にも気づかれない。誰にも邪魔されないだろう! 山小屋で泣き叫ぶあんなを想像してみろ。『いくら叫んでも誰にも聞こえないんだよ。ぐえっへっへ!』とか、言ってみちゃったりするプレイが出来るのだぞ? 最高じゃないか。抵抗されなかったことが想定外なんだ」

「そこはちゃんと犯罪者の思考なのね。まあ、実際、あんなちゃんは逃げ出したりするつもりはないみたいだし、ここに居る意味はないわね」


 日向はそう言って、誰かに電話をかけた。

 電話から一時間程が経過して、やかましいバイクのエンジン音が聞こえてきた。

 暴走族だ。

 俺達が山を下りると、山道には大勢の暴走族が居た。連中は列をなし、「姉御、お疲れ様です!」と、日向に深々と頭を下げた。日向は少し照れながら、暴走族どもに頭を上げさせる。


「姉御、どちらまで?」


 不良の一人が言う。そいつは、前にゲームセンターで散々殴りつけた丸刈りだった。特攻服の背中には〝一六代目総長〟と記されていた。どうやら、そいつが暴走族のリーダーであるらしい。


「来てくれてありがとう。市内まで送ってくれる?」


 日向はにこやかに言う。不良達の態度には、そこはかとなく、日向への怯えと尊敬が滲んでいた。

 こうして、俺達は暴走族にエスコートされて市内へと戻った。


 ★


 あんなの自宅は、上江津湖近くの小さな二階建てアパートだった。


「じゃあ、姉御、俺達はここで失礼します。また何かあったらいつでも呼んでください。お疲れさまでした!」


 暴走族は日向に深々と頭を下げ、帰って行く。


「ありがとう。この辺りを走る時は静かにお願いね!」


 と、日向は暴走族を見送った。


「日向、お前……アホだとは思ってたけど、ついに不良になったのか? 可哀そうに」

「馬鹿なの? 馬鹿馬鹿なの? あんたのせいでこうなったんでしょ!」


 言い合う俺達をよそに、あんなはトコトコ階段を上がってゆく。俺達もあんなを追い、彼女の部屋に押し入った。

 あんなの部屋は物が少なくて、なんだかさっぱりしていた。でも、無機質な部屋って訳じゃない。部屋の中には、いくつものクマのぬいぐるみが置かれていた。壁には一面、クマさんのポスターが張られており、ベッドや棚の上もクマさん塗れだった。


「あんなちゃんって、ゆるキャラ好きなのね?」


 日向が、少々呆れて苦笑いを浮かべる。


「だって、可愛いんだけど」


 と、あんなはベッド脇の大型クマさんをぎゅっと抱きしめる。もう、たまらんぐらいに可愛らしかった。ちょっと、興奮を抑えきれそうにない。


「うん。可愛いぞ。早速滅茶苦茶にしてやるからな!」


 俺はあんなをベッドに押し倒す。直後、その後ろ襟を掴まれて床に引き倒される。


「いちいち汚らわしいのよ!」


 日向は俺の腕を取り、関節技を極めた。


 ★

 

