十三話 それぞれの執愛(2)
「この、阿呆め」
苦しみに冒されていながらも、聞き間違う事のない愛しい声に、私の目がカッと大きく開いた。
私を斬ろうとしていた刃が、私の眼前でカタカタと震えながら止まっている。その刀にハッとしてから、いばなを見ると顔から禍々しさが消えていた。
「いばな!」
元に戻った彼に歓喜するが。いばなは少し弱々しく口角を上げただけで、すぐに苦しげな呼吸を繰り返し、苦悶に表情を歪ませた。
そしてその顔に禍々しさが半分戻り、「馬鹿な」と道満が驚きの声を零す。
「貴様はもう壊れていたはずだぞ」
「・・亡霊と言えど、てめぇは人間だ。人間が、俺の魂を乗っ取れる訳がないだろう。大うつけめ」
道満の声といばなの声、二つの声がいばなの一つの口から飛び出した。
元に戻ったと思ったけれど、完全に元に戻った訳じゃないのだわ!
今、肉体を取り戻そうといばなが内で道満と戦っている!だから早く内から道満を追い出さないと!
「待ってて、いばな!今私が道満を祓って」
「待て」
私の切羽詰まった声を苦しげな声が制する。
私はその声にピタと止まると、目の前のいばなから柔らかな笑みが零された。
「初めて、一度で、俺の言う事を聞いたな」
この切羽詰まった状況下で、あまりにも素っ頓狂な言葉が目の前からかけられる。
私は思わず「いばな!今はそんな事を」と、声を荒げてしまうが。「言っている場合じゃねぇ」と、いばなが冷静に先を取って言った。
そして苦悶に顔を歪ませたまま「良いか、これからは、黙って聞け」と、ぶっきらぼうに言われる。
その弱々しい懇願に、怒りがすぐに沈静され、私は素直に首肯した。
いばなはその頷きを見てから、「千代」と私の名を力強く呼ぶ。
「此度は俺が先に逝く」
突然告げられた別れの言葉に、私は言葉を失ってしまった。
まさかそんな事を言われるとは、夢にも思っていなかったから。
けれど、閉口する私を前にいばなはどんどん言葉を紡ぎ続けた。
「お前の良さの一つだ。何が起きても着丈で、頑丈な所。それがあるから、何も心配はしてねぇ。後追いもしねぇだろうし、元気なままで天寿を全うすると思う」
「辞めて」
ようやく言葉がボソリと吐き出されると、一気に熱を持った目頭からボロボロと涙が零れ落ちる。
「もう、それ以上言わないで。辞めて」
歪む視界でいばなを見つめながら、剣呑に言葉をぶつけた。
いばなから呆れ混じりに「俺の話を最期まで聞けと言ったはずだ」と吐き出されるが。私はすぐさま「嫌!」と強く食い下がった。
「絶対に嫌!聞かない、私は何も聞かないから!」
「さっきまで一人べらべらと勝手に喋っておいて。それは虫が良すぎるだろう」
「私がそれを最後まで聞いたら、いばなはどうするのよ!そんな恐ろしい事、絶対にさせないわよ!」
「お前は、俺にもう一度目の前で惚れた女を失えって言うのか!?二度とごめんだぞ、そんな事!」
いばなが怒声を張り上げると、突然「うぐっ」と苦しげな呻きが漏れ、いばなの身体から禍々しい九字が大きく浮かび上がった。
そしていばなの顔が禍々しく歪み「私に隙を与えてくれたとしか思えぬわ」と、悍ましい声が発せられる。
「だが、これで邪魔が消えた。今度こそ、二人で静かに来世を誓い合える」
いばなを乗っ取った道満はニタリと口角を上げると、止まっていた刀をゆっくりと掲げた。
「また来世で逢おう、紫苑よ」
刀が風を切る音がした・・そうかと思えば、ドシュッと肉を抉り抜く嫌な音が弾ける。
そして私の顔にピシャッピシャッと温かい液体が飛んできた。
閉じる事を忘れてしまった眼が目の前の全てを映してしまい、私は絶句する。
私を斬るはずだった刀がいばなの胸を貫いていた事に、いばなの身体からボタボタッと血が吹き出し、私といばなの近辺でまだらに並んでいる事に。
弱々しい手つきで刀を奥まで押し込み、ゆっくりと引き抜いて投げ捨てるいばなに。
私を柔らかな笑みで見下ろすいばなに。
直ぐさま脳がこれは悪い夢だ、と強く言い聞かせてくれるが。涙がピタリと止まり、鮮明となった双眸のせいで、それが容赦なく潰されてしまう。
茫然自失となる私の前で、いばなの口からゴフッと血が溢れ、そして驚きが零された。
「完璧に支配していたと言うのに、何故・・」
「驚く事でも、ねぇ、よ。お前の魂より、俺の想いが、強かった、だけの、話だ・・」
ふらりふらりとたたらを踏んでいたいばなの足が、大地をグッと力強く踏みしめた。
そして「五百年に渡る因縁の蹴りを付ける時が来たな!」と、喀血しながら叫ぶ。
「蘆屋道満、俺と共に地獄へ逝こうじゃねぇか!」
「・・誰が貴様なんぞと、逝くものか!」
道満が初めて声を荒げ、印を結ぼうとするが。内のいばなが強く拮抗し、印を結ぼうとしている手を阻んだ。
「貴様、いい加減にしろ!」
「これ以上、てめぇの好きにさせるか!」
ギチギチと拮抗していた手が急に鋭く向きを変え、胸を抉る刀傷にドスッと突っ込む。
「いばなっ!!」
悲鳴をあげ、彼の名を叫んだ刹那。貫いた手がシュッと引き戻り、私の目に歪な風穴を見せつける。
「・・い、いばな」
呆然としながら彼の名を呼ぶと、目の前の顔が柔らかく蕩けた。
「千代」
いばなは「私の名」を囁く。
そしてブツリと糸が切れた、彼を支えていた糸が。
私達を結んでいた糸が。
切れた。
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