第42話 シチナ・ランプロス⑲

 オーブンの扉を開けると、レモンの良い匂いが部屋中に漂った。


「はい! お手製レモンパイ!」


 フィーネは両手にミトンを着け、天板を掴んだ。そして、ダイニングテーブルで焼き上がりを待つディアンに見せびらかした。


「! ありがとうございます」


 見た目も完璧であり、店に出せるほどではないだろうか。


「あとは味ね」


「大丈夫ですよ。フィーネさんが作ったんですし」


 フィーネの作る菓子は美味しい、これはディアンの舌に刻み込まれていた。


「あなたが自信満々でどうするのよ……」


 テーブルにパイを置くと、ナイフを取り出し切り分ける。パリッとした音が、食欲をそそった。


 取り皿に移して、フィーネも席に座る。


「「いただきます」」


 一口食べると、口の中にレモンの爽やかさが広がる。酸味のあるレモンクリームに、刻んだレモンの蜂蜜漬けの食感が良く合った。


「我ながら美味しいわ」


「はい。その評価は正しいと思います」


 レモンティーもよく香りが移っている。二人は同時に紅茶を啜った。


「……そろそろ、帰らないとです」


 カップを置いて、そう述べたのはディアンである。


「あらほんと。もう二週間経つのね」


 依頼をこなした後、二人はゆったりと過ごしていた。しかし、心地よい時間は早く進む。


「帰ってこれるのは、また一年後くらいですかね」


「騎士様は大変ねえ」


「騎士の仕事だけできれば良いんですけどね」


 死んだ目でそう言うディアンからは、諦めが見える。


 彼は貴族なのだ。貴族の仕事もこなさねばならない。

 短期休暇には、嫌々ではありつつも貴族としての務めを果たしていた。


「もうすぐ王家主催のパーティーもありますし……」


「あら。それは警備として参加するの? それともフォルシュリッドの者として?」


「フォルシュリッドとしてですね。ああ、行きたくない」


「良いじゃない。お友達にも会えるんじゃないの?」


「友達なんていませんよ」


「じゃあパートナーは?」

「そっちの方がいません」


 食い気味で否定する。


「あら、残念。あなたの惚れた腫れたを聞きたかったわ」


「絶対にないですから。やめてください。いい加減しつこいです」


 ディアンは怒ってそっぽを向いてしまった。




* * *




「それじゃあ、行きますね」


「ええ。気を付けて」


 フィーネは顔の横で手を振り見送る。


 ディアンは石畳を少し歩き、振り返った。


「フィーネさん。僕じゃゲート開けないので、定期的に開いてくださいよ。それか手紙を投げ入れるでも良いですから」


「ごめんごめん。忙しいと思って遠慮してたのよ」


 ディアンの左耳のピアス。青い半透明の小さな立方体、という少し変わったモチーフのもの。これは、フィーネの渡した空間だ。

 しかし、肌身離さず持っていたとしても、ゲートに変えられるのはフィーネしかいない。彼女が開かなければ、持っていても何の意味もないのだ。


「絶対ですよ」


「人前だったらどうするの」


「僕が上手く誤魔化しますから、安心して開いてください」


「はいはい、分かったわよ」


 ディアンはフィーネの答えを聞き満足したのか、今度こそ振り返らずにクロッツを去った。

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