第二章 お宮入り道中 其ノ二

御髪おぐしをよく、お手入れされましたな。もともとお綺麗きれいでしたが……ふむ。肌が少し。あまり眠れませんか」

「牛車も知らない床も、疲れる」

「この茶を、お召し上がり下さいまし。肌艶はだつやによい黄沙羅きさらの実を混ぜてあります。残り道中はご一緒いたしますので、この化粧師けわいしにお任せを」

 九条が持参した茶壷から茶葉をすくいだし、丁寧にいれるのを眺めながら音由がたずねた。

「ねえ、今のお宮に、他に男姫はいるのか」

「いいえ。音由様の前は、もう二十年も昔になります。先の陛下の御世みよでした」

「その姫は、どうなった」

「あまり、良い話じゃございません」

「いいよ、話して」

「お宮に入って二月ふたつきで亡くなりました」

「病気? 自殺? それとも殺された?」

「その全部、と言ってよいでしょう。病にして尚いじめ抜かれ、王陛下にお目通りすることも叶わず、自ら命を絶ちましたそうで。殺されたようなものでしょうな」

 出された茶碗を節の目立つ細い指でつかみ上げ、作法は知らぬとばかりにこっくんと、音由は喉仏のどぼとけを上下させる。

「ふうん。お宮に入ったら俺、竿さおは切り落とされて、女になるって本当?」

「ご自身のことは『私』、とお話しなさいませ。切り落とされるという決まりはありません。陛下のお心次第です」

「碧亥はどうするだろう。切り落とされるのはいやだなあ。ねえ小鉄」

 不意に名を呼ばれ、小鉄は目だけを音由に向けた。

「耳を切り落とされて、痛かった?」

「……へえ」

「今も痛い?」

「…………へえ」

「九条、見てあげて」

「耳を切り落としたのですか? どれ」

 九条がこちらを向いたので、小鉄は髪を持ち上げて顔の左側を向けた。近寄って傷口を見た九条がたずねる。

「切ったのは春海殿かえ?」

「はい」

 ひかえていた春海が答えた。

「道理で。やさしい傷跡だ。ためらいなくまっすぐに一息。治りも早いはずだよ。後で軟膏薬をあげよう」

 小鉄は未だにひどく痛む傷にやさしさも何もあったものかと思うが、九条は小さくんでいる。

「役人の得物えものが手入れされておりませんでしたので。お買い上げになってすぐに死んでしまってはと」

 春海の抑揚よくようない主張に、音由がくくく、と笑う。

「さて。音由様、良い紅が入りましたのでお試し下さいまし」

 九条は道具入れから細い筆と、手のひらに収まるほどの小さな丸い器を取り出した。皺枯しわかれた細い手で蓋を回し外し、玉虫色に輝く器の内側を確かめる。

「小鉄、こちらへおいで」

 自分より若い音由に、子供のように呼ばれたのに戸惑いながらも、小鉄はひざを進めて前へ出た。

早速さっそくだけれど、使いに出てくれ」

「出ておくれ」

 筆を動かしながら、九条は音由の言い回しを直す。器の中の玉虫色に、濡れた筆をそっとつけると、鮮やかな紅色が現れた。

「出て、おくれ。花街でできる限りたくさんの女を買うんだ」

「買っておいで」

「女を買っておいで……何だか妙な言葉だなあ」

 言葉ではなく、「使い」の内容が妙なのだ。

「高すぎるのは駄目だが安いのも駄目だ。ねえ、九条」

「はい」

 九条は紅を溶きながら答える。

「手頃なのって、いくらくらい」

「格によります。高すぎず安すぎず、の他に条件はございますか」

「客を取り始めて二年以内。器量きりょう良し。朝までの丸一晩」

「一晩、へい金貨三枚から五枚ほど出せば、小鉄の竿も病気になりにくいやもしれませぬ」

「ふうん、じゃあ、これだけ渡しておけば十分だね」

 そう言って音由は丙金貨よりも大きなおつ金貨十枚のかたまりを三つ、小鉄の前に並べた。赤銅一味の盗み働きで、一晩でこれほどの金額を手に入れたことはない。田舎町であれば四人家族が五年は暮らせる金額である。