 数分後、俺は芋虫だった。

 全身をロープでぐるぐる巻きにされ、床に転がされていた。バスルームからは、日向とあんなの声が聞こえていた。


「もう。あんなちゃんは小っちゃくて可愛いなあ。私なんて、こんなに体が大きくって。足も太くて嫌になっちゃうよぉ」

「でも、日向はおっぱいが大きいんだけど」

「きゃっ。もう。何処触ってるの! お返しよ」

「わあ。くすぐったいんだけど。あ……あん。そんなところ触ったら、やっ。きゃはは。ヌルヌルするんだけど。やぁん」

「ほらほら。わあ……どうしてこんなになってるの? あんなちゃんって、やっぱり可愛いわね。ちょっと、変な事に目覚めちゃいそうだわ」

「あ。日向、こんな所に黒子があるんだけど」

「きゃ。またぁ。どこ触ってるの、あんなちゃん」

「ここも、こんな形で……つるつるしてる。どうしてそんなに赤くなってるの? 日向も可愛いんだけど」

「や、やめ……やあん。あんなちゃん。そこはずるいわよ。あ、やぁん」


 聞けば聞く程興奮して、頭の血管がブチ切れそうだった。


「二人とも、何をやってるんだあああ! 俺もキャッキャウフフに混ぜろお! 解け! 今すぐロープを解けえええ!」


 俺はごろごろ転がって抗議した。

 暫くして、二人は風呂から上がった。俺はやっとロープを解かれ、鼻息荒く日向を睨みつける。

 部屋には、二人の少女から放たれる、風呂上がりの甘い香りが満ちていた。


「なによ、ハアハア言ってちょっと怖いんだけど……」

「うがあ! 我慢できん。わんわん!」


 と、俺は日向をベッドに押し倒しす。


「野獣か! 誰でもいいのか! やめなさい、変なとこクンクンするなぁ!」


 日向は赤面しながらも、俺をバッシバシ引っ叩きまくった。

 と、いう訳で、寝る時も俺は芋虫だった。


「なんで日向があんなのベッドで寝るんだ。百合だぞ、生殺しだぞ! だいたい、いつまでここにいるつもりなんだ。日向は関係ないだろ。帰れよ!」


 俺の叫びを無視して、日向はあんなのベッドへと潜り込む。あんなは当たり前のように日向を迎え、二人は抱き合って眠った。

 ちなみに、日向は夏休みを利用して暫く旅行に出かける、と嘘をついて家を出たらしい。このままでは、邪魔者がいつまでもあんなの部屋に留まってしまう。どうにかして対策を講じなければ!


 ★


 翌朝、日向が叫びながら飛び起きた。


「え。なんで? どうして? あんなちゃん、おねしょしてるじゃない!」


 日向が言う通り、ベッドのシーツには、おねしょと思しき染みが広がっていた。


「ごめんなさいなんだけど」


 あんなはちょっぴり顔を赤くして、申し訳なさそうに言う。


「ご、ごめんなさいって、あんなちゃん高校生でしょ? もしかして、太陽人はそういう体質なの?」

「そうじゃないんだけど」

「そ、そう? じゃあ、たまたまなのね? ビックリさせないでよ。あはは」


 そう言って、日向はシーツを洗濯して布団をベランダに干し、あんなとシャワーを浴びに行く。

 シャワーから出ると、あんなはすぐに朝食を作ってくれた。

 食事の内容は、まさに精進料理といってよい物だった。肉や魚は出されず、味噌汁の出汁は昆布だった。卵も使わない徹底ぶりで全体的に薄味だったが、味は悪くなかった。


「美味しい!」


 日向が味噌汁を啜って感嘆の吐息を漏らす。


「あんなは料理が上手だな。嫁にしたいがそれは駄目だっていうんだろう? だったら俺の奴隷になれ」


 と、俺は言ってみる。


「馬鹿。まだそんなこと言ってるの? 現実を見なさいよ」

「奴隷なら良いんだけど」

「ほらね。あんなちゃんも嫌がって……ない? なんで? 考え直しなさい」

「おお! 流石あんなだ。でも、唯の奴隷じゃつまらないかもな……訂正しようあんな。俺のエロ奴隷になれ」

「エロ奴隷の意味が分からないんだけど? でも、なっても良いんだけど」

「いや、従順過ぎるでしょ、あんなちゃん! 意味わかってないでしょ。やめなさい。本当にやめときなさい!?」


 こうして、あんなは正式に? 俺のエロ奴隷に任命された。勿論、日向が俺の暴走を許す筈がなく、小さな密室での攻防が繰り返される事となる。日向は、あんながトイレに行く時も風呂に入る時も、常にピッタリくっついて、俺の接近を許さない。まさに百合みたいな状況だった。あんなは相変わらずおねしょをしたり、突然、立ち尽くしたまま失禁したりと奇行を繰り返したが、それにも、だんだん慣れてきた。

