第一章 小国の危機 其ノ三

「音由、私の弟になるつもりはないか」

 と、並んで寝ている床の中で聞いたのだ。

 出生や自身の後見がいないことを、内心は不安に思っているかもしれない。だが表向きは桂晶の父が、実質は碧亥自身が後見となるつもりであると説明すれば、安心するだろう。何よりも、今の二人の様子からすれば、控えめながらにも最終的には、

 ――お話、喜んでお受けいたします。

 と、返事をするだろうと踏んでいた。

 ところが、音由はきょとんと碧亥を見つめ返して、

「そんなことできるのですか?」

 と尋ね返した。碧亥は言葉を選び直して伝えた。

「お前には、桔花の婿になり、改めて千治家に入ってほしいと思っているのだ」

 音由はしばらくぱちくりと目をしばたたかせた後、突然飛び起きた。見開かれた目にはみるみる涙の海が溜まり、溢れだす。

「どうした、音由。そんなに驚いたか」

「……碧亥様は、私を、離縁されるとおっしゃるのですか。私は男だけれど、お体を満たしては差し上げられないけれど、碧亥様に一生お仕えしようと覚悟してここへ来たのです。なのに、碧亥様はもう、私が要らないのですか、桔花様にお下げになるというのですか……」

 一気にそう言うと、ぽろぽろと涙をこぼしながらしゃくりあげた。碧亥が慌ててなだめすかしても、朝まで泣きじゃくり続けた。

 この日以来、音由は七の宮から出てこなくなった。以前の桔花のようにただ出てこないだけではなく、侍女によると食事もろくに取らず、泣いてばかりいるという。

 完全な籠城ろうじょうであった。十日経ち、一月が経ち、二月が経って、碧亥と桂晶が折れた。

 二人で音由の宮に出向き、このまま第七妃でいてよいから、泣くのをやめて食事を取れと、言い聞かせたのだ。

 桔花には「音由は病である」と伝えた。そして姫の宮からようやく出てきた繊細な妹が、事の真相を知る前に、他国へ嫁に出すと決めた。

 通常、王族同士の婚姻は政治的な架け橋となるため、あまり関係がうまくいっていない国と結ばれることが多い。しかし桔花の嫁入り先は長年の同盟国である黒波江であった。 

 桂晶と碧亥は、音由を婿にするのを諦め、桔花が他国で産む子を養子として迎えることにしたのだ。

 そのために嫁ぎ先は、第二子は養子にもらう、という条件を事前に了承してくれる、友好国である必要があった。

 万端整い、桔花が黒波江に嫁いだのが半年前のことである。


「百姓の出の音由が次の王の父ってのも、面白かったんじゃないのか」

 と、小鉄が聞くと、ふふふん、と音由は笑った。

 ――食事もろくに取らず泣いてばかりいる。

 というのは、音由が七の宮の侍女全員に徹底してつかせた嘘である。

 最初の新年祭の後、音由のお陰で死罪を免れた侍女たちにより結束力が強くなった七の宮は、音由の楽園でありながらにして要塞と化した。

 籠城中、本人は牙城がじょうである土蔵の中で好きな物を食べ、次から次へとやって来る侍女を抱いては酒を飲み、好きなように過ごしていたのだ。碧亥と桂晶が来た時に、やつれて見えるように化粧したのは九条である。

「確かに俺も面白いと思った。ほんの一瞬だったけれどな。でもよく考えてみろ、『百姓が王の父になった』と聞いた者が、聞いた時だけ面白いと思うのだ。俺自身に面白いことは何一つないじゃないか」

「王の実父が面白くないか」

「面白くないに決まっている。碧亥と桂晶を見てみろ、あいつらに人としての面白さは全くない。おまけにその生涯をかけての仕事は聖人君子面を保ち続けることだ。そんな奴の父親になるのだぞ。俺が王になる訳でもない。まあ、なりたくもないけれど。

 それに桔花の夫としてのこの先何十年に、どれだけ面白いことがあるかと考えても、ちっとも楽しくならなかった。あにさまを恨んで五年も宮から出てこなかった女だぞ、嫉妬深いに決まってる。奥の宮は今、俺に抱かれたい侍女で溢れているというのに、抱いてやるのが難しくなるじゃないか」

 言葉だけを聞くとやはりくずの中の屑なのだが、案外と身の程をわきまえているのかもしれない、とも思った。


 話を戻す。小鉄の肩に頭を寄せながら、美藤は不安げにつぶやいた。

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