2.2 王太子が手のひら返し


 夜会の翌日―


 木造の城の中で唯一,壁が石造りの空間…,王侯貴族用の地下牢。

ティケは前日と同じ服装のまま,一睡もできない夜を過ごした。


 あの夜会で意識を失った後に,姫君が目覚めたのはストリング公爵のタウンハウスの自室のベッドではなく,この牢の硬いベッドの上だ。

 その時は看守と,観察している医師がいたのだが,ティケの意識が回復したのを確認するとすぐに,診察へ移る事なく地下牢を出ていってしまった。地下牢の廊下も無人になった後は,頼りになるはずの魔道具―蛍光灯の投げる光が揺らぐせいか,かえって心細くなる。


 いったい何時間,薄暗い牢の天井を見上げ続けていたのだろう。 ……液化魔素石による薬品を塗布して,不燃性を高めた木材が使われている。中にいる収容者が何らかの方法で火をおこしたとしても,地上に延焼させない事で,城もろとも自害できないようにしてあるのだ。



 これ以上,耐えるのは無理だ。公爵令嬢としての教育を受けてきたが,それで孤独というものを,どうにかできるわけがない。牢の外を見回し,人の気配がないことを確かめてからうつむいて,まるでひとりごちるかのように,ティケは問いかけた。


 「―ねぇ聴こえてる?,わたくしの声が,イヅールト…」

 「…あら,ティケじゃない。…よかった,目が覚めたの…!。ちゃんと聴こえてるよ,

呼びかけても起きないし,答えないから,わたし,もぅ心配で…」

 「イヅー,ありがとう。でもどうしよう……」


 精霊が見える人間であっても,空に向かって話し続けているティケを見れば,正気しょうきを失っていると疑うだろう。精霊の姿がどこにも見当たらないのだから…。


 公爵家令嬢と,智恵ちえの精霊。

 ティケの魂とイヅールト,両者はティケの身体の中にいる。一人分の体に,二人分の命が入っていた…,(生まれた時から) “二人で一人”なのだ。


 (「わたしもティケも…,ティケのお母さまと公爵閣下に会えなくなるのかしら?」)



 ―婚約破棄,それは不名誉な事。特に王族と貴族か,貴族同士なら―

 ティケは,自分に宿る精霊の事を,大切な親友と考えていた。だからイヅーは,ティケを姉のように慕っており,智恵の精霊の一人として,知識の中から婚約破棄された時の振る舞いを思い出して,話した事があった。

 しかし,イヅーがティケに授けたのは,婚約破棄をする側,つまりクレアの独断であった場合の対応だ。これは王家の側に非があるもので,クレアの父である王か,クレアの母である王妃が,婚約破棄の宣言を途中でやめさせるというシナリオである。

 期待とは逆に,県王の発言は息子から,婚約破棄をするのを事前に知らされていた事をほのめかしていた。そのためイヅーはやむなく引き下がる事にして,ティケへすぐに別のシナリオを伝えようとしたが,それより前に王妃も協力したと悟る。人混みの中にまぎれている老婦人と共に,視界の暗転する直前,姿が見えていたから。


 今になって思い出した事がある。

 「無力化しろ!」,この言葉を最後に,記憶が(二人とも)途切れているが,その時に王太子の取り巻きのうち,宰相の息子だったか―が,ティケに見せていた書状は,首都ヒートポース

司法当局が発行したほん物だったと。

 かざされた時に,魔素を固めて作られる,専用クリアファイルに収められていたから,間違い無い。何らかの形で,公爵家や王家より上に立つ者が関与していると察した。

 ただ,クレアは何のためにティケを切り捨てようとしたのか,そしてどうすれば疑いが晴れるのか,それは分からない。答えが無さそうな問いだから,諦めかけていた。

 長いブリオーの膝に,の涙がこぼれ出す。


 

 さらに1時間ほど経過した頃。ぼんやりと遠くを見つめていた,

……ガタンっ…,腰掛ける少女一人しかいないはずの牢で,物音が響く。

 (「え?」)


 音がした方向へ,視線を向けた。壁近くの床が少し浮き上がると,やがて仮面を装着し,その上に不織布マスクをした少年が顔を出してきた。


 「おっほ,おほ……あぁほこりっぽい通路だ,それにステンレスも重たい―」


 その声は聞き慣れていた,だが聞きたくないような気がした。


 「ク,レア…殿下…?」

 「見つけたよ,ティケとイヅー」


 仮面の中から水色の瞳でティケを見上げ,不織布マスクの中でほほ笑むクレア。


 (「どうして……?,わたくしへ,さらに罪を着せるの……?」)

