十三話 それぞれの執愛

「・・そんな」


 私は彼の前で閉口すると、目の前の彼は「どうしたと言うのだ?」と、ニヤリと目を細めた。


「もっと愛らしい目で射抜いてくれても良かろうて」


 いばなの顔なのに、いばなではない禍々しい笑みがクックッと零される。


「・・いばなを返して」


 絶望に陥りながらも、私は己を奮い立たせて彼の内に入った道満に食い下がった。


「そう深く考えずとも良い。今の私は其方の愛する存在、其方は私に愛を注ぐべきであろう?無論、私も其方に深い愛を与えよう」


 ・・何を言っているのか、全く分からないわ。

 愛しい存在、だけど、今の彼は愛しい存在ではないのに。どうして愛を注ぐべきなんて言えるのか、分からない。


 やはりこの人は、狂っている。とんでもない程に。


 呆然とする心の内で、訥々と言葉が並ぶ。色々と気持ちが入り乱れているせいか、並ぶ言葉はどれもこれも端的だった。


 どんどんと内で溜まっていく言葉、けれど外に出るのはただ一つ。


「いばなを返して」


 同じ事を剣呑に繰り返す私に、彼の口から呆れたため息が吐き出された。


「ようやく私が入れるまでに精神を弱らせたのだ、返す訳があるまいよ。私は其方を想い、其方と愛を交す為にこの器を選んだのだぞ。まこと嫌な器であったが、其方と愛を交す為に仕方なく入ったのだ」


 そこの器では駄目だったからな。と、彼は徳にぃ様に冷笑を向ける。


「そこの者は其方を一人の女性として愛しく想っていたし、其方を揺さぶるに丁度良い器であった。上手く行けば想い合えると思ったが、やはりこの器でないと駄目であった様だ」


 かくんと首を傾げながら告げると、りぃんりぃんといばなの鈴が鳴った。


 私の中でブチッと何かが弾ける。


「・・ち、千代。私は、私は」


「分かっております」


 羞恥に苛まれた声を力強く遮って答えてから、私は目の前の彼を睨めつけた。


 もう私の中に絶望に打ちひしがれる「私」は、どこにも居ない。


 徳にぃ様の想いを踏みにじられ、いばなを弄ばれ、ようやく絶望と言う棘から解放されたのだ。


「徳にぃ様のせいではなく、貴方だから駄目だったのです。人の想いを踏みにじり、人の想いを貶す貴方だから駄目だったのですよ」


「・・今、何と?」


「貴方がいばなに入ろうが、他の誰に入ろうが、私が貴方自身を愛すなぞ絶対にあり得ませぬ。そう申し上げました」


 毅然として告げると、目の前の顔がぐにゃりと絶望に歪む。


「聞き間違いかの?今、其方は、私とは想い合わない。そう申したのか?」


「驚く事は何もないでしょうに。私の大切な者を貶し、踏みにじり、弄ぶ存在なぞ誰が好きになりましょうか」


 ふんと鼻を鳴らして告げると、突然彼がぶるぶると震えだした。


「私は、私はこれほどまでに其方を想っているのに!どうして其方は、此度も私に想いを返してくれぬのだ!どうして私ではなく、こんな奴に懸想をするのだ!どうして私だけを踏みにじるのだ!」


 悲痛な顔で痛切な声で訴えだす道満。


 私はそんな彼を凍てついた目で射抜きながら「貴方はまるで駄々をこねる童の様」と冷淡に告げる。


「振り向いて、振り向いてと喚くだけ。貴方は正面から想い人を振り向かせようとする事もなく、周りを無理やり刮いで、想い人を強引に孤立させようとしているだけ。それで想いを返して欲しいなんて、図々しいにも程がある」


