第43話 シチナ・ランプロス 生前

 空気の澄んだ夜。

 少し肌寒く、シチナは鼻を赤くしながら走っていた。白金のロングヘアは、彼女の動きに合わせて美しく揺れている。


 待ち合わせ場所に近付くと、人影が見えてきた。


「お待たせしました」


 シチナが息を上げながらそう言うと、コーディは彼女の方に顔を動かしてにっこりと笑った。


「いえ、大丈夫ですよ。私も今来たところですから。少し休憩してから行きましょうか」


 そう言いつつも、コーディの鼻は寒さで赤くなっていた。それだけでなく、頬まで赤い。

 寒空の下、彼が四半刻もシチナを待っていたからだ。


 当のシチナは、誰にも見つからぬよう部屋から出たために、遅くなってしまったのだった。彼はそれも理解している。


 貴族と平民、二人の身分はそれだけで障害となるのだ。


「もう平気です。行きましょう」


「はい」


 二人はゆっくりと歩き出す。この時間が長く続けば良い、二人の歩みからはその思いがひしひしと伝わってくる。


「綺麗ですね」


「はい。ここで見る星は格別と自負しています」


 二人は夜空を見上げ、立ち止まる。


「少し座りますか」


「はい」


「待ってくださいね」


 コーディはカバンから布を取り出し地面に敷くと、シチナにそこへ座るよう促した。


「どうぞ」


「あ、ありがとうございます。でも、コーディさんが」

「私はいいんです」


 コーディは首を振りながら言葉を遮った。


「さあ、どうぞ」


「ありがとうございます。では、遠慮なく……」


 シチナはスカートが広がらないよう手で押さえながら布の上に腰かけた。


「綺麗、ですね」


「……星にも言葉があるのを知っていますか?」


 コーディがふとそんなことを訊いた。


「いえ、知りませんでした」


「シチナさんでも知らないことがあるんですね」


「……からかっていらっしゃるでしょう」


 ここに来てからというもの、シチナは多くのことをコーディに教えてもらっている。それなのに、と彼女は拗ねたのだ。


「すみません」


 コーディは謝りながら微笑んだ。


「花言葉と同じようなものですか?」


「はい。ネーヴェでは花言葉よりも主流なんですよ」


 星を身近に感じてきた人々だからこそ、なのだろう。星にも言葉を求めたのだ。


 星言葉は、その地に独自に伝わるものだった。同じ星でも、違う意味を持つことが多いのだ。


「今日は十一月の六日ですね。……ふふ、あなたにぴったりの言葉でした」


「あら、教えて下さらないの?」


 コーディはニコニコとするだけで、頑なに教えようとしない。


「シチナ様のお誕生日はいつでしょうか」


「四月の二十六日です」


「ふふ、そうなんですね」


「コーディさんだけ知ることができるなんて、少しずるいです」


「確かにそうですね」


 コーディはまたカバンから何かを取り出すと、シチナに渡した。


「これは?」


「星言葉の本です」


「下さるのですか?」


「いえ、お貸しするだけです」


 コーディは本を掴むシチナの両手を、優しく包んだ。冷たかった彼女の手に、彼の暖かさが移っていく。


「ですから、いつか、……私に返しに来て下さいませんか」


「……はい、必ず。必ずお返しに来ます」


 二人はぎゅっと、抱きしめ合った。




 鳥かごの中から、鳥が出ようと暴れている。体を打ち付け、羽が抜けてもやめようとしない。


 もう何度目かは分からないが、また鳥かごに体をぶつける。すると、ついに鳥かごはバランスを失い倒れた。その衝撃で、扉が開いた。


 しかし、鳥は出てこない。落ちた羽が、赤く染まっていく。


 その奥。鳥かごの隣にあった棚の下に、古い本が一冊。埃をかぶった星の描かれた本だった。そこにも、赤がゆっくりと染み込んでいく。

 その本は一ページだけ、黒く塗りつぶされていた。本の持ち主が塗ったのだ。借り主は、同じ本を探したが見つからなかった。


 塗られていたページは、三百六十五ページある中で、ただひとつ、二十六ページだけである。

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