 「昨日からしばらくの間は,事前に休暇をもらっておいたから大丈夫。僕が単身で

王都を離れても怪しまれにくい。看守が来る前に,二人を迎えに来た。」

 意外な言葉に対し,「そうじゃなくて,なぜ貴方が自らと―」とイヅーが言いかけたのでティケは慌てて,自分の口を両手で押さえる。


 「後で謝るから,連れていくよ。とりあえず,無言のまま歩けそう?」


 何か言おうとするイヅーを頭の中でなだめつつ,ティケは座っていた硬いベッドから立ち上がって戸に近付いた。ティケの手をとったクレアにうながされるまま,地下の通路へ繋がる階段を降りる。クレアはいったん振り向き,先ほど開けたステンレス製の戸の,内観の把手を左手でつかんで閉め,そのまま壁のスイッチを左肘で押した。

 煉瓦レンガの内壁のうち,向かって右に並んだ古い蛍光灯―照明用の魔道具がいっせいに点灯し,おぼろげな光で洞内を照らす。


 王子様が起こしに来た形とはいえ,脱獄する事に抵抗感はあった。見つかれば,よくて再度の投獄。最悪の場合は,拘束されずにその場ですぐ殺されるだろうから。

 そもそも,隠された地下通路の存在をなぜ王太子が知っているのか。

 他にも分からない点ばかりで困惑しながらも,クレアがエスコートのために差し出した右腕に縋り付いて歩き続けるティケ。歩きながら,頭の中でイヅーに聞いてみる。


 (「……あ,ぁの,この状況は何ですの?,わたくし,殿下を頼ってもいいのかな?」)

 (「ごめん,わたしにもよく分かんない。予想外の事が積み重なったから。ティケを投獄したのは自分だって事,王子はもう忘れたんじゃ…?」)

 

 それっきり人とも黙り込んでしまい,ただ足を進める。やがて,クレアがささやいた。

 「もう城の敷地の外へ出たはずだ。すぐ見つからないよう,ティケも顔はここで隠しておこう。それとごめん。ローブ付きフードが用意できなかったから,これあげる」

 ブリオーの別布から新品の不織布マスクを取り出し,ティケの両耳に手を伸ばす。


 クレアは左肩のマントルを外すと,ティケの頭へ自らの手でかぶせた…。

 そのマントルごと自分を抱きしめるようにして,震えだした姫君。青と黒の瞳は,

らえられなくなった不安に揺れる。代わりにイヅーがクレアに対して,

これからどうするのか尋ねる。

 

 この地下道は,県王城の外から地下牢へ人を直接移送するために掘削したトンネルであり,クレアはティケとイヅーを伴い,歩いて逆走していったのだ。

 廃止後も人為的な閉塞が徹底されておらず,現在も歩行可能なのをクレアが知っているのは,城の図書室が収蔵している書物を読んでいる時,その中にある図面を見つけたので,興味本位で探索したから。家令長も県王夫妻も知らないはずだと,明かした。


 「そして,坑口の閉塞壁の隙間から外に出たら,あとは双瑞帝国を目指して行くんだ」


 王都セレンから帝都瑞歯市の間,というよりショイル国と双瑞帝国の国境までも,

かなり距離があるのだが,それは考えがあるはずだと思い,ティケは震え続けながらもこくんとうなずいた。


 (「いやいや,わたしはまだ信用できないんだけど…」)

 「イヅールト,智恵の精霊よ。申し訳ないが,まだ少し耐えてほしい」


 そしてクレアは仮面だけを外し,ティケの両肩を抱き,再び歩きだした。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 「で? …これからどうしたいんだ?,この低能な王子め」

 腕組みをしたピット子爵トリスタンが,頭を抱えるクレア王太子へ問うた。

 

「トリスタンは厳しいな。…確かに僕は,無能を通り越した低能と呼ばれるのは仕方ない。…でも,…どぉしてなんだよぉ~」


 セレン市の双瑞帝国領事館,その客間でクレアは頭を抱えていた。

 かつてのロマヴィアが辺境における軍事拠点のひとつとして築いた都市で調印された事にちなみ,常駐外交使節に関する慣習を成文化して,イウルフ大陸諸国が批准した

『外交関係に関するウィーン条約』の規定のおかげで,ある程度はショイル国の介入を防げる場所だ。


 (「僕だけ当日は操られなかったから,ティケとイヅーを県王城の外に連れ出せた。

 もし前日に,呪いが突然解除されなかったり,あるいは呪いをかけ直されていたら,

 僕は一生……いや,死後も後悔し続けた」)


 婚約者と智恵ちえの精霊,(魂が)二人で一人の少女に対してどう謝罪しようか散々悩んでから,王太子はブリオーの別布に入れていた魔道具…魔素を混ぜた専用の接着剤で,

再生用スピーカージャックと共に固めた,ガーネットのかたまり…小型のボイスレコーダーを取り出した。

 呪いで操られていると気が付いた時に,すぐに用意した物で,ティケに対する自身の暴言の数々,それに対するティケの反応,さらに側近達や両親の反応を録音するべく,

自ら装着していたのだ。


 「思いつきで記録してよかった。…苦しいし,ティケとイヅーは僕よりも苦しんでいるはず……土下座するから,そのついでに再生しようか」

 「そうだね。自分を責め続けるよりは,マシだから」


 ―結局二人への謝罪の言葉を考え出せないまま,王太子は隣の部屋に飛び込む。

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