十四話 われても末に

「いばなぁぁぁぁぁぁっ!」


 自分の口から出たとは思えぬ程の絶叫が発せられる。


 そして今の今までガチガチに固まっていた身体がバッと動いた。


「嗚呼、嘘よ、嘘よ!!いばな、いばな、いばなっ!」


 半狂乱のまま彼の元に駆け寄り、彼の顔を見つめながら何度も彼を揺さぶる。


 すると突然、ぶわっと彼の身体から黒い霧が溢れ出した。


「これは其方の自業自得ぞ」


 黒い霧から憎い敵の声がすると、その霧は徐々に人の形を取り、見た事もない人間の容姿に変わって行く。


 誰かなんて考える間でも無かった。


 この男こそ、私達の憎い仇。蘆屋道満だ。


 道満はいばなを見下ろしてから、私を冷めた目で射抜く。


「其方が私に想いを返さなかったから、こうなったのだからの」


 どこまでも自分勝手で、どこまでも浅はかな言葉に、私はギリリッと音が鳴る程強く歯ぎしりし、「道満!」と声高に叫んだ。


 だが、その次の瞬間。道満の身体にぶわっと大きな五芒星が二つ現れ、道満の身体を覆う様にビタンと重なった。


 道満は身体の自由を奪われ、うぐううっと呻き声をあげながら暴れるが。その五芒星はびくともしなかった。


 私は突如現れた五芒星に唖然とし、困惑してしまう。


 何故なら、この五芒星の持ち主は私ではなく、私以上の強い霊力を持った人の物だからだ。


「これは・・誰の五芒星セーマンなの?・・」


 困惑しながら独りごちると、「貴女が手を下す必要はないですよ」と、耳馴染みのある艶やかな声が後ろからかかる。


 私はその声にハッとして見ると、開かれた引き戸の闇夜から天影様がスッと現れた。


「これは私から始まった因縁なのですから・・全く、私は愚かでした。他ならぬ私自身が終わらせなくてはいけないものだったと言うのに・・」


 天影様は独りごちながら、こちらに進んで来る。


 私はそんな天影様に釘付けになってしまったが。後ろから突然上げられた素っ頓狂な声のせいで視線がパッと逸らされてしまう。


「ま、まさか、まさかお前か!お前なのか、!」


 くるりとひっくり返りながらも、驚きや恐れがしかと込められた声に、私は「えっ?!」と愕然とする。


 だが、天影様はそれらに一切反応せず、「晴明、か。随分と久しい響きだよ」と物憂げに独りごちた。

 そして私の横で止まってから、「やぁ、道満」と自身に戦く彼と対峙する。


「随分と久しいね。いや、幾度も見かけはしたけれども。こうして面と向き合うのはあの時以来、だからね」


 飄々とした問いかけに、道満は「ば、馬鹿な。馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な!」と喚き散らした。強い戦慄と衝撃が走った身体をガタガタと大きく震わせながら。


「俺はあの時、確かにお前を殺した!殺したはずだ!それなのに、何故!何故、お前もこの世を生きているのだ!」


「君と同じだよ、道満。私も禁忌に手を染めたから、こうなっているのだよ」


 天影様のサラリとした告白に、道満は初めて静かに困惑した。「俺と同じ?」とボソリと呟き、彼の言葉を噛み砕こうとしているが。まるで理解出来ないらしく、その困惑が強まっていく。


 すると私の横から「あぁ。厳密に言えば、君と同じとは言えないかな」と、フフッと蠱惑的な笑みが零された。


「私の術は、泰山府君の術と言ってね。君の術の上位互換と言うものかな。ほら、その証として・・魂だけの形だけではなく、私は己の肉体も完璧に手に出来ているのだよ」


 天影様は朗らかに言うが。すぐにスッと顔に影が落ち「こうなるまで、色々と苦労したよ。流石の私でもね」と物憂げに自らの胸に、ドクンドクンと鼓動を打つ心臓の上に手を当てる。


