僕は君を愛することができない、だって怖いんだもん

アソビのココロ

第1話

「フィービー、僕は君を愛することができない……」

「ええ?」


 今日わたしの夫となったキャンベル伯爵家の嫡男ゴドウィンが弱々しく搾り出したセリフに、わたしは間抜けな反応しかできなかった。

 いや、だってそりゃそうでしょ。

 初めての二人の夜だよ? 寝室だよ?

 今からやるべきことをやらなきゃいけない場面なんだから。

 わたしだってそれなりに緊張してたわ。


「どうしたの? 疲れちゃった? 何だかんだで結婚式は大変だったものね」


 よく知らないけど、男性自身とはナイーブなものらしい。

 そういう教育は受けた。

 ゴドウィンは快活な性格だけど、意外と細かいこと気にするからな。

 一応気を使ってみたが、ゴドウィンは首を振る。


「いや、疲れているというわけじゃないんだ」

「本当にどうしたの? 今日のゴドウィンは変よ」

「だって怖いんだもん」

「あー」


 不安げにシーツをイジイジするゴドウィン。

 まったく大きな身体して可愛いんだから。

 母性本能を刺激する術を身につけ過ぎだろ。


 ゴドウィンが弱気になったり、こういう言い方をしたりするのは決まっている。

 昔の記憶を思い出した時だ。

 わたしにとっては懐かしい思い出に過ぎないのだが。


 キャンベル伯爵家領と私の実家ダンロップ伯爵家領は隣同士だ。

 昔から交流があり、ゴドウィンとも小さい頃から仲良しだった。

 ゴドウィンも絶対にわたしのことをお嫁さんにするって言ってくれてたのになあ。


 事件が起きたのは互いに六歳の時だ。

 川遊びをしていてゴドウィンが流された。

 いち早く気付いたわたしは、浮き板を持って川に飛び込んだ。

 ゴドウィンに追いついて浮き板を持たせて。


 わたしの記憶にあるのはそこまでだ。

 気が付いたら大泣きしているゴドウィンの顔があった。

 わたしも溺れて助けられたと聞いた。


「……フィービーの顔が一定以上に近付くと、鮮明に心に浮かぶんだ。幼い頃の川遊びの日。あの事件を思い出してしまうと、今でも身の縮む思いがする」

「そうなの……」

「フィービーは怖くないのか?」

「特には」


 わたしはあの日、ゴドウィンを助けることができた。

 言いようのない満足感があった。

 だってゴドウィンのことが大好きだったから。


 ゴドウィンが苦しげに声を震わせる。


「本当に怖かったんだ。フィービーを失ってしまうかと思って」

「わかるわ。わたしも必死だったもの」

「……自分でもおかしいと思う。小さい頃の話なのに。でもあの場面がフラッシュバックすると、心が冷えてしまって元気にならないのだ。情けない話だが」


 情けなくなんかない。

 ゴドウィンの優しいところだわ。

 愛することができないと言われながらも、愛を感じて幸せな気持ちになる。


「結婚してしまえばどうにでもなると思ったが、ダメみたいだ。すまない」

「いいのよ」


 わたしは今、心が満たされているから。

 でも……。


「現実問題として困るわね。ゴドウィンは嫡男だし」


 俯くゴドウィン。

 跡継ぎは必要だ。

 血統の維持は貴族の責務でもある。


「……わかってはいるんだが」

「離婚する?」

「絶対に断わる。フィービーは僕のものだ」

「ゴドウィン大好き」


 大変だ。

 このままではキュン死にしてしまう。

 ゴドウィンは天然でこうだから。


「では側女を?」

「……気が進まない。だって君のことが好きだから」

「ゴドウィンならそう言うと思ったけど」


 ゴドウィンとわたしはずっと相思相愛だったから。

 ついさっき愛することができないって言われたけど、ゴドウィンの目が誰か他の女性に向く可能性なんて、チラッとも考えたことがない。


「養子をもらうという手もあるわね」

「今はまだ側女や養子を考える段階じゃないよ」

「まあね」


 考えてみれば今日結婚したばかりだったわ。

 わたしってせっかちだから。

 そうだ、わたしはゴドウィンの妻になったのね。

 わたし自身の何が変わったわけでもないのに嬉しい。


「僕は納得いかない」

「えっ? 何が?」

「僕ばかり苦悩していることがだ。どうしてフィービーは思い煩わないんだ!」

「ええ?」


 無茶なことを言っている。

 ゴドウィンは子供っぽいなあ。

 でも大きな身体して拗ねてるのも可愛くて好き。


「わたしは多分満足しているからなのよ」

「何に?」

「川遊びの日、ゴドウィンを助けることができたことに」

「えっ?」


 何をポカンとしているのだろう?

 心当たりがないような顔だわ。


「ゴドウィンが川に流されたことにわたしが気付いて、浮き板を持って飛び込んだじゃない? ゴドウィンを浮き板に掴まらせたけど、その後わたしが溺れてしまって」

「……えっ?」

「あれ、覚えてない?」

「……覚えてるのは君が溺れて死にそうになって……」


 自分が死にそうになったことよりも、わたしが死にそうになったことを強烈に覚えているんだ。

 やっぱりゴドウィンはいい人。


「……思い出した」

「うん」

「君に助けられて、そして君が死にかけて」


 ゴドウィンの言葉に段々力がこもってくる。


「君を失ってしまうかもしれない恐怖に負けそうになったんだ。僕はバカだ。今でも過去を引きずっていて」

「ゴドウィンが優しいからよ」

「そう言ってくれるフィービーこそ優しいな」


 もう脅えていたさっきまでのゴドウィンじゃない。

 自信を取り戻した、わたしの大好きなゴドウィンだ。

 いや、オドオドしてるゴドウィンにも萌えるけれども。


「……完全に思い出した。フィービーをお嫁さんにする、絶対に幸せにするとあの時誓ったじゃないか」

「えっ?」


 お嫁さんにするとゴドウィンが言ったのは覚えてる。

 あっ、あれは川遊びの日だったか。

 いつだったかはわたしの方が忘れていた。

 あはは。


「フィービーすまなかった。僕は君を疎かにするだけでなく、自分自身の誓いに背いてしまうところだった」

「急に元気になったわね」

「ああ、もう僕は決して負けない。迷わない」


 ぎゅっとゴドウィンに抱きしめられる。

 展開が早いな?

 やる気になったゴドウィンはこうなのね。

 逞しい身体に不釣合いなほど繊細な口付け。

 川遊びの日からずっとどこか子供だったわたし達が、今日大人になるのね。

 忘れられない夜が始まる。


          ◇


 翌朝、わたし付きのお茶目な侍女に『昨夜はお楽しみでしたね』と言われた。

 何も言わずにニコッと返したら、大人だと驚かれた。

 ふふん。

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