第三章 土蔵会議 其ノ一

 音由のお宮入りから一月半後の、とある昼過ぎ。

 小鉄は奥の宮門の、通用口の扉を叩いた。出て来た衛兵に、音由の使いだと伝えると、春海が迎えに来た。縄を引いていた時はちらりとも小鉄を見ようとしなかったが、ここでは小鉄の姿を認めると何か言いたげに数秒、小鉄を見ていた。

「……中にいる方々の姿を直視してはならぬ。私の背中だけを見て追ってこい」

 そう言われ、後をついて奥の宮の中に入ったが、春海の背中だけを見ているのは不可能だった。

 小鉄の知らない世界が開けていたからである。

 磨き上げられた鏡のような池は、高くなった空の青さと、周囲に植えられた木々の緑を映している。近くを歩いた際にのぞき込むと、その水は限りなく透き通って誘うように輝く。

 池の幅が狭められた場所には、石造りの太鼓橋たいこばしが架けられ、奥には黒い瓦屋根の東屋あずまやが客を待っている。

 遠目に見えた、長いすそそでを揺らめかせて歩く侍女の行列は、色とりどりの花が穏やかな風に流れて行くようだった。

 池の向こう、塀で囲まれた敷地の中央に大きな真白い御殿がある。正妃せいひ桂晶けいしょうが住まう、一の宮である。


 その隣には内親王ないしんのう桔花きっかひめが住む姫の宮。反対側には亡き先王の妃たちが住まう東院殿とういんでん。池を囲むようにして、ぽつりぽつりと建っている小ぶりな御殿は十棟あり、そのうちの五つが側室妃の住まいとして使われている。

 奥の宮の建物は全て、壁だけでなく屋根の隙間までがしろ漆喰しっくいで塗られており、昼過ぎの明るい日差しの中では目が痛むほどにまぶしい。

 奥の宮全体の明るさと西側の高い白壁に対し、東側は黒みの強い石垣、その上には漆黒の鹿央かおう本宮ほんぐうが山のようにそびえ立つ。

 奥の宮はまるで、険しい山のふもとの小さな空の下に、人の手により美しいものだけを集めて造られた、仙境せんきょうであった。

 玉砂利たまじゃりを踏みしめる自分の足音はどうもこの場にふさわしくないと思いながら、小鉄は春海の背中を追う。

 西側の御殿の一つが、七の宮として音由にあてがわれていた。小鉄はその側に建っている土蔵に案内された。鍵を開けた春海に

「中で待っていろ」

 と言われ、分厚く重い扉の向こうに足を踏み入れると、春海は扉を閉じ、外から鍵をかけた。

 土蔵の中に積み上げられた大小のつづらや木箱を見て、小鉄は「お宝の山の中に盗賊をぶち込んでどうする気だ」とつぶやく。

 保存用にあつらえられた箱を見ただけで、一人として生きてはいない兄貴分たちが見たら、大騒ぎするであろう品々ばかりだとわかる。全て、音由のお宮入りの際に、貴族や豪商から贈られた品々だった。

 一番手前の小さな木箱の蓋を開けてみると、珊瑚さんご翡翠ひすいの見事な花細工が咲き乱れる、大ぶりの髪飾りが入っていた。手にとって眺めてはみたが、また箱の中に戻し、小鉄は奥のぽっかりと広く開いた床板の上にごろりと横になった。

 外でのさばる残暑を忘れてしまう程に、しんとした空気が心地よかった。天井近くの小窓から差し込む日差しは遠慮がちで、薄暗さが小鉄を包んでいる。

 ――要するに、場違いな俺はこの中に隠れることができて、ほっとしているのか。

 そう気付くと妙におかしくなったが、そのまましばらくの間、小鉄は昼寝を楽しんだ。


 ぺちり、と額を叩かれて目を開けると、薄暗さが夜闇になっていた。

 黒々とした音由の瞳が、小鉄を不思議なものでも見るかのようにのぞき込んでいる。小さな燭台しょくだいを手にして、行列の時のような派手なものではないが、ゆるめに合わせた男物の着物の上から、はやり女物の着物を羽織っていた。

「お前、何故来たのだ」

 首をかしげながらたずねる音由に、やれやれと体を起こしてあくびと伸びをしながら答える。

「お前が来いと言ったのだろうが」

「言いはしたけれど、まさか本当に来ると思わなかった。何故逃げなかった」

「逃げたら、あのおっかねえあにさんが俺をなぶり殺しに来る」

「春海あにさまは俺の護衛だ、お前を殺しになんか行く訳ないだろう」

「そんなことはわかってるさ」

「おかしな奴だなあ。どうしようもない阿呆あほうだ」

 音由はあきれかえって、お宮入り行列の時とは別人のような表情を浮かべた。

 小鉄も、自分で自分を阿呆だと思う。

「お前の言うとおり、女を買い続けて二月、金はきれいに使いきったぞ」

「へえ、そうか」

 音由は小鉄の側に座り込んだ。二月前の夜の庭での表情とも、女を買えと言った時とも、やはり別人のように見える。

 小鉄と一つしか変わらぬ、ただの十七歳の少年がいた。

 表情や雰囲気がころころと変わるのは、小鉄が様々な職や土地の者に化けるのとは違って、どれも音由本人なのだと思う。相手によって、場所によって、音由は自分の中の違った表情をごく自然に使い分けているのだろう。

「それで、合計何人の女を買った」

「ざっと五十人」

 音由のお宮入り行列を見た後、小鉄は都を出て、音由に放たれた町へ戻った。近隣の花街を転々とし、再び都に戻り、合計すると都の外で一月半、都で半月、音由に言われた通りの日数を女を買いながら過ごし、奥の宮を訪ねたのだった。

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