第2章 トリスタン編

2.1 発端 

 “紙の地球”と呼ばれる世界に浮かんだ,イウルフ大陸にて。




 ショイル国の西方,王都セレンは,王宮の大広間。


 ―「皆様,ただいま お時間よろしいでしょうか。 (中略) 

 …このように,君が行っていた悪事は調べあげた! よってこの婚約を破棄させて

もらおう! そして僕は,真実の愛を探す事にした!」―


 夜会で突然,自分の席から立ち上がり,ごちゃごちゃ言い出したのは,この国でただ

一人の王子,クレアだ。彼は水色の瞳と長めな金茶の髪を持つ王太子だが,その口から耳を疑うような宣言を,最初の挨拶だけ樹扶桑語,本題はショイル語で,右隣に座る令嬢に向かって始める。ブリオーの襟もと,別布の中から取り出した,何かの書類の束を

左手でかかげて,大広間を見渡しながら。


 大広間は,2基の囲炉裏いろりを挟んで,白のテーブルクロスを掛けた架台式の長いテーブルが二つ並べられていた。

 この宴会は,テーブルAにクレアと婚約者,王太子の取り巻き達など,未成年者と酒類を飲まない者が座り,テーブルBはそれ以外の貴族達が着席している。昼間は王の玉座が置かれている位置にはメインテーブルがあり,王と王妃,家令長らが座っている。

 メインテーブルとテーブルBから,何事かという視線がテーブルAに集まった。


 クレア王子の後ろに寄り添う方の少女は,―存在していない。




 いきなり断罪され婚約破棄を告げられたのは,王太子の右隣へ座る,ストリング公爵家の長女,ティケであった。

 驚いたひょう子に右手から箸を取り落としたが,すぐに長いブリオーの大きな左袖の中から,扇子せんすを取り出し顔の前に広げる。彼女は,白いコアフに包まれた長く,つややかな

黒髪に ダブルオッドアイ の両目の持ち主であり,王太子と同じ18歳だ。


 動揺に唇と真っ白な指を震わせながらも,口から声を絞り出した。

 「クレア殿下,わたくしの発言をおゆ―」


 「うるさいなぁ! の言葉など聞かぬ,ここから下がれ!」

 テーブルAのフィンガーボウルが全て揺れ,水が飛び散る。大皿が全てずれる。王子が書類を投げるようにばらくと,そのまま左の拳をテーブルへ叩き付けたのだ。


 どう考えても夜会に出席した婚約者への態度でないクレア。叱責されたティケは びくりと肩を揺らし,周囲を見回す。王子の取り巻き達は,椅子から腰を浮かせており,出席している貴族達に加え,囲炉裏の周りにいる調理師達も手を止めて,ティケと

クレアの様子をうかがうばかり。手を差し伸べようとする者は皆無だった。

 それを知ると,ティケはうつむいて唇を噛む。涙をこらえたのだ。やがて顔を上げ,

メインテーブルの方を見て立ち上がる。覚えのない罪を着せられたと訴えるために。


 「王陛下,これは何らかのあ―」 と言いかけたが,こう遮られた。


 「殘念だが,余は既に報告を受けている。ストリング公爵家に追って沙汰があるから,

そなたは王都の屋敷へ戻り,謹慎をせよ。分かってくれるかな?」


 「なっ…,それでは失礼,致しますわ…」


 反駁はんばくせずに,すぐさま長いブリオーの裾をつまんで右足を引くと,左の膝だけを軽く曲げるお辞儀。状況が飲み込めず困惑しているが,そうとは思われにくい,毅然とした姿を保つ。ティケが受けてきた,貴族の令嬢としての教育の結果だ。

 顔を上げ,ダブルオッドアイの瞳に浮べた涙をこぼす事無く,出ていこうとする。


 足を踏み入れた時は,左にいたクレアがエスコートをしていた,大広間の出入り口扉へと一人近付いた時,メインテーブルからティケの背に視線を向けていた王妃が,無言で自身の右腕を振り上げ,すぐに振り下ろした。


 「無力化せよ!」

 その合図をうけ,まず扉を開けていた騎士の女性がティケを取り押さえる。さらに王太子の取り巻き達が殺到してきた。


 ―息子の婚約破棄に,王妃がまさかの協力。


 殿方どころか同性の相手に対しても身がすくんでしまい,護身術が使えなかった。

 抵抗も逃げ出すのもできないと気が付いた時にはもう,ティケは捕縛されていた。

 そして意識を失っていった。


 公爵家の姫君は,視界が暗転する直前に察した。公爵家や王家よりも上に立つ者が背後にいて,指揮を執っている,と。


 この時ティケの瞳だけに映った,王家や貴族達と服装が異なっている人物の姿― ,

白手袋,深緑ふかみどりのスラックスと長靴ちょうか,カッターシャツと黒のネクタイ。

 その上にチュニックではなく, じょう全軍元帥の階級章と,礼装用の飾緒しょくしょを付けた

夏用のコートを着る老婦人―。


 それは魔王,ウィリアム…。


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 お読みいただきありがとうございます。主人公とメインヒロインどころか,

  トリスタン先輩も登場しないけれど,第2章の第1話でした。

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