第二章 秘密 其ノ三

 翌日、九条は手配する物を聞いて「あまりお時間がございませんね」とすぐに王宮を出て行った。

 小鉄は久しぶりの難しい盗みと、それを戻すという大仕事のせいで妙にった体を引きずり、音由に命じられた買い物を済ませた。それを土蔵に届けてから、しばらく眠りこけていた。

 夜遅く、音由と春海が土蔵にやってくる。音由が小鉄に買ってこさせたのは大量の、人情本であった。

「あにさま、この本全部の、男が女に向かっていう言葉を読んで聞かせてくれ」

 しかし――、

「――おまえとふたりきりですごせるこのときをわたしがどれだけこころまちにしていたことかああもっとちかくでかおをみせてくれ」

 春海の完全な棒読みに、音由も小鉄も頭を抱えた。

「昨日のはわざとじゃなかったのかよ」

「あにさまは……そんな感じで、女と話す?」

「いいえ」

「どんなふうに話す」

「あまり話は致しません」

「同じことを言うとしたら、どんなふうに言う」

「このようなことは言いません」

「全然、全く?」

「全く」

「……じゃあ、都では女を口説くときは一体どうするんだ」

 不満そうに音由が口を尖らせると、春海もまた、わずかに不満げに答えた。

「恐れながら、人情本に書かれている男女のやり取りはおそらく、読んだ者が面白く感じるように、戯作者げさくしゃによって作り上げられたものではないでしょうか。実際の情事でこのようなことを口にする男は、少ないのではないかと」

「そうなのか?」

 と、小鉄を見たが「いや、小鉄は花街の女しか知らない」と言って首を振る。今度は小鉄が不満げに言った。

「音由は百姓娘とどうしてたよ」

「確かにあまりしゃべらなかったな。あっちにどう言った、こっちに何て言ったって、女はうるさくて」

「……あっちに? こっちに?」

 小鉄の問いかけに、音由は当たり前だと言うかのように頷く。ため息をつく小鉄に見向きもせず、春海は持論を展開する。

「この場面で、この二人は既に体を密着させています。であれば、何を言ってもよいのでは」

「何を言ってもよい?」

「はい」

「……小鉄」

「おう」

「あにさまの首に腕を巻いて」

「はあ?」

「体をくっつけろ」

「ああ?」

「早く。でないとなぶり殺しにする」

「……」

 小鉄と春海が、互いに嫌な顔をしながら密着した。

「小鉄が女だとして、あにさま、こうなっていれば何を言ってもいいのか、本当に」

「ええ。例えば――」

 春海は目線を周囲に走らせてから、小鉄の耳元で何かをささやいた。すると小鉄は一瞬たじろぐ。春海が再び囁くと。

「くっ……――……よせっ」

 と小鉄が飛びのいた。

「あにさま、何て言ったの!」

「『黒蜜くろみつ羊羹ようかんを』と」

「はあ?」

「そちらに山と積まれているのが目に入りましたので。二回目は、『お前と共に黒蜜羊羹を食べるのが楽しみだ』と言いました」

「なんで小鉄はのぼせてるんだ」

「やられてみろ」

「ん?」

「お前が春海に囁かれてみろ!」

「黒蜜羊羹と?」

 数十秒後、音由も小鉄と同じように飛びのいてから崩れ落ちる。春海はいつもの仮面顔で言った。

「いくつかの条件さえ揃えば、誰がやっても同じ結果になるかと思います」

 音由がその条件を完全に身につけるのに、新年祭の宴、直前までかかった。


 宴の前日。

 七の宮の侍女が全員ひっそりと、土蔵の中に集められた。死罪を目前に、皆一様にやつれている。

 この日は、音由はやさしく語りかけるように話した。

「皆、今日までよく、私が与えた物を身に着け続けてくれた。このような辛いことを命じたのには訳がある。それらを身に着けよと命じる、この音由こそが罪人であると示そうと思ったのだ。皆には罪はなく、死罪を宣告されてもなお、七の宮では音由に従わざるを得ないのだと。

 だが、これまでのところ、『罪は音由にあり』とするお達しは出ていない。このまま皆を、死罪になどしてたまるものか。私は明日、内親王様に直訴する」

 碧亥や桂晶ですら会わぬ桔花にいかにして直訴するのか。侍女たちは顔を見合わせた。

「私は決して皆を見殺しになどしない。だが、私一人ではどうにもならないことがある。『罪は音由にあり、死罪になるべきは音由である』と直訴するために、どうか皆の力を貸してはもらえまいか」

 絶世の美少年が淡く悲しげに微笑み、穏やかな口調で自分たちのために自らが死罪になると言う。

「音由様お一人を罪人になどいたしませぬ。私も、ご一緒に参ります」

 高瀬がそう言うと、他の者も次々とうなずいた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る