第二章 お宮入り道中 其ノ二
「
「牛車も知らない床も、疲れる」
「この茶を、お召し上がり下さいまし。
九条が持参した茶壷から茶葉を
「ねえ、今のお宮に、他に男姫はいるのか」
「いいえ。音由様の前は、もう二十年も昔になります。先の陛下の
「その姫は、どうなった」
「あまり、良い話じゃございません」
「いいよ、話して」
「お宮に入って
「病気? 自殺? それとも殺された?」
「その全部、と言ってよいでしょう。病に
出された茶碗を節の目立つ細い指でつかみ上げ、作法は知らぬとばかりにこっくんと、音由は
「ふうん。お宮に入ったら俺、
「ご自身のことは『私』、とお話しなさいませ。切り落とされるという決まりはありません。陛下のお心次第です」
「碧亥はどうするだろう。切り落とされるのはいやだなあ。ねえ小鉄」
不意に名を呼ばれ、小鉄は目だけを音由に向けた。
「耳を切り落とされて、痛かった?」
「……へえ」
「今も痛い?」
「…………へえ」
「九条、見てあげて」
「耳を切り落としたのですか? どれ」
九条がこちらを向いたので、小鉄は髪を持ち上げて顔の左側を向けた。近寄って傷口を見た九条がたずねる。
「切ったのは春海殿かえ?」
「はい」
「道理で。やさしい傷跡だ。ためらいなくまっすぐに一息。治りも早いはずだよ。後で軟膏薬をあげよう」
小鉄は未だにひどく痛む傷にやさしさも何もあったものかと思うが、九条は小さく
「役人の
春海の
「さて。音由様、良い紅が入りましたのでお試し下さいまし」
九条は道具入れから細い筆と、手のひらに収まるほどの小さな丸い器を取り出した。
「小鉄、こちらへおいで」
自分より若い音由に、子供のように呼ばれたのに戸惑いながらも、小鉄は
「
「出ておくれ」
筆を動かしながら、九条は音由の言い回しを直す。器の中の玉虫色に、濡れた筆をそっとつけると、鮮やかな紅色が現れた。
「出て、おくれ。花街でできる限りたくさんの女を買うんだ」
「買っておいで」
「女を買っておいで……何だか妙な言葉だなあ」
言葉ではなく、「使い」の内容が妙なのだ。
「高すぎるのは駄目だが安いのも駄目だ。ねえ、九条」
「はい」
九条は紅を溶きながら答える。
「手頃なのって、いくらくらい」
「格によります。高すぎず安すぎず、の他に条件はございますか」
「客を取り始めて二年以内。
「一晩、
「ふうん、じゃあ、これだけ渡しておけば十分だね」
そう言って音由は丙金貨よりも大きな
「小鉄、俺たちは半月ほどで都に着くけれど、お前は一月半かけて都へ来い。街々で毎夜女を買いながら、一人一人の顔つき、声色、しぐさ、話すこと、床での様子を全部覚えろ。更に半月を都の花街で過ごせ。今から二月で金を使い切ったら奥の宮へ来るんだ」
九条が口を挟む。
「奥の宮へおいで」
「……奥の宮へおいで」
「……」
「あにさま」
音由に
「それを奥の宮の入口で見せたら中に入れる。九条の使い、ということに」
木札を手に取り、足りない明かりの中で目を凝らすと、みっちりと小さな文字が書かれ、朱印が押されていた。
「二月後に奥の宮へ来なかったら、春海のあにさまがお前を
春海はじっと動かず、黙っている。
「俺のような、陛下の子を産むこともない男姫などの警護長になってしまったからさ。前の男姫のように俺がすぐに死んだら、あにさまはその若さで墓守だ」
ふふふ、と笑った音由の瞳が、黒く燃えていた。
「音由様、『私のような』、とお話しなさいませ。第一、すぐ死んでしまう気などございませんでしょうに」
そう言いながら、九条は紅筆を音由に近づける。
「あまり女らしくしないで。今から女になんてなれやしないんだからさ」
「わかりましたから、しばらくお口を閉じて下さいまし」
「九条、お前だって俺がすぐに死んでしまったりしないと思ったから選んだのだろう」
「ええ。お宮に入って二月で死ぬような子供に、高価な黄沙羅の入った茶など飲ませはいたしません」
少年のみずみずしい唇に、老婆が紅筆を這わせる。青白い肌は淡い赤が差し込むと、
「やはり……あまり濃くないほうがよい……」
老婆は一人ごちて、化粧道具に向き直る。ふわありと大きく口を開けて、音由があくびをした。
「まだまだ、お振る舞いに気をつけていただかなくてはなりませんね」
「眠い――」
つい先ほどまで凶暴に輝いていた瞳の上に、青白いまぶたか半分落ちてきている。突然睡魔に襲われるさまは、眠り薬を盛られた者のそれだった。
春海が黙って立ち上がり、細い音由の体を抱え上げて奥の間の暗闇に消える。警護兵と言うより、まるで子守りのようである。
「小鉄、といったかい。お前の身支度をしてやらなくてはならないね。おいで」
生きながらえた盗賊は、老婆の後について部屋を出た。
後で相応の金を払うのか、九条は家人の物を勝手に物色し、小鉄を「高すぎず安すぎず」の女を買える身なりに整えていく。
「お前さんも、
「おい、ばあさん、あいつは一体何なのだ」
人ではない何かに捕らわれ、再び放たれようとしている――そのような心持ちだった。
「年貢姫候補になった姉の付き添いで来ていた、百姓のこせがれよ」
小さな物入れに金貨の包みを詰めながら、
「
と、九条は小さく笑み続けている。
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