十二話 それぞれの真

「私が、紫苑の生まれ変わり?」


 ボソリと独り言つ様に零すと、道満は満面の笑みで「そうとも」と強く頷く。


「同じ魂が故に同じ顔、同じ声、同じ霊力を持っているのだよ。これで別人と言えようか?否、言えやしないとも」


 ・・私が、紫苑の生まれ変わりだった。


 艶然と告げられた言葉に、私は呆然としてしまう。


 けれど上からストンと落ちて、空いた穴にピタリと填まる欠片の様に「嗚呼、やはり」と、冷静に受け止める自分もいた。

 そんな自分が居る事に、また「やはり」と思う。


 本当は始めから気がついていたのだ。姿は見えずとも、常に誰かの渦中にいる紫苑とは自分の前身の事ではないかと。


 しかしそれを今の今までうやむやにし、遠ざけていたのだと。


 私は唇をキュッと一文字に結んだ。


 いばなや天影様、百鬼軍の面々と紡いだ絆は、前身である紫苑の延長だったのだろうか・・。


 私の前身が紫苑であったから、今の私がこうなれたのだろうか・・。


 嫌な想いがぐるぐると渦巻き、後ろ向きな考えばかりが並ぶ。


 そんな事は無いと強く否定したいのに、声を上げる自分が後ろにドンドンと引きずられてしまい、抗う声が小さくなっていく。


 もう、私一人では、この想いを止められなかった。


 私、一人・・では。


「道満よ。生まれ変わりだから同じ女だと見る方が、愚鈍極まりないぞ」


 ズバッと唾棄する様な言葉に、私の全てがハッとさせられる。


「この女のどこをどう見れば紫苑と見る事が出来るのか、教えて欲しいものだな。紫苑は、こんなにも強情で勝ち気で喧嘩っ早くて男勝りで」


 突然流暢に流れ出した私への誹りに、思わず「いばな!」と怒声を張り上げて彼の言葉を遮る。


 いばなは親指だけを私に向けて「紫苑はこんな風に食ってかからねぇぞ!」と、反省の色を一切見せずに声を張り上げた。そして何事もなかったかの様に「良いか、道満」と、しかつめらしく言葉を継ぐ。


