第8話 大団円

 ドッペルゲンガーという言葉は、意外と誰でも結構知られているようだ。

「もう一人の自分」

 という表現が一番ピッタリであろう。

「よく似た人」

 というと間違いになる。

 世の中にはよく、

「自分の似た人間が、三人はいる」

 と言われるが、このドッペルゲンガーは、

「よく似た人」

 ではないのだ。まさに、

「その人、そのもの」

 なのだ。

 ドッペルゲンガーとしてよく言われるのが、

「本人と同じ行動範囲にしか現れない」

「言葉を絶対に発しない」

「表情が変わらない」

 などというのが、ドッペルゲンガーだといわれる。

 そして、ドッペルゲンガーということで一番問題となるのが、

「ドッペルゲンガーを見ると、近い将来、死ぬことになる」

 と言われていることだった。

 そういう意味で、仮にも警察官が、殺人事件の捜査をしているのに、軽々しく、こんな言葉を発するというところが問題だったのだ。

 だが、この言葉を言った警察官は、普段から、このあたりのことはわきまえているはずなのに、こんなことを軽々しくいう人ではないということは、分かっていた。

 だから、誰も触れなかったが、後で辰巳刑事が、

「さっきのドッペルゲンガー発言は、どういうことなんだ?」

 と、軽く聴いてみると、

「私がですか? そんな不謹慎なことをいうわけはないじゃないですか?」

 といって、打て合おうとはしない。

 彼は、自分の言葉に責任を持つ方なので、この様子もおかしい。本当に意識していったわけではないに違いない。

 だが、今の会話では、完全に本人も意識をしていないようだ。まるで、

「夢遊病」

 にでも罹ったかのように、意識が飛んでいると言ってもいいだろう。

 ただ、あの光景を見て、

「ドッペルゲンガー」

 を想像したのも無理のないことだ。

 それを考えると、

「あの時、皆何かの催眠にでも罹っていたのかも知れないな」

 と感じた。

 ただ、皆が一緒に罹るとすれば、あの光景には何かがあるのかも知れない。ひょっとすると、急に凶暴になって、

「殺さなくてもいい人を殺してしまった」

 というような感じである。

 そういうことを考えると、

「ひょっとして犯人は、普段は、まるで虫も殺せないほどの、穏やかで、余裕を持った心の持ち主なのかも知れないな」

 と感じるのだった。

 そんな風に考えてみると、

「あの時の犯罪は、衝動的な犯行というよりも、普段は、虫も殺せないような人が、急変し、狂気の沙汰となり、悪魔のようになって、いかにも人を殺しそうな人間が、やはり、人を殺してしまった」

 というようなことなのかも知れない。

 そんな風に考えると、

「どこかに、何らかの催眠効果のようなものがあったのかも知れない」

 と感じるのだった。

 事件は、それから急転直下で解決した。

 実は隣のビルに、先日、泥棒が入ったような、

「気配がする」

 という通報があった。

 というのも、実際には盗まれたものはなく、物色した跡も、ゆっくりと見ないと分からないくらいだったという。

 しかし、一つだけ、まったく違うところ、それも、普通であれば、絶対に置かない場所に置かれていたので、

「これはおかしい」

 と言い出して、

「まさか泥棒が? でも、何も取られていない。警察はどうしよう?」

 ということであったが、その泥棒が入ったと思われる日は、ちょうど隣のビルで殺人事件が起こった日だったのだ。

 だから、気持ち悪くなって、とりあえず警察に通報し、実際にいろいろ鑑識が調べてみると、

「そうですね、間違いなく盗みに入ったのは間違いないようですね。でも、盗みをやめているのはなぜなのか、分からないんだけど、隣のビルの殺人事件に何か関係があるんだろうか?」

 ということだった。

 そのうちの一人が、

「前にいた会社で、そういえば、殺されたという男を見たような気がするんですが、何しろかなり前のことだったので、何ともいえないんですが、あの時も。会社のビルに泥棒が入ろうとして未遂に終わったことがあったんです、そして、その時に見張り役をやっていたとみられていたのが、この間殺された男に似ていたようなんですお」

