四方備忘録~連レテ帰ッテ・・・

しろめしめじ

第1章 来客はいつもの・・・

「四方ちゃーん、暇? 」

 事務の扉が低い軋む。

 古めかしい真鍮のドアノブを後ろ手に押し返しながら、壮年の男が入って来た。

 中肉中背・・・否、やや太めか。信楽焼の狸をAIで人型にリメイクしたらこうなるんじゃないかといった感じの体型。

 短く刈り込んだ毛髪は圧倒的に白毛が優位を誇り、蓄えたと言うよりは不精な性格のせいだと思われる口髭も、頭髪に見事なまでにシンクロしていた。

 人懐っこい笑みを浮かべたまま、彼は事務所のレトロなソファーにどっかり腰を降ろす。

「宇古陀さん、いきなり入って来て暇かってのは失礼でしょ。まあ、暇ですけど」

 ソファーの奥の机に寄りかかって立っている青年が不満気に呟く。 

 小柄でスリムな体躯。黒っぽいスラックスに包まれた足も細く、コンパスの様に長い。髪はやや長めでピンクのワイシャツの襟が隠れるほどまで伸びている。。

 そのスタイルの良さは人目を引く魅力に満ちているが、彼を一目見るなり誰もが言葉を失うのはその風貌だった。透明感のある白い肌。澄んだ大きな瞳に長い睫毛。すっきりと通った鼻筋に薄い唇。その面立ちは国宝級の美女ですら妬み羨むほどの美貌を湛え、見る人の魂を鷲掴みにする程の魅力に満ちていた。

「いらっしゃいませ」

 机の横側にある扉が開き、二十代前後の女性が現れた。白いブラウスに浮かぶ双丘のシルエットは魅惑的な曲線を描き、膝上十センチほどの黒いミニスカートから伸びる白く長い足が、誇らしげにその長さを見せつけている。

 彼女がモデルの様な優雅に歩む度に、後ろで束ねた艶やかな長い黒髪が、妖しく上下にゆれ、仄かな甘い匂いを中空に醸していた。

 彼女も、四方と呼ばれた青年とも負けじと劣らぬ美貌の持ち主で、ここを訪れた者がモデル事務所と勘違いする原因のツートップは、間違いなくこの二人の美しさによるものだった。

