第3話

朝日あさひ、キレイになったよな」

「……ふぇ!?」


 朝日の顔が沸騰する。頭頂部からほんとにピューッとか鳴ってんじゃないかと思うほど。

 俺はその反応を見てはじめて口をついて出てしまった自分の言葉を脳で認識し、青ざめる。


「いやその、アレな!? 昔は顔面に生傷とかめっちゃ作ってたからさ! そういうのなくなったなあ、みたいな!!」

「……あっ、ああ。そういうことね。うんうん、そういうことか〜!」


 慌ててごまかす俺に、朝日も目をぐるぐるさせながら高電圧をかけたおもちゃみたいにブンブンうなずいた。


 ……しくじった。

 今日こいつと共に行動していく中で、随所でそういう感情を抱いてしまったりはしていたのだが……まさかここでポロッとやってしまうとは。不覚。


 俺はあらためて、今後このようなことがないよう、絶対に朝日を女として扱うような発言はしまいと下心に誓った。


「ま、まあ。男の傷は勲章っていうし、別に生傷のひとつやふたつ程度あってもいいとは思うけどな!」


 そう付け足し、俺が朝日のことをあくまで男だと思っているのだと強調する。朝日は「……そ、そっか。なんだ、びっくりした」とつぶやいた。


「……って、だから女の子だって言ってるのに!」


 ふう、なんとか危機回避。


「とりあえず、注文するか」

「あっ、そうだったね」




 ☆☆☆




 サイ……高級イタリアンレストランで会計を済ませて、そのまま目の前の駅へと向かう。


「ごちそさまー」

「あいよ。……そういえばお前、最寄り駅どこなんだ?」


 俺は朝日がうちの近所から引っ越していったきり、どこに転居したのかなどはずっと知らなかった。


「最寄り駅はずっと変わってないよ。住んでるのはれーくんの家とは駅挟んで反対側になったけどね」

「え……じゃあ意外と近いとこだったんだな」

「でも、小学生からしたら別の学校の学区なんてすっごい遠くだよね」

「……それもそうだな」


 実際、引っ越して以来今日まで一度も顔を合わせることすらなかったわけで。


「引越して、転校とかもあってバタバタしてるうちに、めっきり会わなくなっちゃったんだよね、れーくんとは」


 引っ越す、という言葉の示す意味もよくわからず、それが今みたいに遊べなくなってしまうことだと理解しないまま、朝日は俺の前から姿を消したのだった。


「……なんか、思い出したら虚しさが古傷的によみがえってきた」


 引っ越したあとも毎日公園でひとりブランコを漕ぎながら朝日を待ち続け、ある日母親に「朝日くん? 引っ越したんだからいるわけないじゃない」と言われたときの切なさは若干トラウマになっている。てか今思えば母親もこいつのこと男だと勘違いしてたのか。


「えっと、あのときはごめんね。急にいなくなったりして」

「いや、謝ることじゃないよ。もう昔の話だし、家庭の事情だしな」

「そ、そっか。優しいね」


 朝日は肩まで伸びた茶髪を一房つまみ、人差し指にくるくると絡めながら申し訳なさげな表情をする。


「そういえば、いつから女装はじめたんだ? 今そんだけ髪長いってことは、伸ばしはじめたのはけっこう前だろ」

「う、うん。まあ女装じゃないんだけどね」

「あれか? 思春期に外部から何らかの性的衝動を与えられたせいで歪んでしまった的な」

「ち、ちがうよ! 昔はお兄ちゃんのお下がりばっかり着てたから、一緒に床屋さん行くとまとめてスポーツ刈りにされちゃってたんだよ」

「ほーん」


 そういえばこいつ、『NEWYORK 69』とか書いたクタクタの男児Tシャツばっかり着てたな。それが性別を間違えられるようになった元凶だったということか。


「でも、中学入ったあたりからはやっぱりさ……」

「バルクアップに目覚めたということだな」

「ちがくて!」


 否定すると、朝日は恥ずかしげに視線を自分の胸元へ移す。それを示唆している以上、俺もその膨らみを見ていいということなのだと受け取った。


 ……大きい。そんなんでちゃんと足元見えるのだろうかと心配になってしまうほどに。


「えっと……恥ずかしいからそんなに見つめないでほしいかも」

「あっ……すまん」


 俺は視線をサッと明後日の方向へやる。が、それだと朝日の胸を見るのは後ろめたいことだと思っている、つまり朝日を女だと認めてしまうことになると瞬時に気づき、慌てて訂正する。


「じ、じゃなくて、男の胸板見たくらいで何を気にすることがあるんだよ!」

「え〜!? ここまでやっててなんで信じてくれないのっ!?」


 危なかった。こういう非常事態ラッキーが起こるとなると、なかなか前途多難である。

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