「この女は紫苑でも誰でもない、千代と言う別の女だ。何度も真っ向からぶつかった末に惚れた、大切な女だ」


 何度も真っ向からぶつかった末に惚れた、大切な女だ・・。


 頭の中で、何度もその言葉が反芻する。


 大きく、温かく、苦悶してのたうっていた私をふわりと優しく包み込んだ。


 その温かさにじわりと目から喜びが込み上げ、ポロリポロリと静かに頬を伝う。


 震える唇で「いばな」と愛おしい彼の名を呼ぶと、いばなは肩越しにチラと一瞥してから道満と対峙した。


「てめぇと言う害悪には邪魔をさせやしねぇ。、だ」


 物々しく言葉をぶつけ、「来いよ、亡霊」と拳を掲げて挑発する。


「今ここで、てめぇの下らねぇ筋書きを・・いや、平安から続く因縁をぶっ壊してやる」


 いばなの研ぎ澄まされた妖気が、バリバリッと青い雷となって空気中に迸った。


 威嚇にしてはあまりにも強大で、外の妖怪達が泡を食い逃げる声がこちらにまで聞こえる。


 守られる様にして彼の後ろに立つ私でも、今のいばなの妖気には萎縮してしまう。


 けれど、一人だけは違った。


 まるで場の空気が読めていない痴鈍の様に、道満は呵々大笑とする。


 その笑いは、狂気でしかなかった。いばなの妖気とはまた違った恐怖が、いばなの妖気を乗っ取りながら広がっていく。


「やはり貴様は救いようがない阿呆ぞ、いばな童子!筋書きを壊すも何も、とうに貴様は私の手の平の上!今更壊そうと足掻いた所で遅いわ!」


 ハハハッと手を広げて叫ぶと同時に、彼の影から真っ黒の異形の手がニュッと幾本も伸びた。


 闇から伸びる手は、いばなをこちらに引きずり込まんと素早く襲いかかる。


 いばなはバッと飛び退いたが、その手はにゅるんと蛇の様にうねり、再び襲いかかった。


 私はその闇に向かって五芒星を描き、「清浄!」と声を張り上げた。

 聖なる白の輝きを纏った五芒星が、闇の中に大きく現れ、伸びる無数の手がボロボロと光の中で消えていく。


「相変わらず其方の霊力は凄まじく、そして美しいの」


 道満が目をやや見開きながら、私に賞賛を送った。


 私は貰っても何一つ嬉しくない心からの賞賛を無視し、目の前にストンと降り立ったいばなを慮る。


「いばな、大丈夫?」

「無論だ」


 いばなは唾棄する様に答えてから体勢を整えた。


「悪いが、千代。俺を阻む雑魚共を頼む。俺はその間に奴を殺すから」


 奴を殺すと言う残忍且つ真剣な言葉に、私は「駄目!」と噛みつく。


「身体は徳にぃ様なのよ!徳にぃ様は操られているだけなの、絶対に傷つけないで!!」


「側の事なぞ知るか!内に宿る奴を引きずり出すには、心の臓を止めるしかないのだぞ!」


「そんなの嘘よ!絶対、他に方法があるはずだわ!」


 悲痛な声で食い下がると、「これは禁忌の呪での」と蠱惑的な声が口を挟んできた。


「私が外に出ぬ限り、この者は自我を取り戻す事はない。しかし肉体のない私は得られた肉体を容易に捨てようとは思わぬからな。私がこの肉体を不要とするまでは永遠にこのまま。故に、いばな童子の言う通り。肉体の自我を取り戻させたければ、私にこの身体を不要と思わせねばならぬ」


 道満は鼻高々に術の破り方を明かすが、「それにしても」と少々顔を曇らせる。


「おかしいの。何故、貴様がこの呪を破る方法を知っておる?」


「てめぇに教える義理はないが。博識の青狸が横に居るおかげだろうな」


 道満の投げかけに、ぶっきらぼうに答えたいばな。(相変わらずの蔑称に「またそんな呼び名を・・」と、私は渋面を作ってしまう)