「やはり生と言うのは、誰も立ち入る事が出来ない神秘の領域だからね。難しかったよ、こうなるにも、こうなる前も・・」


 耳奥にしかと残る様な最後の言葉に、道満は「分かっていたのか?」と尋ねた。


「お、俺に殺されると言う事を」


 底が見えない沼を前にした時の様な漠然とした恐怖に塗れた問いかけ。


 天影様はその問いに、微笑を浮かべた。


 まるで菩薩の様な柔らかな微笑み、けれど、ひとたび見れば己を見失ってしまうかの様な残酷な微笑。


 そして・・問いの答えとしても、充分明らかなものだった。


 五芒星に囚われた道満は、彼をまっすぐ見つめながら同じ言葉を弱々しく呟く。


「馬鹿な」と。


 天影様は「君が嘆く事はないよ、道満」と、諭す様に声をかけた。


「嘆く立場にあるのは、私の方さ。全てを分かっていながらも、それを防ぐ事も止める事も・・何も出来なかったのだからね。我ながら救いようがない程に愚鈍で、愚図だと思うとも」


 フッと弱々しい自嘲を零し、チラと倒れたいばなを一瞥する。


「だから此度こそは、君よりも迅速に動くとするよ」

 それに、こんな煮え湯は二度と飲みたくないからね。と、いばなから目を道満にスッと移して細めた。


 今まで静かに五芒星の中で囚われていた道満が、その目に射抜かれて、再び激しく暴れ出す。


「よ、よせ!辞めろ!辞めるんだ、晴明!」


「この戦乱の世を生き抜く為にはね、よせと言われてもやり遂げる非情な心を持っていないといけないのだよ。道満」


 にべもなく淡々と答えると、ガタガタと震える様に暴れる道満は「お、俺達は平安の人間じゃないか」と悲痛な声で訴えだした。


「そ、それに俺はお前の友でないか?な?そうだろう?思い出せ、俺はお前の良き友であったはずだ。互いの力を競い合いながらも、互いに認めていたじゃないか」


 命の危機を切に感じ取ったのか、道満は天影様もとい晴明様に諂い始める。


 幾度も「良き友であった」と主張し、口角を緩やかにあげて阿っている様に、私は閉口してしまった。


 ここまでなりふり構わず己ばかりを大切にする人間の姿は、それほどまでに醜い・・。


 散々己の都合で命を弄び、他を好き勝手に蹂躙していたと言うのに。己の命に死がかかりそうになった瞬間、こんな風に全てを水に流そうとするなんて。


 どこまで自分勝手な男なの・・?


 並々ならぬ怒りやら憎悪やらが綯い交ぜになる心中が、彼を見る目を凍てつかせていく。


 けれど、天影様は違った。

 依然として変わらぬ笑みを浮かべて「そうだね」と、朗らかに言う。


 その言葉に、道満は顔を輝かせ「そうだろう?!」と声高に答えた。


「だからこんな事をするべきではない!俺はお前の友」

、ね。今は君と私の間には、何もないよ」


 意気揚々とし始めた言葉をバッサリと冷淡に遮られると、「え?」と可笑しな形に顔が歪む。


 天影様はクスリと笑ってから「当たり前だろう?」と、哀れみながら言葉を継ぐ。


「今の私は晴明ではなく、鬼の天影だからね。蘆屋道満なんて言う人間と友情を咲かせた事は一度もないよ」


「・・だ、だが」


「君は過去に囚われ過ぎだ」


 天影様は辿々しい言葉をピシャリと打ち落とし、「あの時から変わらないものなんて、何一つないよ」と、淡々と告げる。


「時が滔々と流れる、とはそう言う事だからね。逆流する事もないし、止まる事もない。サラリサラリと流れていく。だからね、道満。君もいい加減、前を向いて歩むべきだ・・いや、君も変わる時が来たんだよ」


 天影様はスッと顔の前で刀印を結んだ。


 道満はヒッと息を飲み、「よせ!辞めろ!」と吠えながら憎悪を孕んだ目で天影様を射抜く。

 

