第二章 尻の危機、再び 其ノ一

「もしも須原が騰羽に負けるようなことがあったら、都に騰羽の兵が押し寄せてくる前に、他の国に逃げなくちゃ。年季が明けてないけれど逃がしてくれるかしら……」

「敵が都に来る時は、一目散に碧亥の首を取りに行くだろうから、都の外れ辺りまで逃げりゃ、大丈夫だろう」

 そう言った小鉄に、美藤は強く首を振る。

「だめ、相手は騰羽の国だよ」

 美藤は胡領よりもはるか北、国境近くの雪戸山せつとざんふもとにある村の出身である。

「私の村には騰羽から逃げてきた人が沢山いたんだ。騰羽は、国そのものが盗賊みたいな国なんだって」

「国そのものが盗賊みたいな、国?」

「戦争するのに、兵の食料をお城からは全然持っていかないんだって。何でかって言うと、戦場近くの敵の村を襲って、米粒一つ残さずに奪うんだってさ。自分の国の中でも他の国でも」

「米粒一つ残らなかったら、村の奴らはもう他の国に逃げるしかねえなあ」

「逃げられたらいいけどさ。見つかったら、男も女も兵たちに犯された後で皆殺し」

「……男も、女も?」

「そう。男も、女も。王様が代々色狂いだから、兵隊の色事も何だって許されるそうだよ」

「盗賊よりひでえな。盗賊には盗賊のおきてってもんがある……らしいぜ」

 妙な知識をひけらかしそうになった小鉄から、煙管を受け取って咥えながら、美藤が「あ」、と声を出した。

「何だ」

「春になって騰羽の王様が王宮に攻めてきたら、男妃さん、大変だねえ」

「何で」

「だって、今の王様はきれいな男が好きだってので有名だもの。一番最初にとっ捕まるよ、きっと」

 しかし、春になる前に事態は急変した。雪解けを待たずに、騰羽軍が山越えを始めたのである。


 知らせを受けて、鹿央宮の空気は一気に緊迫した

 まだ敵は雪戸山を越えていない。だが戦慣れしていない兵たちは皆、いつ最前線に駆り出されるかと震え、兵部省の不安を表すかのように鹿央宮の警備兵ばかりがやたらに増え、あちらこちらで、がちゃがちゃと具足ぐそくが上手く扱われていない音を立てている。

 本宮では連日連夜、会議が開かれているが、この事態を打開する案は決まらない。誰が軍をひきいて戦うのか、何処どことりでとしてどのように守るのか。同盟国の黒波江に援軍を頼むのか、須原単独で戦える相手なのか、防ぎきれるのか。

 大臣たちは互いにそしり合い、将軍たちに責任を押し付け合う。将軍たちは皆、強気な発言をしながらも、誰一人として自らが戦地へおもむくとは言わない。

 鋳物師からの同盟話を突っぱねた時に威勢の良かった者達も、のらりくらりと、指揮官の任をかわし続けるだけである。

 碧亥も当然、奥の宮に通う暇などない。妃たちも宴や茶会を控え、何をはばかっているのかもわからぬうちに、王宮では誰もがひそひそと小声で話すようになった。

 そのような時の、ある夜。小鉄は音由に呼び出された。

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