 道満は「青狸?」と怪訝な顔をして呟いてから、「まぁ良い」と尊大に言った。


「では、その博識の青狸とやらはこの話も知っているかの?」


「・・何の話だ?」


 含み笑いで投げかけられる疑問に、いばなは警戒を剥き出しにして答える。


 道満はその声にくっくっと喉を鳴らしてから「あの夜の事」と囁く様に言った。


「貴様を封印した後の紫苑の事よ。いばな童子よ、貴様は紫苑の最期を知っておらぬだろう?」


「・・天然痘にかかって死んだのだろ」


 苦々しく打ち返すいばなの言葉で、前身の死を知ると言う、何とも不思議な感覚に私は陥ったが。


 道満は「ハッ?!」と嘲笑を飛ばし、「天然痘?!」と大仰に驚いた。


「博識の青狸とやらは、まこと博識か?私から言わせれば、その者は博識ではない!げに見事に見ぬ京の物語を語る者ぞ!」


「・・何だと?」


「いやはや、恐ろしい話ではないか!世を震わせる程の赤鬼が二枚舌を持つ狸に化かされるとは・・クックッ、げに滑稽!」


 いばなだけではなく、天影様の事まで侮蔑し始める道満。


 大切な二人を目の前で嘲罵され、私はムッと嫌悪と怒りを露わにして道満を睨めつけた。勿論、いばなも「おい」と滾る苛立ちをぶつける。


「回りくどく言ってねぇで、端的に話しやがれ」


 けんもほろろにぶつけるが、道満の笑みは崩れる事はなかった。


 それどころか「では、端的に教えてやろうぞ」と上から目線の物言いで答え、益々邪悪と化した笑みを見せつける。


「いばな童子、紫苑は天然痘にかかって死んだのではない」


「・・何だと?」


 今まで信じていた話に初めて大きくヒビが入った。それを生まれた動揺が大きく枝を広げていく。


 道満はぐらりぐらりと揺らぐ彼を煽る様に「誓って嘘ではないぞ」と、呆れた顔を見せた。


「知っているであろう?あの時、私は。つまりと言う事よ」


 ニヤリと口角を上げて告げると、意地悪く細められた目が私にゆっくりと向く。


「其方の一度目の死はあまりにも悲しく、哀しく、そしてあまりにも愚かであった」


 私は「・・愚か?」と、キュッと眉根を寄せた。


「そう、其方は愚かであった。あれを愚かと言わずして何と言うのか・・」


 道満は顎に手を添えながら、遠い過去を眺める様に遠い目で答えた。


 するといばなが「何度も言わすな!」と、怒髪天を衝く。


「ぐちゃぐちゃ言わず、さっさと言え!」


 荒々しい怒りがぶつけられるが。道満は「真実をそう易々と明かしてしまうのは、味気がないであろう?」と、いばなの怒りをひらりと躱した。


 そして掴みかかろうと伸びるいばなの手が、自身の胸元に達する直前で「紫苑が亡くなったのは、貴様を封印した直後だ!」とわざと声を張り上げる。


 伸びていた手がピタリと虚空に留まり、いばなの中に刻まれたヒビがバキバキと嫌な音を立てた。


「貴様を封印した紫苑はその後すぐに、懐刀を手にし、封印された貴様の前で自刃したのだ!」


 あまりにも衝撃的であまりにも凄惨な真実に、私は絶句してしまう。


 どんな思いで、彼女が自刃したのか。どうして彼女が自刃と言う道を選んだのか。


 それが分からないいばなでも、それを読めない私でもなかった。


 


 だから彼女は、いばなの前で自刃する道を選び、進んだ。紫苑の中では、抱かされた憎しみよりも、抱き続けた愛の方が大きかったのだ。


 筆舌に尽くしがたい苦痛が容赦なく襲う。


 でも、その時の紫苑の心はこんな痛みでは済まなかったはずだわ・・。


 私はズキズキと痛む胸元に拳をギュッと強く押し当て、襲ってくる苦痛を奥歯できつく噛みしめる。


 憎悪と愛が入り乱れる苦しさ、もう二度と愛する者に逢えない辛さ、今世では結ばれる事がなくなったと絶望する悲しさ。


 紫苑、貴女の痛みは想像を絶するものだわ。


 同時にそれらを全て抱えなくてはいけなかった貴女を思うと、本当に胸が張り裂けてしまいそうになる。


 ・・けれど、ごめんなさい。今は貴女を想っている場合ではないの。

 貴女の想い《いたみ》も、今の私には足枷となってしまう。


 ただ、怒りだけを抱かせて。その怒りを貴女の道を歪ませた邪悪を祓う為に使わせて。


 そして前身である貴女の無念を後身である私が、いばなと共に必ず晴らすから。


 私は目の前に居る憎い仇をキッと強く睨めつけた。


「絶対に貴方を許さないわ、蘆屋道満!親方様の敵、そして紫苑の敵。必ず私が討ってやる!」


「怒る顔もげに愛らしいの」


 とんちんかんな事を口にされ、煮えたぎる怒りが更に高温になり、バァンッと激昂しそうになるが。「しかし」と続く言葉が、私の怒りを少々制する。


「其方一人ではどうする事も出来まいよ」


「私は独りじゃないわ!」


「立ち向かう姿は二つでも、今の其方は一人と変わりあるまい」


 道満は意地の悪い笑みを見せつけてから、いばなを指差した。


 嫌な予感に急き立てられ、バッといばなの前に躍り出ると。いばなの目は虚ろになり、口からはぶつぶつと弱々しい言葉が並べられていた。


 蚊の鳴く様な声が紡ぐ言葉はどれもこれも悔恨に塗れていて、奥底に眠っていた紫苑への想いが次々と表に溢れ出す。


「だからあの時・・俺の身体に・・紫苑、お前が・・」


「いばな、いばな!しっかりして!」


 目の前で切羽詰まった声を張り上げ、いばなの身体を揺さぶったが。いばなは依然として遠い過去に囚われたままだった。


 いつもなら私の声にすぐ反応してくれるのに、目の前で泣きそうになっていたら必ず助けてくれるのに・・。


「いばな!しっかりして、お願い!お願いだから、元に戻って!いばな、いばな!」


 どんどんと彼の名を呼ぶ声が悲痛になっていく。


 それでもいばなは遠い昔から戻らなかった。


 紫苑が隣にいる今のいばなには、先に居る私の声は届かない。


 遠すぎる・・。


 嗚呼、分かっていたはずなのに。いばなもずっと紫苑を愛していた事なんて。最期まで苦しみ、悲しみ、酷薄な運命を嘆いたのは紫苑だけではなかった事なんて。


 分かっていたはずなのに、分かっていたはずなのに・・!


