第48話 マスターベーション

「隊長」

「何でしょうか」

「先程の話なんですが、隊長は違うんですか」


 二人きりになった部屋で、秀の質問はやけに印象深く記憶された。千恵は香草煙草の電源を指で撫でながら、細いまつ毛を揺らす。


「そうですね。私とて、例外ではありませんね」



 千恵の持論について話を聞いていたのだ。警察学校特別通信課程で出題された、論文記述に対する見解を教示してもらっていた時である。

 彼女が秀をプロメテオに載せて試練を与えた時の、あの台詞について話題が向いた。


「色々考えた結果、行き着いた訳ですね。だからあの台詞も、決して八代さんを貶したつもりはありませんよ」

「本当ですか」

「信じて下さい。というより、私はどうなるのです」


 ー己の行為は、自己満足に過ぎないー

 千恵から言わせれば、秀のみならず人間の文化的行動全てが、自己満足と自己哀憫の要素を待っているというのだ。


「そんなものですかね。凄い話ですよ」

「一般的ではありません。でも、実際そうではなくて?」

「はぁ……」

「芸能活動なんて典型的ですね。

 世に出回っていない創造物を出す段階において、創造者は誰でも良い。特定の要素を満たすかどうか、その点が重要なのです。それでも己の作品が世において有益と宣言して披露する。自慰に等しいじゃありませんか」

「いや、まぁ俺には反論できませんけど」

「でもそれでいいのです。第一自己満足なしの利他的な行動が可能な者は、それこそ解脱者だけ。私はそこまで自惚れてはいませんよ」

「げだつしゃ……」

「そうですね。例で言えば仏陀、キリスト」

「あっ、解脱者。あっ、そうですか」

「何より、マスターベーションだからこそ、文化的活動は魅力的な魔力を秘める。これは男の人の方が、よく理解できると思いますけど」

「下品だなぁ」

「俗的といってほしいですね」


 笑いもせずに言われた秀だが、納得できる点はあった。


「この点を自覚するか認識しておかないと、違和感が生じるのです。基盤が全て利他的と信じて行動してもその実、利己的な要素は捨てきれない訳ですから。公への奉仕だけを思考すると宣ってもその実、人からの感謝を欲している。このギャップから目を逸らす様は、私からすれば非常に醜いです」

「はぁ……」

「そして目を逸らした先には、“正義の暴走“がある。傷つく者は、無垢なる善人に相場は決まっています」

「それは、そうですね‥…」

「人からの賞賛や感謝を求める事は、悪じゃない。そう考えなくては、こうした利己的な行動を受け止められません。私達は受け止める必要があるのですから、多少普遍的ではないとしても、こうした考えもあって困らないと考えます」


 目で了解の意を問うた千恵は、秀の返事よりも前に香草煙草の電源を入れる。最早ヤ○中では無いか、と口に出しかけてから止めた。葛藤の中で自己判断する秀の思いも知らず、エメラルドの煙を吐く千恵であった。


「この仕事していると。世の中実に利己的な連中が多いと知る訳です。私達が目を逸らしてきただけ、かもしれませんが」

「俺も知る訳ですものね」

「私の考えは暴論でしょうね。ただ、長年この仕事をしてきた女の、しがない一個人としての見解に過ぎない」

「何でこんな話をするんですか」

「私は大っぴらに正義を認めないからです。私の行動規範は、あくまでも利己的な願望を基盤とする、利他的と表現されたい欲望でしかない」

「警察は正義を語ってはいけない、ですか。でも警察は正義を護るべきでしょう」

「私から言わせれば、正義は理性ではなく感情から導かれる、ただの方針に過ぎないのです。つまり個々人の思考領域に依存する限り、絶対公約数と言える正義など存在しない。そう定義つけるべきと、私は考えます」


 彼女の発言は、警官としては異例であろう。秀が何処かで聞き耳を立てる輩がいるのでは、と辺りを見渡したのも無理は無い。


「でも自分の規範も感情じゃ無いですか」

「そう。だから私なりの正義、とも言えなくはないです。しかし私はその言葉を使って、己を正当化しようとは思わないだけ」

「何故です?そこまでして正義を嫌う必要あります?」

「免罪符として、この上なく上等だからです。正義を軽んじる事を、人は忌み嫌う。しかし正義を軽々しく口にすればするほど、自分を見失い、結果的には他人すら傷つける」

「はい……」

「貴方は、を得てしまいました。経緯や思惑はどうであれ、考える事から逃げるべきではありません」


 エメラルドの煙を目で追う千恵が居る。


「つまりまとめますとね。私達の仕事は突き詰めればオナニーであり、マスターベーションでもあるという事です」

「隊長、下ネタ好きなんですか」

「嫌いではありません。でも生理現象だから、そこまで嫌わなくてもいいのでは?」

「変な人ですよ、隊長」

「だからここにいるのです」


 笑えない。秀は首を縦におって項垂れた。彼の徒労を嘲笑うかのように代わりの煙草を装置に組み込む千恵は、淡々と煙を吐き続ける。


「お嫌いでしたか」

「……嫌だったら、ここにいませんよ」

「結構です。私の思想、少しはご理解頂けたら幸いでした」

「……これ、俺がセクハラって言ったらセクハラになりますよね」

「んー、どうでしょう。際どいライン、でしょうがやりようは簡単でしょうね」


 絶対セクハラだ。やりはしないが、眼前の得体の知らない人物と、長い付き合いになっていくと考えた秀は、表現し難い感情になった。



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GDMーPOLICE 永野邦男 @kirarohan

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