第三章 春海 其ノ三
たとえ音由に奥の宮を生き抜く
「ねえ、俺が選ぶのなら今、選んでもいいんだろ」
と、音由が
「今、でございますか」
「そこの、あにさまにする」
そう言って、人差し指を春海に向ける。
音由の黒々とした目が鋭利な刃物の切っ先のように、春海を刺していた。それを見て、春海は気付いた。全て
――胡領は人の住む土地ではない。住む者は「胡」であり人ではない。女は皆売女である。音由は男のくせに売女で、毒婦になる。
そう思ったのを全て、音由には見透かされている。
それがわかった瞬間、春海に、恥じる気持ちが生まれた。自分の価値観が今この時に、何故変化したのかもわからぬうちに、猛烈に恥じた。
そして、何をどのように弁明しようと、取り
「九条、お前の言っていることはやっぱり違うじゃないか。あにさまの不機嫌そうな顔を見ろ。子供を産まない男の姫の警護なんて真っ平だって顔してるぞ」
拒絶されて当然だと恥じながらも、弁明したいと思う気持ちを抑えきれなかった。
「
音由は既に春海から目を逸らし、まるで春海の言葉が聞こえていないかのように、九条とだけ話す。
「王宮で長生きした男妃はいないんだろう、俺が死んだら警護長のあにさまはどうなるんだ。晴れて俺の警護から解放されるのか」
「いいえ。音由様が死んだら警護長は音由様の墓守になります」
「墓守? それはいい! おれはやっぱりそのあにさまを今、警護長にする」
春海が呼びかける。
「……音由様」
音由はこちらを見ない。
春海は跪いた。自分に目を向けることは二度とないのかもしれないと思いつつ、自分を見てほしいと願っていた。御前試合も碧亥の専任警護も、中将の地位も将軍への野心も、すべてが消え去っていた。
「音由様専任警護長、有り難く拝命いたします」
裏拳でも、椅子でも卓でも、飛んでくればいいと思った。しかし何の痛みも返されぬまま、それからずいぶんと長いこと、音由はまっすぐに春海を見なかった。
あの時跪いたのは、本能であったと思う。代々が近衛である家に育ち、国王とその一族を守るための教育を受けて育った兵としての本能が、音由を守るべき者と認めたのだと思う。
五年が経ち、炎を背に立つ春海を、音由がまっすぐに見ている。
本能だけでなく、五年の間に起きた出来事を一つ一つ思い返しながら、確信を持って春海は弓を引き絞り、放った。
この日、須原国は滅んだ。
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