シュガーレスに帰す

メルバニアン

『シュガーレスに帰す』

 初めてのキスは、使い慣れたスプーンを舐めたときのような味がした。

 蜂蜜をたっぷり入れた紅茶から引き抜いたそれを舐めた時の、甘ったるくて、ちょっとだけしょっぱい鉄分の味。

 前に使った人の時間とか重みが、いろんな味となって複雑に重なり合って薄まって、舌に残る。

 そしてそれを全部フリスクで加工し台無しにした、なんか、「あーあ」って感じの味だ。

 

 終わった後の感想も、なんか「あーあ」って思うような。

 そういう、人生の縮図のような初体験をして、ずっと「あーあ」って思いながら。

 これからさきもこの味を食べかすみたいに忘れたり滲むように思い出したりして生きてくんだろう。

 そういう刹那を、楽しんでいた自分もいた。

 


 ***


 湯気に立ちのぼる白磁のカップには、並々と入れた黒く濃厚な液体。

 小さなスプーンでくるくるかき混ぜて渦を作りミルクを流し入れる。

 ゆっくりと差し入れられた白は、初めは綺麗な螺旋を保っていたけれど、混ぜていくうちにそれらの境目はなくなって、マーブルになって完全なひとつとなる。

 たっぷり入ったミルク入りのコーヒーは、カフェオレのように茶色くなってしまって別物になっていた。

 正直、美味しくはない。


 「砂糖、入れないんだね」

 カフェオレもどきを猫舌の舌でちびちび啜っていると、向かいに座っていた彼が思い出したように告げた。

 私は目を細めて彼の顔の微細をひとつひとつ丹念に観察しながらそっとカップをおいた。

 「最近はブラックを飲めるようにがんばってるの」

 だから砂糖の代わりに甘いケーキを食べるのよ。

 私はなんでもなさそうにそういって、カップを置いたその手でイチゴのショートケーキに銀色に輝く華奢なフォークを突き刺した。

 安物の酸っぱいイチゴではなく、程よく甘みと酸味がきいたイチゴと生クリームが舌を喜ばせる。このお店は当たりだ。

 駅から少し離れた場所にある小さな喫茶店は友人の紹介で知った。

 店内に流れる、ゆったりとしたジャズをBGMに私はもう一度コーヒーを啜る。

 ここに来てから、彼は頼んだブレンドをひとくちも口にしていないけれど。

 なんとなく、おしゃべりを楽しむ気分になれなくて私は黙々とケーキを口に運び、彼が決心して話すのを待つことにした。


 もし、私が食べ終わっても何も言わないのなら、私から話題に出すまでだと思った。

 お店には他に学生らしき男性がレポート作りに勤しみ、年配の女性が2人、会話に花を咲かせていた。

 マスターは食器磨きが終わったのか、今度はコーヒーミルで豆を挽いていた。

 どうりで香ばしい、いい匂いがすると思った。

 お店の雰囲気を壊すような、ギスギスした空気は私と彼の間にはなかった。

 むしろゆるゆると心地いいようなもっといたいような、子供の頃の午睡の時間のような穏やかさがあった。

 私がタイミングを測っていたように、彼も同じことを考えていたようで。

 最後に残しておいたイチゴをぱくりと口にすると同時に、彼の唇が震えるのが分かった。

 「今度、結婚することになりました」

 端的に、実に簡潔に彼は言った。

 昔から緊張すると敬語になってしまうのは、彼の癖で。

 口の中にあったイチゴをしっかりと咀嚼してから彼と視線を合わせると、私の方を真っ直ぐに見つめていた。

 彼がそう思わせるのか、私が勝手に彼を思うのか、さだかではないけれど。

 背筋を伸ばし震える声を隠しながら告げた言葉は真摯的だと思う。

 「そうですか」

 私と彼を似た者同士だといった人が居たけれど、たぶん、こういうささいなことが所以なんじゃないかと、うるさい心臓の音を聞きながら、頭の隅に追いやった。

 こうなるのとは知っていたし、いつかそうなるだろうなとも思っていた。

 私の知る彼の左手の薬指には、赤い跡が残っていたから。

 その場所で存在を主張するものに、太刀打ちできるものはない。

 だからこそ終わりも近いと感じていた。

 コーヒーに砂糖を入れなくなったのはそんな時だった。

 初めてコーヒーを飲む時、砂糖とミルクをたっぷり入れないと飲めなかった。

 今ではもうずいぶんと舌はコーヒーの酸味と苦味に慣れててきて砂糖の量は少しずつ減っていった。

 最近では、舌の好みも変わったのか甘すぎるのもダメになって。

 だけど彼の前ではいつまでも可愛いフリをしていたくて、コーヒーには必ず角砂糖をふたつとミルクをたっぷり入れるのだ。

 それで彼が呆れたような、愛しいものを見るような目で「相変わらず、甘いのが好きなんだね」と言ってくれるのを、私は密かに待っていたのだ。


 だけど、それも今日で終わりだ。

 私は砂糖なしでもコーヒーを飲めるようになったし、彼はコーヒーにひたすら砂糖を入れる必要も、理由も、義理さえ無くなったのだから。

 だから、あとは私次第。

 私がシュガーレスになるだけでいいのだ。

 名残惜しむようにカップに口付けてから気付く。

 中身はすでに空になっていた。



 『シュガーレスにキス』-終-






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 ここまでお読みいただきありがとうございます。

 次回作ができましたらお知らせします。


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