「小鉄、俺たちは半月ほどで都に着くけれど、お前は一月半かけて都へ来い。街々で毎夜女を買いながら、一人一人の顔つき、声色、しぐさ、話すこと、床での様子を全部覚えろ。更に半月を都の花街で過ごせ。今から二月で金を使い切ったら奥の宮へ来るんだ」

 九条が口を挟む。

「奥の宮へおいで」

「……奥の宮へおいで」

「……」

 豪遊ごうゆうしてこいという「使い」の意図いとがわからず、小鉄は黙っているしかなかった。 

「あにさま」

 音由にうながされて、春海が小さな木札を小鉄の前に置いた。

「それを奥の宮の入口で見せたら中に入れる。九条の使い、ということに」

 木札を手に取り、足りない明かりの中で目を凝らすと、みっちりと小さな文字が書かれ、朱印が押されていた。

「二月後に奥の宮へ来なかったら、春海のあにさまがお前をなぶり殺しに行く。この先ずっと、あにさまはとても御機嫌が悪いから簡単には死ねないよ」

 春海はじっと動かず、黙っている。

「俺のような、陛下の子を産むこともない男姫などの警護長になってしまったからさ。前の男姫のように俺がすぐに死んだら、あにさまはその若さで墓守だ」

 ふふふ、と笑った音由の瞳が、黒く燃えていた。

「音由様、『私のような』、とお話しなさいませ。第一、すぐ死んでしまう気などございませんでしょうに」

 そう言いながら、九条は紅筆を音由に近づける。

「あまり女らしくしないで。今から女になんてなれやしないんだからさ」

「わかりましたから、しばらくお口を閉じて下さいまし」

「九条、お前だって俺がすぐに死んでしまったりしないと思ったから選んだのだろう」

「ええ。お宮に入って二月で死ぬような子供に、高価な黄沙羅の入った茶など飲ませはいたしません」

 少年のみずみずしい唇に、老婆が紅筆を這わせる。青白い肌は淡い赤が差し込むと、なまめかしさをむき出し始めた。

「やはり……あまり濃くないほうがよい……」

 老婆は一人ごちて、化粧道具に向き直る。ふわありと大きく口を開けて、音由があくびをした。

「まだまだ、お振る舞いに気をつけていただかなくてはなりませんね」

「眠い――」

 つい先ほどまで凶暴に輝いていた瞳の上に、青白いまぶたか半分落ちてきている。突然睡魔に襲われるさまは、眠り薬を盛られた者のそれだった。

 春海が黙って立ち上がり、細い音由の体を抱え上げて奥の間の暗闇に消える。警護兵と言うより、まるで子守りのようである。

「小鉄、といったかい。お前の身支度をしてやらなくてはならないね。おいで」

 生きながらえた盗賊は、老婆の後について部屋を出た。


 後で相応の金を払うのか、九条は家人の物を勝手に物色し、小鉄を「高すぎず安すぎず」の女を買える身なりに整えていく。

「お前さんも、数奇すうきなことだね。あれに気に入られるとは」

「おい、ばあさん、あいつは一体何なのだ」

 人ではない何かに捕らわれ、再び放たれようとしている――そのような心持ちだった。

「年貢姫候補になった姉の付き添いで来ていた、百姓のこせがれよ」

 小さな物入れに金貨の包みを詰めながら、

胡領こりょうでは時折ああいうのが生まれる。陽の下で畑仕事をしても肌が青白く、怪しいまでに顔立ちが良い。おまけにあれは、どの娘よりも面白い相をしていたさ。お気をつけ、あれほど確かな傾国けいこくの相を、私は他に見たことがない」

 と、九条は小さく笑み続けている。

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