エピローグ:それから
温泉の夜、彼女が消えて一年近くが経過した。俺――
いくつか、変化はあった。
例えば、仕事に対して真面目になった。今まで別に不真面目だったわけではない。ただ、自分の限界まで頑張ることはしてこなかった。それを、意識的にやるようになった。手を抜かないで、最善の結果のためにはどうするかを考え、実行する。そんなことをしていたら、いつの間にか管理職へと昇進することになった。今は、部下が五人いる。上司がどれだけ大変だったかを思い知っているが、これもいい経験だろう。給料も上がったし。
部屋は少し広いところへ引っ越した。いつか、誰かと共に暮らす日が来ることを考えて。車も相変わらず乗っている。温泉、釣り、山、色々なところに行くようになった。いつか、誰かを隣に乗せる日を想いながら。
煙草の本数は減った。最初のうちは変わらず吸っていたが、隣に誰かがいないことを思い出して寂しくなるのだ。今は一日の終わりに一本だけ。それも、いずれなくなるかもしれない。
「はぁ、つかれたな……」
仕事を終えていつもの喫煙所で煙草を咥える。少しの期待感、そして諦めと共に火を付けた。――すると。
「……おや。成功した。久しぶりだねクニトリョウ。覚えているかな。パイロープの友人、イオスだよ」
目の前には、赤い鱗と、紙巻き煙草のようなものを手にした、紫色の髪をした少女……いや、竜。
「もちろん。覚えています……その鱗があるってことは、彼女も近くに?」
パイロープさん本人でなかったのは残念だが、彼女の身近な竜がいるのだ。――きっと、会える。そう思うと、嬉しくて仕方がない。
「うん。そうだね。……少し、順を追って説明しようか。まず、彼女が長期間の眠りにつかなくてはならなかったことは知っている?」
「はい。本人から、そう聞きました。何年かかるかわからないが、長くなりそうだと」
年単位、下手すると十年以上ということだったが……。
「そう。彼女は……だいたい、百年間眠ることになった」
「……え?」
百年。それは……つまり、もう、起きている彼女と会えない、ということでは。周囲の音が遠くなる。イオスさんが何か言っているが、耳に入ってこない。百年。自分が頑張って長生きしても――いや、そもそも老人になってから会っても……。
「――おーい。聞いてる? 大丈夫? うーん……とりあえず、直接見たほうが早そうだね」
「見る……? あぁ、なるほど……」
そうか。眠っているのなら、近くで見ることはできるのか……余計に寂しくなりそうな気がしたが。
「さすがに煙草は良くないからね、これを吸ってくれ」
イオスさんが手渡してきたのは、先ほど彼女が吸っていた煙草と同じもの。……いや、よく見ると煙草じゃないなこれ。なんだ。小さな穴が開いた、煙草と同じくらいのサイズの棒。表面は固く、プラスチックのような素材でできているようだ。
「これはね、周囲の魔力を吸収し、それを煙として吐き出す道具だよ。……簡単に言うと、君の魔法の発動条件を無理やり満たすための道具だ。煙草は体に悪いが、これは健康に影響はないし、吸い続けることができる。ただ、蓄積されている魔力が切れたら終わりだけどね」
電子タバコみたいなものか。……確かに、寝ている人のもとに煙草を咥えていくわけにはいかない。画期的な道具だ。イオスさんは煙草を吸わないのでは、と思っていたがこれで代替していたらしい。
魔力タバコを咥えながら、俺は竜の住む集落を歩く。様々な家があり観光するにも楽しそうではあったが、今はそれどころじゃない。案内されたのは、パイロープさんの家だった。
「さて……覚悟はいいかな?」
覚悟。彼女との別れの、覚悟、だろうか。
正直、何一つ覚悟なんてできていない。ただ、その姿を最後に見ることができるなら、まだ、心に整理はつけられるのかもしれない。
「――はい。大丈夫です」
「じゃあそこを開けて、入ってごらん。すぐのところに、彼女はいるよ」
大きく深呼吸し、ドアノブを握る。……中から、何か声がする。なんだろう、鳴き声? いや、これは――。
ドアノブをひねり、ドアを開けた。この声が、想像したとおりだったら。もしかして、そんな、奇跡みたいなことが。
「――あ、久しぶりだね、クニトくん」
そこには。
茶色っぽい髪の赤子を抱えて、あやす。
大好きな人が、いた。
「……はい、あえて、嬉しいです」
正直言って、何が何だかわからなかった。
でも、そこに彼女がいるということ。それだけで、なんでもいいと思えた。
流れそうになる涙を抑えながら、俺は彼女に駆け寄る。
「あれ? なんかちょっと見ない間に、少し逞しくなった? いいね」
一年前と、何も変わらない様子でニコニコと笑っているパイロープさん。なんだ、これ、夢か?
