第5話

 真っ白な図書館の静けさに、カリカリとペンを走らせる音だけが、水面に滴る水滴のように響いていた。

 のぞみさんは僕に向けて提案をした後、僕の対面にある椅子に座ると、彼女の持つ白い鞄から、数学のワークを取り出した。

 僕の持ってきたチャートとは少し違うが、出版社自体は同一である、4ステップを持参してきたようだ。

 ワークの範囲から、数IIに入りたてなので僕と同じ学年ということが推測できた。

 一応僕も、同じ学校に籍は置いているので、家にはこれはあるのだが、僕のそれはいまだに輪ゴムに留められたままの状態である。

 一応、彼女(僕)が通っている(席がある)高校は進学校なので、それなりにレベルが高い問題集を扱っている。

 そのためか、彼女がペラペラとめくり始めたその問題集の中身は、ところどころ、ページによっては全面に、赤いペンの跡が見てとれた。

 少なくとも数学が得意ではないであろうことはわかった。


 僕は黙々と問題を解いているふりをしながら、チラチラと横目で隣に座る彼女を見ていた。

 筆が止まるとか以前に、全く一歩も歩みを進めていない彼女は下唇を噛みながら、必死に問題を繰り返し何度も見ていた。

 僕は、この問いを解くことができる。

 しかし、そう簡単に教えていいものなのだろうか。

 彼女がもし気高きプライドを持っていたなら、差し伸べた手はすぐにはたき落とされるかもしれない。

 だから僕はどうすればいいのか全く分からない状態だった。

 もっとも、この場合は僕の対人コミュニケーション経験が著しく低いことが原因であろうことは、当の本人である僕が一番理解していたのだが。

 しかし、そんな時間は、彼女の一言ですぐに終わった。

「ねぇ、風斗くん。

 この問題教えてくれない?」

 多分加法定理を使えばいいと思うんだけど……

 と、公共の場所であることを配慮して、小さく呟きながら、僕に問題を見せてきてくれた。

 僕は問題を把握するために、ちょっと待って、と同じような声量で彼女に言ってから文章を読み始めた。

 ……

 ………?

 これのどこが加法定理を使う問題なんだ?

 そもそもこんな問題、定理なんて使わなくても簡単に解けるだろう。

 僕は彼女に解き方を小さな声で教え始める。

「えっと、どう言ったらいいかな。

 この点の座標を(x,y)っておいたら……

 あとはここをこうして……」

「ほ……う……?」

 一応説明したのだが、彼女の表情は納得というよりはポカンとしていて、今いち解き方を掴みかねている様子だった。

 もう一度、細かいところまで、丁寧に、丁寧に教える。

「……つまり、ここをこうしたらいいんだね‼︎」

「違う‼︎」

 即オチ二コマみたいなやり取りをかわすと、僕は彼女に恐る恐る問いかけた。

 あまりに考えがずれているのだから、ちょっと苦手どころじゃない感じがした。

「さ、最近の定期テストの点数、聞いてもいい?」

 彼女は少し嫌そうな顔をしたが、瞬きをする間に元に戻ると口を開く。

「に、二十八点……です」

 二十八点。

 りんごみたいになった頬の色が彼女の感情を示していた。

 可愛い……

 いや、それは置いておいて、十中八九、赤点のその点数は、それなりの進学校である我が校において決して誇れるような点数でないことは確かであろう。

 むしろ恥じるべきものなのかもしれない。

 彼女はうつむき加減で小さく呟いた。

「恥ずかしながら……このテスト、最下位で、このままだと冬休みは間違いなく献上することになるんですよね……」

 なぜか敬語になりながら、彼女は低いトーンのまま喋った。

 冬休みを献上というのはいわゆる補習のことだろう。

 今日は十二月の十四日だから、もうすぐ終業式に入ることは確実だろう。

 となると期末テストの日程は自然と限られてくるのだが……

 もしかして。

「その、期末テストって明日だったりする?」

 彼女はゆっくりと首を縦に振った。

「なんとか赤点は回避させてください!」

 ……

 唐突に会話とは別ベクトルの高難易度ミッションが始まってしまったみたいだ。

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本と君とそれから秘密と 友真也 @tomosinya

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