 というのだった。

「じゃあ、その人が殺されたことと、泥棒とは何か関係があるでしょうかね?」

 と刑事が聞くと、

「そのことを思い出した本人は、何か気持ち悪いものを感じていたといいます。あの時も急に辞めたのは、何かの偶然のようなものがあったのではないか?」

 と感じているということでした。

 その後、被害者が泥棒の片割れであるということがわかってくると、少しずつ、事件が見えてきたようだ。

 まず、殺人事件は、一人の男が、彼だけが、入るビルを間違えたようだった。彼らの泥棒グループは、ぐーぷで行動するパターンと、個人で動くパターンがあり、個人で動く方は、泥棒のテクニックがしっかりとあるのだろうだ、

 だがその男は、どこか抜けているところがあり、その時は入るビルを間違えたのだ。

 ただ、せっかくだから、ということで、そのまま逃げればいいものを、入らなくてもいいビルに泥棒に入ろうとして、下調べもしていないから、エレベーターが止まらないということが分からずに、まごまごしていると、隣のお弁当屋の人に見つかりそうになって、ナイフを向けようとしたところ、相手がいきなり扉を閉めたので、そのまま指が挟まってしまったという、そこに自分の身体がのしかかって、そのまま胸を抉ることになったという。

 つまりは事故だったのだ。

 殺人事件でも何でもないので、弁当屋の方では、扉を閉めただけで、そこに誰かがいたとは思ってもいない。だから、犯人の指紋も、被害者の指紋も摘出されなかったのだ。そもそも手に手袋をしている時点で、泥棒ということを皆考えはしたが、口に出さなかったというのは、大きな間違いだったのだろう。

 少なくとも、初動捜査で現場に行った。辰巳刑事は、地団駄を踏んで悔しがった。

 ただ、殺人事件ではなかったということは、よかったというもので、このビルの歪な構造と、警備の中途半端が生んだことだったのだ。

「下手にビル全体の警備は行き届いているのに、ロビーだけがザルだった」

 これが悲劇だったといってもいい。

 隣のビルに忍び込んだ連中は、一人が行方不明になり、そのうちに、隣で死んでいるのを誰かが見つけると、怖くなって、盗んだものを返しに行き、

「何もなかった」

 ということにしようと考えたのだということだった。

 だが、慌てたこともあって、すべてがうまくいくはずもなく、犯行が露呈したということだ。

 ただ、それでも、返しに行ったのだから、犯行としては、

「住居不法侵入罪」

 と、

「強盗未遂」

 くらいであろうか。

 殺人事件に比べれば、かなり犯罪としては小さなものだった。

 ただ、隣のビルはこちらと違い、かなり警備は中途半端だったようだ。

 警備にケチっているというのか、警備を掛けてもエレベーターは止まるし、防犯カメラすらついていないというようないい加減な作りだった。

 しかし、このパンデミックが起こり、自粛期間中に、空き巣が増えたということで、

「近い将来、警備を厳重にしようという計画があり、警備会社と商談をしているところだった」

 というのが、隣のビルの管理人の話であった。

「本当にいい加減なビルが、隣同志にあるということか。片方は、せっかくいい警備をしているのに、トイレのために、ロビーがいい加減になってしまい、片方は、最初から警備が手薄で、まるで、泥棒に入ってくださいと言わんばかりだったわけだ。そういう意味では、死んでしまった人は気の毒だが、やはり、悪いことをしようしたのだから、天罰が当たったということになるのかな?」

 と桜井警部補がいうのだった。

 ただ、辰巳刑事は、何となく、

「これで本当に事件が終わったということでいいんだろうか?」

 と、何か、気持ち悪さだけが残った。

 それはきっと、

「どちらのビルも、このままだったら、また同じような事件が起こるかも知れない」

 と感じたからではないだろうか?