 そして最後の足掻きとして、雄叫びを上げながら五芒星の中で抗い始めた・・が。


「君がに勝てる訳がないだろう?私の方が数段上だよ、今もまだね」


 天影様はフッと笑みを零すだけで、暴れ狂う道満をあしらった。


「蘆屋道満。過去に囚われし、哀れな亡霊よ。徒に他人を嬲り、利己的な理由で数多の命を殺めたお前には、さぞや重い罪が下されよう」


 まるで謳う様に告げると、五芒星がかーっと眩く光り始める。それと同時に、五芒星に覆われている道満が「うがあああっ!」と酷く苦しみ出した。


 そして天影様がスッとその印相を斬る。


「さようならだ、かつて友であった者よ」


 どこか哀しげに言い終えると、バシュッと五芒星が消えてしまった。


 星が消え去った衝撃波がぶわりと生まれ、天影様の髪をふわりとたなびかせる。


 天影様は乱れた髪を払いながら、「さて」と唖然とする私の方を振り向いた。


「次は貴女方ですね」


 天影様はフフと微笑むと、私と対面する様にいばなの傍らに膝を突く。


 私は近づく端正な顔を見つめながら「あの」と、弱々しく声をかけた。

 すると天影様は「ご安心を」と、ふわりと温かな笑みを浮かべる。


「五百年越しに重なった滝川の水がまた岩に裂かれてしまうなんて事、この私がさせません。まだまだ共に時を流れてもらわねば」


 天影様は私を優しく宥める様に言ってから、サッと袖の中から見た事もない札を引き抜き、淡々と唱えた。


玄武召喚急急如律令げんぶしょうかんきゅうきゅうにょりつりょう


 玄武と言う伝説の四神の名に愕然としていると、ぼふんと煙を立てて艶やかな女性が現れる。肩と胸が大きく開いた黒衣の服を纏っているが、その佇まいは美しい女神の様だった。


「玄武、只今参上仕りましてございまする」


 現れた女性は鈴を転がす様な声で名乗る。


 こ、この女性が・・四神の一角を担う、玄武様・・なの?


 目の前に突如現れた女性に困惑の様な、嘘か真か疑る様な、言葉に言いがたい感情を抱いてしまうが。平然としていないのは、私だけだった。


「悪いのだけれど、もう一度あれを頼むよ。玄武」

「承知致しました」


 玄武様は艶然と首肯すると。ふんわりと広がった袖の衣が、しゅるしゅると腕に巻き付く黒い大蛇に変わり始めた。


 突然現れる大蛇に私は戦いてしまうけれど。大蛇は平然といばなの顔の前までうねうねと進み、口元に到達するとガパッと大きく口を開けた。

 そしていばなの口に向かって、ビチャビチャッと黒い血を吐き出す。そればかりか、吐き出された血が、全ていばなの口の中にどろりどろりと勝手に入り込んで行った。


 異様で異常な光景に目を剥き、「あの!」と声を上げしまうが。天影様が「大丈夫です」と私を優しく宥める。


「玄武の血には癒しの力がありましてね。玄武の血を飲むと、どんな状態からでもたちどころに元に戻るのですよ。妖怪相手であれば、その効果はすぐ現れましょう」


 天影様は柔らかく微笑んで言った。


 私は天影様の言葉に困惑しながらも、いばなの身体に目を落とすと。胸にぽっかりと空いた不自然な風穴が、ぼこぼことひとりでに塞がっていく。


 驚き固まって、瞬きを一つした時には、もうすでにその穴は綺麗にがちりと塞がっていた。


 ・・傷どころか、傷跡すらもないわ。


 私は恐る恐る風穴があった場所に手を伸ばし、そっと触れた。


 私の指先がいばなの胸板にとんとぶつかり、ゆっくりと降りる手の平が私に伝える。


 ドクン、ドクンと力強く打つ、いばなの鼓動を。


 私はその音にハッとし、いばなの方に顔を向けた。


 刹那、私の視線と彼の視線がピタリと重なり合う。


「・・い、いばな」


「変な手つきで触ってくれるな、妙な気分になるだろうが」


 はぁとため息混じりに吐き出される、その言葉に。いつものぶっきらぼうな声に。


 私の言葉に反応してくれる、目の前の愛おしい人に。


 一気に視界がぶわっと滲み、歓喜が込み上げた。


「いばなっ!」


「うおっ!」


 ガバッといばなに飛びついた私の耳元で、ドンッと木に頭を打ちつける鈍い音と、「いっ」と言う短めの呻きが聞こえたが。私はそんな事を気にも止めずに、ただぎゅううっと愛しいいばなを抱きしめた。


 すると私の背に腕が回され、ギュッと強く優しい力が私を内に閉じ込める。


 その力が言葉に出来ぬ程に嬉しくて、この温かさが言葉に出来ぬ程幸せで。


 私は彼の肩に顔を深く埋め、彼を抱きしめる力を更に強めた。


 いばなは、そんな私をスルッと横抱きするのと同時に上半身を起こす。


 私は少しでも引き離されるものかと首に強くしがみつき、「いばな」と彼の名を呼んだ。


「もう、遠くに行かないで。もう、遠くに行こうとしないで」


「・・あぁ、悪かった」


 いばなは私の耳元で囁く様に謝ってから、強く抱きしめ返す。


 私は「本当よ」と剣呑に打ち返すが。身体は彼の内に潜り込む様に寄り添い、口元は柔らかく綻んでいた。


「今度こそ、完璧に重なり合いましたね」


 背後から聞こえる蠱惑的な声で、私はハッと我に帰った。


 す、すっかり二人の世界だったけれど。天影様も玄武様も、目の前にいらっしゃるんだったわ・・!