 そんな生活が三日程続いた。


「ねえ国士、変な動画が上がってるけど、ヤバくない?」


 日向がインターネットの動画サイトから、とある投稿動画をみつけてきた。

 コンピュータの画面を覗き込むと、俺があんなを抱きかかえ、商店街を突っ走る様子が映っていた。それを追いかける日向の後ろ姿もバッチリ映っている。

 誰かが誘拐の瞬間を撮影して、動画投稿サイトにアップしたのだ。動画にはたくさんのコメントが付いており、誘拐だなんだと、まあまあの騒ぎになっていた。


「確かに、少し不味いな。念の為に情報工作でもしておくか」


 と、俺は悪知恵を働かす。

 そうして、俺達はとある動画を撮影して、動画投稿サイトにアップした。


「じゃーん! ドッキリでした。騙された人はゴメンなさぁい!」

「流石に、本気で誘拐を信じたマヌケはいないと思うけどな。え? 信じたのか? マジウケる!」

「私が攫われた役をしたんだけど。お騒がせしてごめんなさいなんだけど」


 俺達が三人でおどける映像が、画面に表示された。動画投稿サイトに上げた動画である。つまり、先に上がっていた誘拐動画を、フェイク動画に仕立て上げたのだ。

 まあ、あんなは本当に誘拐されたのだが、あんな自身が『無事だ、誘拐されてない』と言うのであれば、誰も疑わないだろう。

 コメント欄には、『騙された!』とか『ふざけやがって』とか、たくさんのコメントが来て少々炎上したが、警察がサプライズ訪問して来るよりはマシだ。


 ★ ★ ★


 午後、俺と日向は空手道場へと向かった。本当なら怠けたいところだが、怠けたら師範に殺されかねない。

 俺と日向が通っている道場は、江津湖という湖の近くにある。その道場は、近隣の住民からは〝コブラ道場〟と呼ばれていた。勿論、正式名称じゃない。正式には心武門しんぶもんという。実戦空手を教える流派である。


「なによなによ。今日、師範がいるじゃない。ヤバいわよ?」


 と、日向がビビリながら耳打ちする。無理もない。師範は俺以上のクレイジー野郎なのだ。俺も気を引き締めて、道着に袖を通す。

 この日、俺と日向は何故か二人だけ、特別な特訓を課された。

 足が、ぷるぷる震えていた。俺も日向も長時間の四股立ちを言いつけられたのだ。背にはトラックのタイヤを縄で括りつけ、前方に伸ばした手には八キロの鉄アレイを持たされている。頭上では、ブン、ブンと、不吉な音が鳴り続けていた。師範が、金属バットをスイングしているのだ。それは俺と日向の頭上すれすれを通過して、たまに髪の毛を掠める。


「ほらほら二人とも、頭が高いぞ。もう少し腰を落とさないと頭が吹っ飛んじゃうぞお。これが真剣だったら死んじゃうんだぞお」


 師範はやたら上機嫌である。

 この頭のおかしな師範の名は、藤原ふじわら泰十郎たいじゅうろうという。この流派の一番偉い人だ。当然、空手の腕前はバケモノ級なのだが、残念な事に、人格もバケモノだったりする。


「し、師匠。今日はやけに厳しくないですか?」


 日向が涙目で言う。


「おやおや。日向ちゃんは、もう根を上げるのかな? じゃあ、次は俺と組手でもしてみるか。きっと楽しいぞ!」

「あ、いえ、その……頑張ります! 頑張り抜きます! こんなの屁でもないです!」

「おお。やる気だね。国士こくしも文句も言わず、感心じゃないか」

「はい師匠! 自分はやる時はやるのです。師匠から直にご指導いただいて、光栄の極みなのであります。はい!」


 俺は素直に元気よく、従順に言う。

 実は、俺は泰十郎たいじゅうろう師匠の前ではいつも猫を被っていた。だって怖いから。こんな俺の態度を、日向はいつも気持ち悪いという。だが知るか! だって怖いんだもん。

 長時間の四股立ちの後は、ひたすらの巻き藁打ちが待っていた。だが、いくら続けても泰十郎師匠は許してくれない。ちょっと嗜虐的な笑みすら浮かべている。更に、巻き藁打ちの後は拳立て三〇〇回を課され、拳立てが終わったら、ひたすらのサンドバッグ打ちを課された。もう、ヘトヘトだ。いくらなんでもキツすぎる。変だ。俺、何かやらかしたのだろうか?


「さて、も終わった事だし、組手でもするか」


 頃合いを見て、泰十郎師匠が言う。


「あ、自分、とってもお腹が痛いので、今日は帰ります。はい」

「あ、私もです。熱と吐き気があるので。じゃあ泰十郎師匠、また来週──」


 逃げ出そうとした俺達は、背後からガシリと肩を掴まれた。もう、俺も日向も涙目だった。


「おいおい、待ちたまえよ。これからが本番じゃないか」


 暗い嗜虐的な微笑が、そこにはあった。


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