「おはよう、つぐみちゃん」

 宇古陀は目を細めて彼女を見た。

「宇古陀、暇なのか? ここのところ毎日来るではないか」

 つぐみは笑み一つ浮かべずにぶっきらぼうに言うと、それでも珈琲カップはそっとテーブルに置いた。

「四方も暇そうだから、ゆっくりしていくがいい」

 つぐみはそう言い残すと、そそくさと部屋を後にした。

「いやあ、たまんないねえ。つぐみちゃんの攻めるような態度。いつもながらぞくぞくっと来るねえ」

 宇古陀は目を細めながらつぐみが消えたドアを見つめた。

「宇古陀さんはドSなんですか? 何だかここに来るたびに変態度が増してきてますけど」

 四方は珈琲カップを皿事手に取ると、宇古陀の対面に座り、それをテーブルの上に置いた。

「カフェの方は繁盛してんだね。さっき前を通ったら満席になってた」

「御陰様で。ていうか、『カフェの方は』ってのが何か引っ掛かるんですけど」

 四方が不満気に口を尖らせる。ビルの一階はカフェになっており、二階が彼の事務所となっている。因みにこの雑居ビルとカフェのオーナーは彼なのだ。

「で、御用件は? 」

 四方が伏目がちに宇古陀に問い掛けた。

「え? 」

 宇古陀が驚きの声を上げる。

「今日はいつもと違ってなんか用が有るから来たんでしょ」

「何で、分かったの? 」

「何となく」

「流石名探偵だな」

 宇古陀は大きく息を吐いた。

「実はさ、俺がお世話になっている出版社の編集長からの依頼なんだけど・・・」

 宇古陀は表情を硬く強張らせると、重い口を開いた。

 彼の仕事仲間で、立石佳奈という女性のライターがとある廃墟で不慮の死を遂げた。取材中に床の崩落個所に気付かず、そこから転落死したとの事だった。

 享年二十五歳。これからの活躍を期待された人材だった。

 粘り強く徹底取材する彼女の姿勢と、読む人を引き込む躍動的な文章にファンも多く、週刊誌に何本も連載を抱える超売れっ子だったらしい。

 そんな順風満帆な生活を送っていた彼女の突然の死は信じ難く、それも常日頃から何事にも用心深い彼女が、そんな過失をするのかと疑問を持つ者が多かった。

 それ故に、同業者の中には、彼女は何かしらの陰謀に巻き込まれ、事故に見せ掛けて殺されたのだと主張する者も現れたほどだった。

 だが。

 もう一つ、同業者の中で実しやかに語られている噂があった。

 立石は、廃墟に巣くう「何か」に憑り殺されたのではないか、と。

 逢妻病院――郊外に建つ、脳神経科の病院の跡地。その昔は結核患者のサナトリウムだったこともある。廃院の理由が、元院長が自殺したとか、医療ミスで家族を失った遺族に殺されたとか、心スポに在りがちな噂が飛び交ってはいるものの、真相は誰も知らない。

 実際には、経営破綻でやむなく手ばなしたものの、買い手が付かず、廃墟と化してしまったと言う話が最も有力なのだが、世の中にどうしても面白おかしくオカルトチックに語りたい輩がいる訳で、いつの間にか彼らの推察が主流になり、真実の姿を剥奪しているのが現状だった。

 立石はそう言った背景を画策しながら、この廃病院が心霊スポットと呼ばれるようになった理由を調べようとしていたそうだ。

「で、宇古陀さんが私に調べて欲しいってのは? 」

 四方の眼が宇古陀を捉える。宇古陀の顔に顔に浮かぶ微妙な筋肉の翳り、眼球の動き、瞳孔の開き具合、発汗の状態・・・四方はそれらを眼で追い、彼が言葉に綴るのを躊躇う真意を見抜こうとしているかのようだった。

「彼女を、廃病院から連れ帰って欲しい」

 宇古陀は意を決したかのように、言葉を吐き出した。

「連れ帰るって・・・お亡くなりなったんでしょ? 」

 四方は吐息をついた。余りにも辻褄の合わない、不条理な話だった。

「分かっているさ。俺が頼みたいのは、彼女の魂をだ」

 宇古陀は悲愴な面持ちで四方に濁った瞳を向けた。

「彼女が死んでから、毎夜、夢に出るんだ。廃墟に佇み、悲しそうな表情で、連れて帰ってって話し掛けて来るんだ・・・それも、俺だけじゃない。他のライター仲間や、編集者、そして編集長の夢枕にまで立つようになった」

「お祓いとか、供養とかは? 」

「したさ。問題の心スポにも行ったけど、駄目だった」

 宇古陀は項垂れた。常にプラス思考で能天気な彼が、ここまでへこむ姿を見るのはそうそうない事だ。彼か心身ともにかなりまいっているのは明らかだった。

「彼女の意志に反して、魂が縛られているってか・・・己の意志とは別に命を絶たれたが故に、生への執着の念が強い余り、死を受け入れられず、果てた地に固執する地縛霊とは何処か装いが違うように思えますね」

 四方は腕を組むと、大きく背筋を伸ばし、天井を見つめた。

「確かに、この案件は私でないと無理ですよね。いいでしょう、引き受けましょう」

「有難う! 流石四方ちゃん、頼りになりまっす! 報酬は弾むからね」

 終始どんよりしていた宇古陀の顔に、ぱっと笑みが浮かんだ。

「仕事か? 」

 不意に、ソファーの後ろからつぐみが顔を出す。

「うあっ! つぐみちゃん、いつの間に? 」

 宇古陀が驚きの声を上げ、つぐみを凝視した。

「こいつ、最初からいたよ」

 四方が顔色一つ変えずに呟く。

「え? 、確か部屋を出て行ったよね!? 」

 宇古陀は、きょとんとした顔でつぐみと四方を交互に見た。

「気のせいだ」

 つぐみは無表情のまま、宇古陀にVサインをしてみせる。

「それじゃあ、行きますか」

 四方がソファーからすっくと立ち上がる。

「え、これから? 」

 宇古陀が怪訝な表情で四方を見た。

「どうせ、暇だからな」

 すかさず答えるつぐみに、四方は渋面を浮かべつつも苦笑いを浮かべた。

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