十一話 「かつて」が集う

 煙が徐々に落ち着いていくと、いばなの姿を露わにする。


 月光を背負い、瓦礫の山の上に立つ姿は、まるで鬼神が現れたかの様な神々しさだけれど。そんな神々しさを霞ませる程に、いばなは烈火に身を燃やしていた。


 轟々と猛る青い炎が背後に見え、バチバチッと青い雷が無数に迸る。


 その凄まじい激怒に、私はゴクリと唾を飲み込んだ。


「・・いばな?」


 自分の知らないいばなが現れた気がして、彼を呼ぶ声が震えてしまう。


 すると「おぉおぉ」と、素っ頓狂な笑みが後ろから発せられた。


 私がその声の方をパッと向くと。徳にぃ様の振りをした誰かは、パタパタと顔の前で手を煽ぎながら朗らかに笑っていた。


「相も変わらず粗暴な奴よのぉ」


 突然ドンッと言う音が弾け、びゅおっと私の耳元で風が切る音がした。ゴウッとその突風に煽られ、髪がぶわっと視界に広がる。


 何事かと振り返ろうとしたけれど。そんな事をする間も無く、いばなが目の前に現れていて、徳にぃ様の振りをした誰かに刀を抜き、襲いかかっていた。


 いばなの刀が素早く振り下ろされ、徳にぃ様の脳天に鋭い切っ先が迫る。


 私は「いばな、辞めて!」と、慌てていばなを止めようとしたが。


 いばなの刀は徳にぃ様の脳天を貫く事もなく、身体を斬り裂く事もなかった。それどころか、徳にぃ様に届く事すらなかったのだ。


 突如虚空に現れた、紫色の九字にバチバチッと刃が防がれる。


 私は、そのあり得ない光景に目を見張った。


「・・ドウマン」


 現れた禍々しい九字の名を唖然として呟くと、徳にぃ様の内に居る誰かは「やはり忘れてはおらぬではないか!」と歓喜の声を上げる。


「いつまで経っても、この私を想ってくれている証だ!」


 嬉々として言葉を並べる彼に、いばなは「気色悪い事をぬかすな!」と吠え、グッと刃を押し込んだ。


「いばな童子よ、今は貴様の様な下衆と言葉を交しておらぬ」


「黙れよ、下衆以下」


 凍てつく程の声音で暴言をぶつける。


 すると突如刀を防いでいた九字が鈍く光り、悍ましい形をした紫色の手がぶわっといばなに襲いかかった。


 いばなは直ぐさま飛び退き、大きく距離を取る。

 そしてストンッと私を背に庇う様にして立つと、「よくもコイツの前に現れる事が出来たものだな。道満」と、憎々しげに声をかけた。


 私は「まさか道満って」と、いばなの背に向かって弱々しく声を発する。


「平安の世を生きた大陰陽師で、かの安倍晴明公の好敵手だったと言う、蘆屋道満の事?」


 いばなは肩越しに「そうだ」と苦々しく肯定してから「まぁ」と、すぐに言葉を継いだ。


「晴明の方が幾分も上手だったし、コイツは陰陽師と言うよりも最悪の呪詛師じゅそしだ」


「呪詛師?!」


「あぁ、粘着質で根暗な野郎だからな。人を呪い、人を駄目にする事に関しちゃ晴明よりも少々長けていた」


 いばなが唾棄する様に言うと、前の道満から「紫苑の前で私を貶めるのはよさぬか、いばな童子よ」と笑顔で訂正が入る。


「私は晴明と肩を並べる程の存在、いや、今は晴明以上と言えよう」


 道満は口元を緩く綻ばせながら、とんと手を胸に当てて言った。


「肉体は死しても、魂は死さず、こうして現世に留まれる。これはあの晴明でも出来ぬ事であったのだが、見事私は成し遂げてみせた。どうだ、紫苑。これで私が日の本一の陰陽師であると分かったであろう?」


 道満は鼻高に告げると、いばなの後ろに守られている私をしかと見据える。恐ろしいと感じる程の、満面の笑みで。


「いやはや、愛の力は偉大であると言うのは真だな。私が晴明を越える存在となったのも、こうして魂だけとなっても生きる事が出来る様になったも、全て其方のおかげだからのぉ」


