第二章 お宮入り道中 其の四


 数日後、大通りの両側には分厚い人垣ができ、通り沿いや近くの建物の二階、屋根の上も見物人が陣取っていた。

 須原国王、千治碧亥せんじあおいには、正妃の桂晶けいしょうの他に側室妃が五人いる。側室妃が嫁入りする際は、婚礼の儀が行われない分、奥の宮に入るまでの行列が派手になる。

 通常は、奥の宮入りする姫を乗せた牛車を先頭に、嫁入り道具や祝いの品を運ぶ輿こしや荷車が続くのだが、男姫の場合はこれが逆になり、姫の乗る牛車は最後尾である。

 この日の先頭は、朱塗りの輿に乗せられた金銀の山であった。大きな水晶の塊が続き、真珠や瑪瑙めのうがはめ込まれた調度品、絹の反物たんものかごに入れられた色鮮やかな異国の鳥――貴族や豪族、豪商ごうしょうから妃への祝いの品が列を成してやってくる。

 妃にゆかりのあるなしは関係なく、見栄みえが光輝く品となり、このような財宝に生涯触れることのない人々は、目を見張り感嘆の声を上げ、やがてはため息をついた。

 だが、人々は本当に待っているのは最後尾の、男姫を乗せた牛車である。

 大通りは鹿央宮最大の門、大手門へと真っ直ぐ続き、奥の宮門は大手門の隣に並ぶ位置にある。

 奥の宮門は鹿央宮の門の中で最も小さい。しきたりとして、中に入る者は、牛車はもちろん、輿や籠、馬からも降りて、徒歩で門をくぐることとなっている。

 よって、奥の宮入りする姫は、御簾みすで隠されていた牛車から降りて、わずかな距離ではあるが人々の前を自分の足で歩くこととなる。傘と垂れ絹で顔は隠されているため、はっきり見ることはできないが、この際の歩く姿だけが、市井いちいの人々にとって、姫の人となりを判断する材料となった。

 当然ながら、人垣が最も厚いのは、大手門からわずかに先の奥の宮門の前までである。

 しかし、この日の見物人に祝賀的な雰囲気はない。男姫を笑い者にしようとする野次馬の馬鹿騒ぎである。美藤に見せられた絵のように、垂れ絹の中の顔をあばいてやろうと、風を送る大うちわを持った者もいる。

 祝いの品を載せた輿や車が、粛々しゅくしゅくと大手門に吸い込まれていく中、

「来たぞおっ!」

 と、声が上がった。

 伸び上がって遠くを見ようとする人垣の中を、「ごめんよ、ちょいとごめんよ」と言いながらするするりと前へ抜けていく者が一人。小鉄である。

 浮かれた人々の中にまぎれても、なぜか砂をむような心地で、小鉄は遠くから大通りの真ん中をやってくる牛車に目を向けた。

 渇き、飢え、暑さと痛み。散々小鉄を苦しめた歩みの遅さ。春海の乗る馬がゆったりと並んで隣を進むのも、苦々しい記憶のままだった。

 のろさに苛立っていると、小鉄には再びの疑問が湧き上がる。

 ――なぜ、俺を買った。なぜ、俺に金を与えて、放った。

 夜の庭に浮かび上がった、今にも消え入りそうなか細い少年の、震える声を思い出す。

 ――お前の命は俺のものだ。お前の体も、声も、意思も、俺のものだ。俺が死ねと命じて命尽きるまで俺に従え。

 音由のめいを何一つ聞かなかった自分は、疑問の答えを知ることはないのだろう。

 目を凝らしても、御簾の中をうかがい知ることはできない。穴が開くほどに見つめている車が、目前に差し掛かったその時。

 不意に、牛が歩みを止めた。牛を引いていた兵が何やら慌てている。それを見て春海が馬から下りて車に近寄り、中いるであろう男姫と何やら話をしている。春海は無表情の中に驚きとけわしさをにじませ、やがて、それと気付かれぬような細く浅いため息をついた。そして、御簾を、上げた。

 人々がどよめき、小鉄の目が皿になる。

 奥の宮門はまだずっと先であるにもかかわらず、大通りの中心で、音由が車から降りたのだ。春海が揃えた黒塗りの高下駄に足を入れ、すっと、立ち上がる。

 光沢のある黒絹の男服に身を包み、その上から、女物の羽織をまとっている。羽織も黒地だが、こちらには鮮やかな緑に輝く鳥の羽が舞い落ちる様が刺繍されている。袖には手を通さず、肩からなびかせるように引っ掛けてあり、細身の体が大きく見える。髪は女結いに近いが、左側からさらりと、つややかな髪が肩に流れ落ちている。傘は被らず、顔を隠さず、瞳には、小鉄が夜の庭と暗いあかりの部屋で見た輝きと揺らぎを共に宿し、真っ直ぐに、鹿央宮かおうきゅうの本宮を見据みすえていた。

 人々が、小鉄が、予想していた嘲笑を浴びるための姿とは、全く別のものだった。

 一歩、また一歩と、人々にその姿を見せつけるかのようにゆっくりと、だが颯爽さっそうと、音由は歩き始める。誰にもびず、ただ、真っ直ぐに。

 時が止まったかのように静まり返った人々の目は、音由に釘付けである。

 奥の宮門前で、男姫を間近で笑い者にしようと待ち構えていた人々のすぐ目の前まで来ても、誰も、声を出すどころか身動き一つできずにいる。

 春海を側に従え、ついに奥の宮へと通じる門前まで音由は人々を沈黙させたまま、歩き切った。

 ぎい、と音を立てて門扉もんぴが開く。

 音由はそこで、一度足を止め、そして振り返った。

 人々ではなく、広々とした大通りの、空の彼方の一点をじっと見つめている。つられて目線を追うと、一羽の大きな鳥が、羽ばたかずして風に乗り、遠ざかっていく。

 ややして、長いまつげを伏せながらゆっくりと世界に背を向けて、音由は奥の宮へと消えていった。

 門扉が閉じられたその瞬間、我に返った人々が大歓声を上げた。


 鹿目京かのめきょうは狂乱騒ぎとなった。

 黒絹の服、黒塗りの高下駄が飛ぶように売れ、緑の羽の刺繍はその日には間に合わずとも、代わりに黒と緑の組み合わせの小物類が売れに売れ、結った髪の左側を垂らすのが流行り、男も女も、遊び人や遊女だけでなく、堅気かたぎの職人、商人や町娘もみんなが真似た。

 絶世の美少年音由は、一夜にして都中の大人気となり、その噂はすぐに国中に広まっていった。

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