 それを思うと、どうもどこかしっくりこない辰巳刑事は、事件をおさらいしてみることにした。

「とにかく、弁当屋には、カギを渡して、そして、あちらのカギを掛けるようにさえしておけば、あんな出会いがしらのことはなかったはずだよな。隣のビルと同じように、カギをこじ開けようと思ったのに、殺された男も、どうしてその時カギが開いていたのかということを不思議に思わなかったんだろうか? よくある締め忘れとでも思ったんだろうか?」

 と考えた。

「そうだ、そもそも、あそこに防犯カメラがないのはおかしい。いくら、最初からあそこは非常口だからということで、意識していなかったのかも知れないが、そのせいで、誰も犯行現場を見たわけではないので、ああいう形で手打ちになったわけだが、あれで本当によかったんだろうか?」

 とも思うのだった。

 他にも可能性はないわけではなく、ただ、こう考えることで、すべてがうまく説明できるということになり、しかも、犯罪としては、

「いない犯人を必死で探すよりも、犯人がいないことをいかに証明するかということでは、この事件をあのように解釈することが一番いい」

 というわけなので、

「死んだ人間は口をきけない」

 ということで、肩を付けたとしか思えない。

だったら、

「もし、あれが殺人事件だったら、どういうことになるのだろう?」

 と思えてならない。

 そういう意味では、

「あまりにも、簡単に片づけすぎではないのだろうか?」

 というモヤモヤを考えているうちに、この間の、ふとした言葉が思い出された。

「何かドッペルゲンガーのような建物だな」

 と言ったのを思い出した。

 ドッペルゲンガーも、有名な言葉ではあるが、誰も話題にしようとしない。

 さらに、怪奇現象に近いことで、かなりの著名人が、

「自分はドッペルゲンガーを見た」

 といって死んでいっているではないか。

「芥川龍之介」

「リンカーン」

 などの著名人が、そういってから、すぐに命を落としている。

 世界の著名人には、少なくとも十数名、そういう人がいるという。

 これを一体どう考えればいいのだろう。

 辰巳刑事が抱いたモヤモヤも、あの時の言葉が引っかかっているのかも知れない。

 刑事なんだから、

「こんなことは過去のこととして、割り切って、次の事件を追いかけるようにしなければいけない」

 のであろう

 しかも、それができるのが、辰巳刑事だったはず。

 それなのに、しばらくこのような状態となり、何をどうしていいのか分からずに、まるで、袋小路に入り込んだ辰巳刑事は、数か月、まるで躁うつ病のように、うだつが上がらなかったのだ。

 それを見かねた桜井警部補は、

「少し休養が必要だ」

 ということで、一か月の休暇を与えた。

 清水警部も、それには納得し、

「彼のような優秀な刑事には、早く立ち直ってもらいたい」

 ということであった。

 まさか、彼がこんな状態になれば、

「見なくてもいいものが見えるかも知れない」

 ということを感じたのは、日下刑事だった。

 彼も、辰巳刑事ほどひどくはなかったが、モヤモヤしたものがあり、何とか最近立ち直ったのだ。

 そこで彼は、

「辰巳さん、ドッペルゲンガーを見るようなことがなければいいが」

 ということを言っていた。

「日下刑事も、ドッペルゲンガーを意識されたんですか?」

 と桜井刑事に聞かれて、

「私は夢で、それらしきものを見たんですよ。それで少し怖くなったんですが、逆にそのおかげなのか、鬱状態から抜けることができたんです。だから、辰巳刑事にも同じようなタイミングを逃さないようにしてもらいたいと思っているんです、下手をすると、躁鬱症から抜けられなくなるのではないかと思うんですよ」

 と日下刑事は言った。

 この言葉正直、ある程度的を得ていた。

 そして、果たして辰巳刑事が、皆の心配を取り越し苦労に変えてくれたかどうか、それは、読者の皆さんが、想像してみてください……。


                 (  完  )

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悪魔のオフィスビル 森本 晃次 @kakku

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