 羞恥がかーっと沸き立ち、私はいばなからパッと離れようとしたが。いばなに軽く押さえ込まれ、私は彼の腕の中に収められたまま天影様と向き合う形になってしまった。


 天影様は顔色一つ変えず、柔らかな微笑を称えたままだったが。目の前でずっと想いを交し合う私達を見ていた、と言うのは明白だった。


 冷静が更に羞恥を増幅させ、私はいばなの腕の中で激しく身悶える。せめてもの

救いは、玄武様がいつの間にかいらっしゃらなかった事だ。


 けれど、そうであっても内の私の煩悶は止まらない。


 それに比べて、外も内も平然としているいばな。


 何故この凄まじい羞恥に襲われないのか、堂々たる平常心を保っていられるのか。私は不思議で仕方なかった。


 私からそんな風に思われている事にも微塵も気がついていない、いばなは泰然と天影様だけを見据え「天影」と、ゆっくりと彼の名を呼んだ。


「・・その、なんだ・・」

「辞めてくれるかな」


 天影様はいばなの歯切れ悪い言葉を遮って朗らかに言うと、「私は己がすべき事をしただけだからね」と大仰に肩を竦めた。


「君が謝すべき相手は私ではないと思うよ。君は愚かにも一人でさっさと長い眠りにつこうとしたのだから、まずそれを彼女に深く謝るべきだろう」


 柔らかな微笑を称えて告げる天影様。


 いばなは少し目を丸くして固まっていたが。ゆるゆると表情を崩し「そうだな」とぶっきらぼうに答えた。


「じゃあ、お前には無しだ」


「あぁ、そうしてくれるとありがたい。心の底から助かると言うものだよ。如何せん、君に謝されるなんて天変地異の前触れとしか思えないからね」

「・・てめぇは、俺をおちょくらねぇと物が言えねぇのか?」


 いばなの額にピキピキッと血管が浮かび上がるが、天影様は無視して私にスッと視線を移した。


「言い忘れておりましたが。太郎殿の事も心配しないでよろしいですよ。ここに来る前に、私が彼を死から呼び戻しておきましからね。大事ありませんよ」


 サラリと告げられた衝撃的な言葉に、私は「真にございますか?!」と愕然として答える。


 天影様は「えぇ」と朗らかに首肯した。


「私達を殺そうと躍起になっていた者達も鎮めておきました。今は、何事もなかったかの様に日常を送っていますよ。ですから、貴女を捕縛する事もありませんでしょう」


 全てが無事。そう分かった瞬間、私は大きすぎる安堵でいっぱいになる。


 全身の力がドッと抜け、自分の力では身体を支えられなくなってしまったが。いばながギュッと支えてくれた。


「そ、そうですか。良かった、良かった・・親方様、良かった」


 いばなの腕の中にもたれかかりながらボソリと呟き、天影様に頭を下げる。


「色々とかたじけのうございます、天影様」


「私は道満に歪められた物を元ある形に戻しただけですから、謝される程の事ではありません」


 天影様は謙遜しながら答えると、「此度こそ、平穏無事に終わって良かったです」と感慨深そうに言った。


 そう独り言つ天影様の顔は、とても嬉しそうで・・とても哀しそうだった。


 どんな想いが天影様の心中に広がっているのか、私には全てを読み取る事が出来ないけれど。


 天影様が今まで歩んできた長い道のりを思えば、経験してきた辛酸を思えば、その心に広がっているものが垣間見えた気がした。


 並々ならぬ想いを感じ取った私は「天影様」と声をかけようとしたが。その前に、「いや」と怪訝な声が飛んだ。


「あれは、無事なのか?」


 いばなの不穏な指摘に、平穏無事だと思っていた私はハッとある事に気がつく。


 まだ平穏無事を取り戻せていない人が、目の前に居る事に・・。


「と、徳にぃ様!」


 それから間も無く、天影様のおかげで倒れていた徳にぃ様にも、ようやく平穏無事が訪れたのだった。

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