「・・私のおかげ?」


 怪訝に首を傾げて彼の言葉を繰り返すと。「左様」と、まるで耳元で囁く様に答えられた。遠くに居るはずなのに、彼の恐ろしく冷たい声がすぐ横からうねうねと入り込み、耳の奥まで進んで来る。


「其方と再び逢瀬を重ねて深く愛し合う為だと思えば・・私はどんな苦行にも耐える事が出来、努力を重ね続ける事が出来たのだからな」


 私はゾクゾクッとした恐怖と寒気に襲われた。


 安心出来る人のすぐ後ろにいると言うのに、怖くて堪らない。


 さっきから一方的な愛が重すぎて、恐ろしい。紫苑と言う女性はどうだか分からないけれど、きっと彼女も同じ事を思うだろう。


 彼を前にすると、底なし沼に引きずられそうな感覚に陥るだけで、愛なんて微塵も生まれてこない。


 ただひたすら、


 するとそんな私の恐怖を払う様に、いばなが「いい加減にしろ!」と、ドンッと力強く床を踏み抜き、床の木板をバキバキッと破壊した。


「相も変わらず、気色悪い思考だな!それにさっきから紫苑、紫苑と連呼しやがって!てめぇが紫苑の名を呼ぶんじゃねぇ!」


 猛々しい怒りを道満にぶつける。それなのに、怒りを向けられていない私の胸がズキズキと痛んだ。

 ・・多分、胸元に入った一文字の古傷が痛んでいるのだろう。


 唐突な痛みに顔を小さく歪ませてしまうけれど。そんな私を歯牙にも掛けず、前の会話はぽんぽんと続いていた。


 道満が「随分と醜い嫉妬を見せるものだな、いばな童子よ」と、カラカラと笑いながら言う。


「愛おしい女の名を他の男が呼ぶのは嫌か?」


「てめぇがそう易々と名を呼べる女じゃねぇから言ってんだよ」


「私が易々と名を呼べる女ではない、か。では、貴様の方こそどうだ?いばな童子よ。貴様は、紫苑の名を易々と呼べる男であるのか?」


 全く、馬鹿も休み休み言って欲しいものよ。と、道満はわざとらしく肩を竦ませ、意地悪く目を細める。


「紫苑に封印された哀れな男、それが貴様であろうて」


 ニヤリと意地悪く告げられた真実に、私は愕然としてしまう。


「いばなを封印したのは・・紫苑?」


 ボソリと独りごちる様に驚きを吐露してしまうと、道満が「そうだとも」と強く首肯する。


「其方が其奴をその手で封印したのだ。故に、約五百年と言う長い月日を、其奴は其方の封印の中で眠り続けていたのだぞ。応仁の戦火で封印が焼けなければ、其奴はこの現世に現れる事はなかったであろうな。全く、男よ」


 今の今まで踏み込んで来なかった、否、踏み込めなかった話が次々と明かされていく。思いがけない形で知ってしまった事実に、私は呆然としてしまった。


「・・どうして、紫苑がいばなを?」


「ようやく目が覚めたのであろう。誑かされていただけだ、と」


 道満は朗らかに笑いながら答えたが。目の前のいばなが「よくもそんな事をまことしやかに言えるものだな!」と食ってかかった。


「俺と紫苑をいがみ合わせ、紫苑に俺を殺す様に仕向けたのはお前だろうが!道満!」


 新たな告発に、私は「えっ?」と驚きを発してしまう。


 いばなはその驚きに答える様に「全て、てめぇの最低最悪の思惑だよなぁ?!」と、声を張り上げた。


「お前は自分が紫苑の隣に居座る為に、俺達の仲を引き裂く為に晴明を殺した!晴明は紫苑にとっちゃ命と同等に大切な存在だったからな。そんな奴を俺が殺したと唆せば、人を信じて疑わねぇ紫苑は簡単に自分の元に落ちる。更に殺気立つ紫苑を俺にぶつけさせれば、俺にも紫苑に裏切られたと言う怨念が抱かせる事が出来る!てめぇにとっちゃ、一石二鳥に進む上手い手だったって訳だ!」