 冷徹に唾棄すると、目の前の彼が「なんて事を言うのだ!」と絶叫した。


「私の想いを無下にするばかりか、この私を侮蔑するのか!」


 私の言葉が想像以上に彼の理性を抉り、内に秘める狂気を全開にさせる。


 けれど、私はそれに怯む事もましてや臆す事もなかった。


「その痛み、その怒り、元を辿れば全て貴方が蒔いた種。こちらを責めるのは筋違いと言うもの」

 いえ、初めから貴方は筋違いでしたが。と、肩を竦めて冷笑を零す。


 その笑みに、目の前の彼は「よくも、よくも」と怒りに震えだしたが。突然スッと冷静になり、ピタリと震えを止めた。


 その恐ろしいまでの切り替えの速さに、私は並々ならぬ不気味さを覚える。

 警戒心を一気に高め、彼の一挙手一投足を見逃さない様に目を大きく開いた。


 そして大きく見開いた双眸が、彼の不気味な笑みを鮮明に映してしまう。


「・・良い、良い」


 ゾクゾクッと総毛立つ様な声が発せられ、道満はトンといばなの胸を指先で軽く叩いた。


「今の其方は、此奴に毒されておるだけだからの」


 トントンといばなの胸を叩く道満に、不穏がぶわりと波を打つ。


 私はグッと拳を作って沸き立つ恐怖と不穏を押さえ込み、「・・いばなの身体を弄ばないで」と剣呑に言った。


「私にとって毒なのは貴方。だからいい加減、いばなを返して」


「ふむ、やはり此奴に毒されすぎておるわ。この私が直々に其方の目を覚まさせてやろう」


 道満はいばなの顔でフッと笑うと、バキバキと指の骨を鳴らした。


「いばな童子に殺されれば、目も覚め、その恋心も泡沫に消えるであろうよ。そして其方は理解する、いばな童子と結ばれる事はあり得ないのだと」


 ずっと蠢動していた最悪が目の前にぬるりと顕現し、ゆらりゆらりと私の方に歩み寄ってくる。


「千代に手を出すな!」


 徳にぃ様が声を張り上げ、シャッと刀を引き抜き、止めにかかるが。道満は「其方に用はないぞ」と底冷えした声で告げてから、徳にぃ様を吹っ飛ばした。


「徳にぃ様!」


 私が悲痛な声で叫ぶと同時に、徳にぃ様はドンッと強く壁に背を打ちつけ、その場で伸びてしまう。


 そして視線をパッと前に戻すと、いばなの身体を乗っ取った道満の手には徳にぃ様から奪った刀が握られていた。


「これで邪魔者はおらぬ」


 道満はフフと蠱惑的に告げると、私にわざと刀を見せつける様に構える。


「紫苑よ、私に想いを返すならば生かしてやろう。だが、返さぬと言うのならば今世はこれで終いだ。来世でまた想い合おうぞ」

 案ずるな、私は何度でも其方を見つけ出してみせよう。と、道満は口元を柔らかく綻ばせて刃を私の喉元に突きつけた。


 ・・今のいばなは、


 そう分かっているけれど。いばなに殺されかけ、死を目の当たりにするのはこれで三度目ね。


 でも、それを目にする度に、いばなが助けてくれた。


 本気で殺す気でいて、本気で殺されると思った所から、私達は始まった。そんな私達の終わりが、始まりと似た様な形だなんて実に私達らしい。


「何を笑っておるのだ?」


 怪訝に問いかけられる言葉で、私はようやく自分の口元が緩んでいる事に気がついた。


 私はフフと笑みを零してから「先に見つけるのは、貴方じゃないわ」と囁く様に告げる。


 そして見据えた、


「私達は何度も引き裂かれる運命かもしれないけれど、必ず出逢って恋に落ちる運命にもある。だからいばな、来世でまた逢いましょう。私はこの糸をたぐり寄せて貴方を探すから、貴方も私を探して。そして出逢ったら、またそこから、共にこの糸を紡ぎましょうね」


 何の後悔もない。と言う様に、ニコリと彼に笑顔を見せる。


「・・残念だ」


 嘆かわしいと言わんばかりの顔で吐き出される憐憫に、私は「残念な事は何もないわ」と満面の笑みで堂々と言い返す。


「また新たな形で、いばなと出逢える楽しみでいっぱいよ。だから早く、この身にその刃を貫いて欲しいわ」


 胸を躍らせながら答えると、目の前の顔に影が落ちた。


「・・これ以上、哀れで愚かな其方を見ていられぬ」


 道満は底冷えした声で冷淡に告げると、ゆっくりと刀を掲げる。ぽっかりと空いた天井から射し込む仄かな月光を受けて、キラリとその刀身が光った。


 私は大きく手を広げて、その刃を正面から堂々と待ち受ける。


 私はいばなを愛している、それはもう言葉にし尽くせぬ程に。


 だから結ばれる為の足がけとなるならば、喜んでこの命を終わらせる。悔いも未練も何もないわ。


 私はフフッといばなに向かって微笑んだ。


「いばな、三度目の私はどんな人柄になるか分からないけれど。私の愛は永遠に変わらないから、私の愛を忘れないでいて。約束よ」


 言い切ると同時に、鋭い切っ先が振り下ろされる。


 私はゆっくりと目を閉じた。


 その時だった。


「・・いい加減。一方的に、物を言うのはよせ」

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