「あの……その子は?」
もしかして、と思ったが、確認する。
「ああ、これ? 私の子。……私と、あなたの子、だよ、パパっ」
にひひ、と笑いながら子供をこちらに見せる。……まだ、生後間もないんじゃないだろうか。――ためらってしまう。子供? 俺の? ……心当たりはある。だが、なんで。そもそも百年寝てるはずじゃ?
「パイロープさん。百年、寝てるって、聞いたんですけど」
「うん。寝てたよ。で。一年前くらいに起きたんだ。それで、胎内に受精卵があることが分かったからね、育てて、産まれたのが一カ月前くらいかな」
「え? つまり……あの、温泉に行った日から、百年、経ってるんですか?」
「そうだよ。あれ? イオス説明しなかったの?」
「……言ったんだけどね。聞いてなかったみたい」
俺の意識が遠のいているときに説明をしていたらしい。
「ありゃ。まぁ、そういうわけで、私は目を覚まして、この子を産んだんだよ。……抱っこしてみるかい? パパさんや」
「え。いや、でも、大丈夫、なんですか」
「抱き方教えてあげるから、大丈夫。あ、手を洗ってきて、そこに手洗い場あるから」
言われるままに手を洗い、上着を脱ぐ。赤子を抱いた経験はない。指示されるままに、横向きに抱いた。まだ首が座っていないので、持ち上げたりしてはならないらしい。
「これが……俺と、パイロープさんの、子供?」
「そ。実感わかないかな。まあそりゃそうか。あ、名前は勝手に付けちゃった。フレア、女の子だよ」
「フレア……」
何も言えず、しばらく赤子を見つめる。泣くかと思ったが、こちらの顔をじっと見た後、眠ってしまった。……あれ。なんか。
「あら、フレアは泣き止んだのに、こんどはこっちかぁ」
微笑みながら、パイロープさんが抱きしめてくれた。
だって、会えないと思った人と会えて、そしたらその人と自分の子供がいて。確かな温かさを感じる。自分の命が、継がれたのだと。好きな人と合わさって、今ここに生命として在るんだと。そう思ったら、涙が止まらなくなった。
「感動の再会を邪魔したら悪いし、私は外に出ていようか?」
傍観者に徹していたイオスさんがぼそりと呟く。
「あ、イオス。ちょっと待って。クニトくん。写真! 写真撮ろ!」
バタバタとスマホを取り出して、操作法を説明する。撮影の瞬間は、魔力タバコを口から離した。――俺と、パイロープさんと、娘の、写真。嬉しくなって何枚もお願いしてしまった。……今日から待ち受けにしよう。
◆◇◆◇◆◇
フレアが完全に寝たので、ベッドに置き、三人でリビングに座りお茶を飲むことになった。
「……さて、その魔力タバコの残り時間もあまりない。クニトリョウ。君は、これからどうしたい? 一つは。元の世界へいつもの通り戻る。ただ――次に来られるのが、いつになるかはわからない」
そういえば、次に会うまでの期間が結構空いている、という話はパイロープさんもしていた。彼女は外見が変わらないから気づかなかったが、フレアは? 下手をすれば、次に会ったときにかなり大きくなっている可能性もあるのか。
「実際、私が君に会うまで、年単位で空いた時もあったからね。下手をすれば、次にあったらフレアが成人している可能性もある」
「それは……俺は何も彼女の成長過程を見ることができない、という」
「そうなる可能性もあるね。もちろん、フレアは私が責任をもって育てるから、そこはあんまり気にしなくていいよ。クニト君が、どうしたいか、かな」
どうしたいかなんて、そんなことは決まってる。ただ、実現する手段があるのだろうか。
「ちなみに、他の選択肢は?」
その問いに、イオスさんが口を開いた。
「私はね、パイロープの依頼で、この魔力タバコのように、君の滞在を長期化させる方法をこの百年研究してきた。まだ実験段階のものもあるから色々人体実験をさせてもらう必要はあるけれど……とりあえず、しばらくはこちらにいられるようにはできると思う」
「それは、つまり」
「元の世界を捨てて、こっちにしばらくいる気はある? ってこと」
元の世界に戻り、前と同じようにこちらへ来る形をとるか。それとも、こちらで暮らすか。
――そんなもの、選択の余地なんてないじゃないか。
「パイロープさん。俺は――ずっと、あなたと、フレアと共にいたいです」
「……もう、元の世界の人と会えなくなっても?」
「はい。他の何よりも、誰よりも、あなたが大切なので」
「……ありがと」
「私、出てっていいかな?」
イオスさんの言葉は無視して、俺は上着の胸ポケットから小さな箱を取り出す。そこには――。
「すっかり遅くなってしまいましたが、改めて。パイロープさん、俺と結婚してください」
「――はい、もちろん」
箱から、指輪を取り出して、彼女の左指にはめる。
かくして、百年越しのプロポーズは見事成功した。
俺はこれから、彼女たちと共に生きていく。
つまらないと思っていた人生を、変えてくれた。
きっともう煙草はやめるだろう。
――だって、もう、彼女に会うために、そんなものは必要ないから。
異世界喫煙所 里予木一 @shitosama
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