第5話

『おやすみ!』


通話を切った間もなく私、佐藤さとうえりかは枕に顔を埋めた。


緊張の気持ちが全身を支配し、手足が小刻みに震えている。ココアはベッドの上で元気いっぱいに尻尾を振っている。


「ココアはいいな…」

「ワンワン」

「私もココアみたいに緊張とストレスのない人生を生きたい!」

「ワンワン?」


ココアはもちろん、人間の言葉などわからない。しかし、長い付き合いである愛犬なら自分に同感してくれた気がした。


ココアは表情というものがなくても、私に微笑んでいる気がする。


「よっし」


気を取り直すように、ベッドから立ち上がる。動悸が落ち着かないけど私はすばるさんの声を聞いただけでどこかで勇気づけられた。


あのベタな出会いから色々あった、障害物が出てもはばからないように先へ進むすばるさんの姿は眩しかった。


私はやっぱり未熟で、すばるさんに甘えてばっかり。それでもなぜか、彼はそれについて一度も文句は言ってなかった。


「すばるさんなら緊張なしでオーディションに完璧なパフォーマンスを披露だろうな」


夢は不思議なもの、人生をかけて追い続ける人もいれば、夢のせいで人生をむちゃくちゃにしたやつもいる。


唯一の共通点として、夢は掴める距離か攻撃射程に入ると後ろめたい気持ちはどうしても抜けない。


果たして、私は夢を叶えるにふさわしいか?成功すれば、私は優越感を抱いていいのか?常識から外された黒羊なので責められるべきなのか?


『えりかさんを女優にする』


すばるさんの声が脳裏をよぎる。かすかな不甲斐なさがあったものの真剣に本心を話していたようにも見えたので、私としてはかっこよかった。


それは今週公園で会った時だったか?




夜の帳が下りるその頃にスーツ姿で走るすばるさんは記憶に焼きつけられた。


私の背に風が当たると不安な気持ちが去っていく。


「ごめん!ちょっと遅かったかな?」

「いいえいいえ、私も今ついたばっかり」


私は悪い子なのでしょうか?


実は40分待っていたのに、あんな平気な顔で嘘をついたな。


すばるさんなら、これは女優の天才だと言うのではないかとたまに思う。


彼は顔を赤くしながら、ロボットにもうつる動きでなにか差し出した。


「これ、あげる」

「えっ?なにそれ?」

「チョコ…かも?」

「か、かも?」

「パッケージがチョコの絵けど、英語ので俺はまったく読めないです!」


誇らしげにそう告げるすばるに私はくすくすと笑った。





悔しい。


明日がオーディションってことは明日からすばるさん会わなくなるじゃないか?


儚いはかな気持ちに体がちょっと重く感じる。


SMITCHちょっとやったけど、その気持ちは晴らすことができなかった。


スマホを見てみるともうこんなに遅いのか?街が寝ている時間帯、空も闇より暗い、唯一そびえ立つ美しい銀色の月。私はそれを眺めながら思った。


「すばるさんと一緒に見てたかったな」


その願いは夜の暗黒に消えていた。






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仕事に飽きた俺は美少女の犬を救ってみた。 夢月亜蓮 @aobutakuki

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