 私の胸がズキンズキンと今までにない程痛み始め、「う、あ」と苦しみもがく声が吐き出される。


 それでも、いばなには何も届かなかった。


「・・いばな、お願い。戻って来て、私の声を聞いて」


 段々と視界が歪み、震える声も掠れてくる。彼を揺する力も、徐々に弱々しくなってしまう。


「嘆かわしいの、嘆かわしいの。其方はそこに居ると言うのに、愚か者は其方をちいとも見ておらぬ。嘆かわしいの、嘆かわしいの」


 朗らかな声が茶々を入れてきた。


 私はその声にバッと振り向き、生まれて初めての激情を孕んだ目でしたり顔をする仇を睨めつける。


「もうこれ以上、貴方の好きにはさせない!私が貴方を倒す!」


 涙を振りまきながら力強く宣誓し、五芒星を描くと共に「悪しき闇を祓いたまえ!」と声を張り上げる。


六根清浄急急如律令ろっこんせいじょうきゅうきゅうにょりつりょう!!」

剥魂閻浮はっこんえんぶ!」


 私の怒声に道満の声が重なった。


 聞いた事のない呪に眉根を顰めた刹那、五芒星が道満の足下にぶわっと現れ、円筒にそびえ立つ眩い光の中に道満を閉じ込める。


 するとすぐに聖なる白の世界の中で、ドサッと邪悪の影が膝から崩れ落ちた。


 それと同時に、聖なる白の光がゆっくりと消え、中の存在を解放していく。


 ・・何かの呪が重なったから、破られるか、消されるかを予想していたけれど。そうはならなかった。


 私の呪の方が強かったから、と言う事なの?


 予想していた事態が何も起きず、私は怪訝に眉根を寄せた。


 私の力が上回っていたと言う事ならば喜ばしい事だし、これで一件落着と安堵出来るけれど。最期に道満が唱えた呪は聞いた事のない、禍々しい呪だった。


 本当に、こんな呆気ない終わりになるものだろうか・・。


 蠢く不穏を肌で感じながら、倒れて動かなくなった身体をジッと見つめた。


 すると突然いばなの身体がぐらりと前のめりに揺れ、ドサッと地面に突っ伏した。


「いばな?!」


 思わぬ事態に目を剥き、私は慌てていばなの横に膝を突く。


「いばな!どうしたの、いばな!?」


 声を張り上げて揺するが、いばなは返答しなかった。


 さっきは過去に意識が囚われていたからだけれど。今は、その囚われている意識すらない・・!完全に気絶している!


 何故、突然こんな事に?!と、いばなの顔の横で狼狽していると。後ろから「うう」と小さな呻き声が漏れた。


 その声にバッと反応して見ると、微塵も動かなかった身体がゆっくりと起き上がり、頭を抱えながら「なんだ・・一体」と、弱々しい声で独り言つ。


 私はその独り言に、目を大きく見開き、慌ててそちらに駆け寄った。


「徳にぃ様!徳にぃ様なのですね?!」


 戻って来た徳にぃ様に歓喜を浴びせると、徳にぃ様は目を何度も瞬きながら「千代・・?」と私の名を呼ぶ。


「何故お主が?・・いや、ここはお主の家か・・いや、待て。何故、私はお主の家に居るのだ?」


 頭を抱えながら辿々しく混乱を吐き出す徳にぃ様に、私は「覚えていらっしゃらないのですか?」と少々目を丸くして答えた。


 すると徳にぃ様は私の問いかけに狼狽しながら、「その様だ」と胸の内を明かす。


「私の中に大きな空白がある様で、何が何だか・・まるで覚えておらぬし、何も分からぬ。お主をあの鬼から引き止めた後から、今までの事が・・どうも記憶にない」


 私を引き止めた後から今まで頭にない。と、言う事は道満が入ったのは、私と別れた直後。そして出て行ったのは今さっきと言う事になる。


 ・・私が祓ったから徳にぃ様が解放された?


 心の臓を貫かずとも、清浄の呪で邪悪が全て祓いきれたと言う事、よね・・?


 釈然としない現実が、ざわりざわりと嫌な予感をさざめかせる。最悪が蠢動する音が、耳元でぞわぞわと聞こえた。


 ・・まさか、まさかあの呪は!


 私がパッと彼の方を見ると、丁度床に伏せっていた身体がむっくりと起き上がった。


 私はその顔を見た瞬間、「そんな」と絶句する。


「これで、其方と愛を交し合えるの。


 あの禍々しい笑みが、あの悍ましい狂気が、愛しい彼の内側から発せられた。

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