第44話 カリッド・ランプロス 生前

 窓から、人の影が伸びている。


 先程から部屋の中には一人の男がいるだけで、他には誰もいない。しかし、それは至極当然のことだった。男は監禁も同然に、先日前から部屋に籠っている。


 男は三十代後半だが、やつれていていくらか老けて見えた。部屋の中央にあるイスに座り、貧乏揺すりをしている。

 そう、男が窓に近付いたわけではないのだ。


 邸の二階のベランダに、誰かが侵入したということだった。


 カーテンがなびく。男は閉まっていた窓がひとりでに開いたことにすら、気付いていない。


「生の禁忌に手を出そうとしたのは、君?」


 至極冷静と言うべきか。いや、それよりも無気力と説明する方が妥当だろう、そんな声だった。


「誰だ!」


 部屋の主、カリッドは声の聞こえた方へ反射的に振り向く。カリッドの声には、恐怖よりも思考を邪魔された怒りの方が多く混ざっていた。


「僕の質問に答えてよ」


 青年は足音を立てながら、ゆっくりと前進する。

 風が止んで初めて、侵入者の姿を視認することができた。


 そこには、白髪の青年が立っていた。長身だが細身であり、猫背気味で威圧感もなく小さく見える。しかし、瞳だけは違った。なぜか、カリッドは青年の紫色の瞳に吸い込まれそうになった。


「まずは私の質問に答えたらどうだ」


 カリッドは青年を下に判断し、それに見合った言動を取る。


「誰だと思う?」


 青年のそれは挑発でも何でもない。ただただ無気力であった。


「犯罪者だろう」


 青年の態度がカリッドの癪に障った。その言葉を発した声に、感情がありありと見える。


「犯罪者。うん。そうとも言える、かも」


 煮え切らない態度は、またしてもカリッドの神経を逆撫でる。


「僕はね。禁忌魔法使い、だよ」


「!」


 カリッドは目を見開いた。


「禁忌、魔法……!」


 恐怖でも嫌悪でもなかった。カリッドの中にあるのは、喜び。興奮。期待。


 この世界の人間が、この状況において抱く感情とは真逆であった。


「あなたの名は、何と言うのですか!」


 カリッドはほとんど這うようにして、青年に近付いた。

 青年の正体を知った今、接し方が様変わりしている。


「……それより、僕の質問に答えてくれる?」


 青年は立ったまま、カリッドを見下ろす。


「は、はい。失礼しました。私は、生の禁忌魔法を使いたいのです。そのために、文献などを見ておりました。……息子に没収され、焼かれてしまいましたが……」


 土下座をするようにして、カリッドは説明をする。


「そう。文献には何が?」


「ほぼ伝説や空想のおとぎ話でした。魔法の発動方法や歴史に関しては何も……」


「ふーん。そっか」


 青年に、少しの笑みが浮かんだ。


「お願いです。私に生魔法をご教授いただけないでしょうか」


「どうして?」


 青年は屈んだ。


「私には妻がいました。しかし、先日亡くなってしまい……。私はまた、妻と暮らしたいのです」


「うん。良いよ」


「え……?」


 あまりにあっさりと承諾され、カリッドは呆気に取られた。


「あれ、嫌なの?」


 青年は心底不思議そうな顔をした。


「い、いえ! 嬉しいです! ありがとうございます!」


 カリッドは感謝を述べながら、床に頭を擦り付けた。


「でもさ、君。奥さんに暴力振るってたよね。本当に愛してたの?」


 カリッドは咄嗟に顔を上げた。


「な、なぜそれを?」


 その質問に返答がくることはなく、カリッドは話すしかなかった。


「……愛しているから、するのです。妻となるならば、私に見合う、男爵家に見合う行動、振る舞いが求められます。彼女は商家の出でしたので、私が彼女のために教育をしていたのです。なのに、なのに……いつものように教育をしていたら、なぜか動かなくなって! どうして! …………そうだ。彼女の私に対する愛が足りていないんだ! だから耐えられない! だから! だから弱いんだ!」


 カリッドは、頭を押さえながら床を転がった。涙を流し、苦しそうな声をあげる。怒りと悲しみが入り交じっていた。


「たかだか男爵家じゃないか」


 この言葉は、カリッドには聞こえていなかった。聞こえるようには言っていないのだから、当然だ。


「ああ、姉さんだってそうだ。姉さんは、私を置いていった……! 世界で一番愛していると言っていたのに! 裏切った! あんな金しか持っていないような男と結婚するなんて!」


 青年は面倒くさそうにため息をついた。


 しばらくしてカリッドが落ち着いたところで、青年はまた話しかける。


「君は、奥さんを愛しているんだね。うん、力を貸してあげる」


 青年は貼り付けたような笑顔で言った。


「あ、ありがとうございます!」


 カリッドの顔は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。


「さあ、目を閉じて」


 カリッドは言われた通り、目を閉じる。

 青年は手のひらを彼の顔に向けた。



 カリッドが次に目を開けた時、青年は忽然と姿を消していた。


「はっ! ついに! 私は禁忌魔法を使ったぞ!」


 そして、カリッドは青年とのことは一切忘れ、ありもしないことを真実だと認識していた。

 自分は禁忌魔法を使った。成功していれば妻は戻ってくると、信じて疑わなかった。


 カリッドはその日から、妻を待ち続けた。しかし、一向に現れない。彼はまた禁忌に手を出そうとするも、息子によって監禁されており、何もできない。


 そうした日々が続き、何年も巡るごとに、カリッドは冷静になっていった。なぜ禁忌に魅せられてしまったのか。

 妻を待ち続ける日々から、そんな後悔を巡らせる日々へと変貌していった。




 青年は、魔法をかけた。カリッドから、少しずつ『生』を奪う魔法を。


 時間がかかるように。死ぬまでの時間で、カリッドが罪に気付くように。


 気付いたとしても、後戻りはできないように。

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禁忌魔法使いの仕事 月見 エル @otukimi_ll

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