第2章 節度を守って廃墟探索
「昼間に来ても結構不気味だな」
汗ばむ額をハンカチで拭いながら、宇古陀は眼前に聳える白亜の廃墟を見上げた。
逢妻病院である。廃墟と化して二十年近く経過しているものの、三階建ての、鉄筋コンクリートの白い要塞はまだ当時の名残をとどめており、間近に迫る雑木林の侵食をもろともせず、其の風格を保持している。
錆付いた門は固く閉ざされた上に有刺鉄線が巻かれ、更には幾重にもまかれた鎖と巨大な南京錠で、礼儀知らずの不法侵入者達の訪問を拒んでいる。
勘違いしてはいけないのは、廃墟と言ってもちゃんと所有者はいるのだ。この世に誰の持ち物でもない建物は無い。
「宇古陀さん、入場許可は取ってあるんですか? 」
四方は廃墟をじっと見つめながら、宇古陀に尋ねた。
「ああ、大丈夫、取ってあるよ。大手を振って入れるから」
宇古陀は得意げに笑みを浮かべると、チノパンのポケットから鍵を取り出した。どうやら門に括り付けられている鎖の南京錠の鍵らしい。
宇古陀は鍵穴に鍵を突っ込むと、徐に首を傾げた。
「おかしい・・・鍵が回らない」
「間違えて別の鍵を盛って来たんじゃないの? 」
「いや、そんなはずは・・・この前来た時、確かにこの鍵で開錠しているし・・・」
二人のやり取りをじっと見ていたつぐみが、すたすたと門に近寄ると近寄ると、錆付いたフレームに手を掛け、軽くぐいっと押した。
門の車輪が甲高い悲鳴を上げる。
錆付いた門は、耳障りな不協和音を撒き散らしながら横にスライドした。
人が通れるくらいの隙間が出来た所で、つぐみは門から手を離した。
「行くぞ」
彼女は無表情のまま四方達に顎先で示すと、先陣を切って病院の敷地へと足を踏み入れた。
「鍵の意味、ありませんでしたね」
四方は呆れた口調で宇古陀に語り掛けた。
「あ、ああ。たしかにこれじゃあ、肝試しに来る奴らが減らない訳だ」
宇古陀は口元をすぼめながら呟くと、周囲をきょろきょろと見渡した。
「どうしたんですか? 」
「いやあ、不法侵入者はいないかと思って」
「言うて昼間ですからね。肝試しには明る過ぎるでしょ」
「いや、噂では、最近ヤンキーや暴走族の連中がここをアジトにしてるって聞いたんでね、ちょっと警戒してるんよ」
「今時ヤンキーって。おまけにアジト? 子供の時の秘密基地ごっこの延長戦ですかね。と言うより、今時のお子様はそんな遊び知らないか」
四方は妙に嬉しそうな笑みを浮かべた。
雑草が跋扈する長いエントランスを進み、正面玄関の前に立つ。
玄関のドアも施錠されているものの、ガラスが蹴破られ、人一人楽々と通れるくらいの穴が開いており、ここも宇古陀が用意した鍵の出番は無かった。
中に入ると、長椅子が散乱し、カルテらしい書類が散らばっている。どうやらここは待合室らしい。左手にあるカウンターは受付の様だ。
床には複数の足跡が降り積もった埃や雑芥に軌跡を刻んでいる。恐らくは、不届き者以外にも、警察関係者も多く出入りしているからその故になのだろう。
不届き者の痕跡は、何も足跡だけではない。棚やテレビなどの家具や備品はことごとく破壊され、至る所にスプレーで描かれた微妙なアートや卑猥な文言の落書きがされている。残念だが、そこには知性も何も感じられない。
「節度の無い輩が多くて困るな」
宇古陀は忌々しげに呟きながら、壁の落書きを蔑視した。
「宇古陀さん、立石さんが亡くなった場所は何処なんですか? 」
「霊安室だ。一階のね」
「へ? 」
「落ちたのは三階の通路に開いた穴からだ。何故だか分からないんだが、三階の通路だけじゃなく、二階の通路にも大きな穴が開いていて、ご丁寧な事に一階の霊安室まで通じているんだ。彼女はのそこの潰れたベッドの上で見つかった」
宇古陀は沈痛な面持ちで忌々し気に吐き捨てた。
「じゃあ、先ず霊安室ですね」
四方は静かに頷いた。
「霊安室はもう少し先・・・ん、何だあれ? 」
宇古陀は首を傾げた。
彼らの眼には行先を阻むかの様に乱雑に積み上げられた長椅子の山が映っていた。
「この前来た時、あんなの無かったけどな」
宇古陀は訝し気に眉を顰めた。
「帰れっ! 」
突然、若い男の声が響く。
「誰だ、誰かいるのかっ? 」
宇古陀が長椅子のバリケードに向かって叫んだ。
不意に、バリケードの上に人影が現れた。
二十歳前後の短髪の青年だった。小顔で、精悍な顔立ち。そしえ全身黒ずくめの衣服を纏った体躯は引き締まっており、全てが宇古陀のそれとは対極をなすものだった。
「ここから先は行かない方がいい。命が惜しかったら帰れっ!」
青年は宇古陀達をじろりと睨みつけた。手には木刀が握られており、切っ先は真っ直ぐ宇古陀に向けられている。
「何故、行っちゃ駄目なんだ? 俺達はここの管理者の許可を取ってここに来ている。むしろ、君の方が退散すべきじゃねえのか? 不法侵入者君」
宇古陀が落ち着いた口調で彼に語り掛けた。
間合いがかなりあるとはいえ、木刀を持った不審者の前に、宇古陀は全く動揺した素振りを見せていない。仕事柄、修羅場をくくり抜けて来たが故に、鋼のメンタルの持ち主なのだろう。
「この建物には、忌まわしい化け物が巣食っている。ここから先に進むと、あちらの世界に引っ張られるぞ」
全く引こうとしない宇古陀に、青年は思いも寄らぬ言葉を吐いた。
「ねえ君、その話、詳しく聞かせてよ」
「え? 」
青年が驚きの声を上げる。
いつの間にか、彼の傍らで頬杖をついて座る人物がいたのだ。
四方だった。
「いつの間に? 」
青年は驚きの声を上げ、四方を凝視した。
「うん。よく使いこんである。君は日頃から鍛錬している様だな」
「な、何? 」
青年は更に驚きの声を上げ、振り返った。
彼の握っていたはずの木刀は、つぐみの手に握られていた。
この二人、どうやって自分の両隣りに登って来たのか?
理解不能の出来事に、彼は完璧に戦意を失っていた。
「宇古陀さんもこっちへ来なよ」
四方がのんびりした口調で宇古陀に声を掛ける。
「え? まあ仕方がねえな。ま、これを超えないと向こうに行けないしな」
宇古陀なぶつぶつとぼやきながら、長椅子の山をよじ登り始めた。
「宇古陀さん? あなた、ルポライターの宇古陀さんなんですか? 」
宇古陀の名を耳にした瞬間、青年の顔から警戒心が解けた。
「うん、そうだけど? 」
青年の態度の急変に、宇古陀はきょとんとした表情で彼を見た。
「失礼致しました。僕は立石碧、ルポライターだった立石佳奈の弟です」
青年――立石碧はそう言うと、宇古陀に深々と頭を下げた。
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