舜 ―変わらない日常―
「おはよう! 寝坊助、起きるのだ!!」
「ぐふっ」
毎度毎度、真子は目覚まし代わりに、無防備に寝ている僕の上に飛び乗り無理矢理起こそうとする。
今はまだ大丈夫だが、このまま順調に体重が増え、もとい成長するならいつか受け止めきれずに永遠に目覚めなくなるだろう。くわばらくわばら。
そのまま真子が体重を掛けて抱きついてくる。肌寒い季節、暖をとるには人肌は最適だ。
「おはよう、真子。抱きついてないで降りなさい」
「舜のけち!」
「じゃあ、一緒に遅刻するかい? 僕はどっちでもいいよ」
「あらあら、困ったわね。このまま起きないのなら朝食は抜きよ」
真子の背中に回そうとした手がゆっくりと振りほどかれた。
「食べます、食べます! 真里さん、今日のメニューは何ですか?」
「ふふふ、ただのフレンチトーストよ。せっかくだから温かいうちに食べてちょうだい」
「了解です」
「じゃあ、コーヒーを温めておくから早く準備して降りて来てね」
軽く右目を閉じてウィンクすると真里さんは部屋を出て行った。
真子は十歳、真里さんは二十歳、どちらも自称。真名と同じ十七歳でないというのなら僕には二人の本当の歳は分からない。
身支度を終えて階段を降り台所に着くとすでに真名はテーブルについていた。
「真名、おはよう!」
「舜、おはよう!」
「今朝のご飯も美味しそうだね」
「うん」
幼い頃の父親からの虐待で解離性同一障害、いわゆる多重人格症になった真名にとって、副人格の『真子』『真里』の取った行動は記憶に残らない。
真名が目覚める前に真里さんが朝食を作り、その後、真子が僕を起こしに来る。この毎朝のルーチンも真名本人は自覚していないのだ。
僕たちが小学校に上がる前に親父が張り切って家を建てた。二世帯住宅だ。
事前に打ち合わせをしないまま建てたので『山を降りる気はない』とじい様と婆さまに同居を断られた両親は離婚後に単身で子育てしている親友である真名の母親、千晴おばさんに格安で部屋を貸し出す事にしたのだ。
今思えば全て両親の茶番だった気もする。
とにかくその頃から真名とは一つ屋根の下で暮らしている事になる。
玄関は二つあるけれど台所で繋がっている間取りは看護婦で夜勤がある千晴おばさんの代わりに僕の両親が真名の面倒を見るのには都合が良かった。
未だに区別なく扱われているので両親にとっては真名も僕も兄妹みたいなものなんだろう。
そのせいか彼氏が出来たからと身構えていたのだが彼女たちとの距離感に変化はなかった。
***
「舜、もう寝た?」
「うん? どうしたの?」
「さっき真名が見てたドラマを思い出しちゃった」
夜の十時を回った頃、枕を抱きしめて現れた真子はかすかに震えていた。
副人格の真子たちは主人格の真名の行動を巨大スクリーンを通して観ている観客の様なものらしい。意識を遮断すれば見なくても済むらしいが、どんな事柄にも興味津々な年頃の真子は真名のする事は何でも観ている。
今夜も季節外れのお化けが出てくるドラマを一緒に観ていた模様。
子供らしく、明かりを消した途端に思い出して怖くなったのだろう。
我慢しきれなくなり真名が眠りについた途端に入れ替わって僕の部屋に来たようだ。
「一緒に寝てもいい?」
「寝ぼけて蹴飛ばさないならいいよ」
「蹴飛ばさないもん!」
「本当かな?」
「うるさい!舜のくせに」
勢いよくベッドに飛び乗って来た真子からの衝撃を受け止めきれずに僕はそのまま意識を手放した。
***
「あらあら、おはよう! 起こしちゃったかしら?」
「えっ!?」
「まだ早いからもう一度寝てもいいわよ」
僕の手をどかす感覚で目が覚めた。どうやら寝ぼけて真子を抱きしめたまま寝ていたようだ。
朝ごはんの準備をする為に真里さんはそのまま一階に降りていった。
彼女たちが行動する時は主人格の真名は眠りについているが身体は起きている。なので彼女たちが行動する程、真名の身体に負担が掛かる。
その為、まだ幼なく日中人前で頻繁に人格が入れ替わっていた頃の真名は暇があると寝ていた。それだけ体力を消耗していたのだろう。
その時の習慣が身についているのか真名は高校生になった今でも早寝早起きの習慣が抜けていない。その人よりも長い睡眠時間の一部を副人格の彼女たちが自由に使っているのだ。
日中人前に出なくなった事に対する反動だと彼女たちは主張している。何もなければそのまま消えてしまいそうで不安だという。
本来ならば最終的に目指すのは主人格の真名と彼女たち副人格の統合だ。しかし、真名は彼女たちの存在を知らない。
自分が解離性同一障害である事すら知らないのだ。
受け入れ難い事態に直面した時に現実から逃げ出し、真名の代役として彼女たちが生み出され対応したのだ。
状況に応じて、必要に駆られて、役割分担として彼女たちが生まれた。
何も知らない幼い『真子』
甘えん坊の『真央』
気の強い『真帆』
包容力のある年上の『真里』
身近に接してそれぞれの個性を認め、彼女たちの区別をつける為にそれぞれ違う名前を付けたのは僕だ。
別人格として認められて嬉しかったのか彼女たちは直ぐに僕を受け入れてくれた。
そして全ての人格が真名である。区別する為に呼び名は違えども全てをひっくるめて真名なのだ。
他の副人格が消えて主人格の真名だけになったとして、果たしてそれは本当の『真名』なのだろうか?
そして『真名』の一部でしか無い『真帆』を好きだという僕の気持ちは本物なのか?
都合のいい点しか認めない狭小な精神を持つ歪んだ人間ではないのかと自責の念に駆られる。
「難しい事は考えなくていいのよ。あるがままに受け入れればいいの。それ以外に方法はあるかしら?」
「すみません! 少し考え事してました」
「ふふふ」
朝食中にぼーっと考え事をしている所に真里さんから声を掛けられた。
真里さんは時々見透かすように的確な言葉を投げ掛けて来る。心が読めるのか、エスパーなのか?
「どうしたの? 不思議な顔して? 難しそうな顔してたら何か悩み事でもあるのかなと思うでしょう?」
「そ、そうですよね」
「手に負えないような難問なら私にも相談してくれるでしょう? それがないって事はそれ程でもない事だし、考えても仕方ない事だわ。あるがままに、思うままに行動すれば自然と解決するわよ」
「あるがままーー」
「いずれ分かるわよ。そろそろ真名が起きそうだから行くわね。また後で」
真里さんは右手をあげて、ウインクすると台所から出て行った。
やがて起きてくる真名は自分が作った朝食を母親たちが作ったものだと思い食べるのだ。
真名本人は料理が苦手だと言っているが真子を除く他の三人は料理好きだ。たまに年頃の女の子らしくクッキーやケーキを作っており、お裾分けとしておこぼれにあずかっている。なかなかしっかりとした味付けで決して下手ではないと思うし、毎朝料理を作っている真里さんに限ってはプロ顔負けだと思っている。
すっかりと落ち着いた今では親たち三人の前でも人格の入れ替わりが減ったけれど、メモや僕を伝書鳩代わりとして料理の材料をリクエストしているので、誰が料理しているのかはわざわざ声に出さなくても周知されている。
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