 怒髪天を衝きながら語られる過去の全てに、私は「そんな」と絶句してしまう。


 それと同時にハッとして、気がついた。


「まさか、此度も!」


 絶叫する様に声をあげると、「そうだ!」と目の前から力強い肯定が飛ぶ。


「武田を呪詛で殺し、自分の存在をわざと大っぴらにして俺達を誘う。そうしてまんまと釣られた俺達を家臣等と鉢合わせれば、憎しみが生まれる場が誕生だ!そして俺達を討伐する為に家臣共を躍起にさせ、てめぇは千代の元に駆けつけ俺を殺せと唆す!」


 てめぇの姑息な手は昔と変わらねぇなぁ!と、バッと切っ先を突きつける様に刀を掲げ、いばなは煮えくり返る怒りをまっすぐ道満にぶつけた。


 すると道満はわざとらしく口元を綻ばせてから、「姑息な手?」と首を傾げる。


「違う、違うぞ。いばな童子よ、これは姑息ではなく最善の手法と言うもの。如何せん、紫苑をこちらの物に容易く出来るし、歪み合わせれば二度と結ばれようと言う気には・・ならぬであろう?」


 愛は容易く憎悪に変わるからの。と、道満は囁く様に答える。


 一切悪びれず、堂々と言ってのける姿に、私は言葉を失ってしまった。


 あまりにも卑怯で、自分勝手で、惨たらしい策を実行したと言うのに。何故、そうもあっけらかんと出来るのか分からない。

 だからこそ。だからこそ彼は恐ろしくて、悍ましいのだ・・。


 ゴクッと固唾を飲み込むと。道満は「紫苑」といやらしい声音で呼んだ。


「何故、この私をそんな目で見る?全ては其方の為ぞ!私と再び愛を交わせる様に」

「だから気色悪ぃ事を抜かすな!」


 胸に手を当てて熱弁する道満の言葉を遮り、いばながバッと駆け出す。


「平安の亡霊の分際で、今世をぐちゃぐちゃとかき乱すんじゃねぇ!」


 全ての怒りをぶつけんと、いばなはバッと素早く刀を振り下ろしたが。

 道満が何やらぶつぶつと呟いた刹那、いばなの刀が突然木っ端微塵に砕け散った。


 そしてその破片達がふわふわと浮かび、シュッシュッと礫の様に次々と襲いかかる。


 いばなの身に、そして私の身にも。


 広範囲且つ、直射や曲射と言った変化が付いた攻撃。

 身を守る呪を展開させようとしたが、すでに破片の数々は私達の眼前に迫っていた。


 身の危機と言う切羽詰まった焦りが、己の冷静をがぶりと喰らう。

 更に煩雑とした脳内が行動の最善をもたつかせ、最善を行こうとしている私を後手に回らせた・・けれど。


 突然、視界がボッと千草色に染まった。


 思わぬ出来事にぎょっと目を見張ると、大きく開かれた視界が鮮明に「今」を映す。


 なんと私の全身が千草色の火に包まれ、火だるまとなっていた。そして私を包む火が、迫っていた脅威を次々と飲み込み殺して行く。


 余程の高熱なのだろう、飲み込まれた瞬間に飛び込んできた物は全てジュッと跡形もなくなっていた。


 けれど不思議な事に、火に包まれている私はそんな灼熱を一切感じない。感じるのは、ぽかぽかと居心地の良い温かさだけだ。


 これは、この温かい火は、いばなの鬼火だわ!


 いばなが守ってくれている。その事実に気がつくと、こんな時だと言うのに胸に嬉しさやらが込み上げてきてしまった。


 だが・・。


「私の目の前で、よくもそんな真似を」


 道満からおどろおどろしい声が発せられたと思えば、私を包んでいた鬼火がべりべりと剥がされ、彼の手中で消されてしまう。


「まるで自分の物だと言わんばかりだな、いばな童子よ」


「実際そうだからな」


 いばなは淡々と打ち返すと、「理解してねぇのはてめぇだけだ」と吐き捨てる。


「この女が俺の女だと言う事も、紫苑ではない別の女だと言う事もな」


「紫苑ではない別の女、だと?」


 道満はわざといばなの言葉を繰り返して強調し、フッと嘲笑を飛ばした。


「封印されたからか?少し見る間に阿呆に拍車がかかっているぞ、いばな童子よ」


 道満はせせら笑うと、後ろに居る私に向かって蠱惑的な笑みを向ける。


「生まれ変わりを別の女だと申すとは、愚かにも程がある。のう、そうは思わぬか?」

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